ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

出張太り

2017年03月28日 | ノンジャンル
海外出張といえば、昔は行き帰りの機内はもちろん、
夕食や接待、下手をすれば昼食時にも飲んでいた。

となると、必然的にあまり食べないし、寝る間も
ないほど忙しいので、体重も落ち、帰国すれば
ぐったりで、まるまる一日を休息にあてていた。

とはいえ、起きれば、無事な帰国祝いという
こじつけで、また飲んでいたのだが。

断酒してからは、疲れや睡眠不足は、空腹に
直結する。
やたらとお腹がすくし、がっつり食べないと、
仕事にならない。

飲んでいた頃は痩せて帰ってきたが、
断酒してからは大体、帰国後の方が体重が
増えている。

それも普段の生活に戻れば1‐2週間で元に戻る。
大学時代から体形も体重もあまり変わらない。
太ろうと思えば、海外出張に長期で出ればいいだろう。

さて、飲みたいとも思わなくなって久しいが、
なんといっても、夏の冷えたビールはいまだに
恋しく思う事がある。

そして、接待の時に香りだけ嗅いで、これは絶対
うまいと思ったのが、ジョニ赤、ジョニ黒ならぬ
ジョニ青である。

これはそれまでのウォーカーの概念を覆す豊潤さで、
ロックで飲みたい逸品である。

ようやく「お酒を楽しむ」という事がわかる
年代になってきたのに、自分を飲めない身体に
してしまった以上、しょうがない。

こういう時の、「一杯くらいなら」が最も危険な、
悪魔のささやきとなるのである。

そういう時に、いつも私は心の中で「悪魔よ去れ!」
と、自身を袈裟切りに切り倒すのである。

しかしこいつは、本当にうまそうだ。





卒業証書

2017年03月27日 | ノンジャンル
無事に帰国した。

それなりに大きな課題で、あまり眠ることもできず、
帰りは深夜便とかなり疲れていたが、帰宅すれば
もう息子の新居の準備が気がかりで仕方ない。

少し休んで、さっそく必要なものの買い出しや、
注文手配などで、休日をつぶした。

何より、入居が月末ギリギリなので、時間的な
やりくりが大変だったが、何とか段取りも
つけられ、あとは入居日の朝に着くように車を
走らせるだけである。

7‐8時間はかかるだろうか。
まあ、宅配便のことを思えば、どうという
ことはない。

そういうバタバタな時というのはあまり気にして
いないが、多分、入居先の準備が整って、
一人帰る時に、改めて淋しさを感じるだろう。

まだ娘ではなく、息子で良かったではないかとも
思うが、理屈抜きで淋しいものは淋しい。

卒業証書を手に、独り立ちをしていく彼に対し、
子離れのできない父親。

帰り際、「じゃあ、頑張れよ」と一言、声をかける
つもりでいる。
そして、彼から離れていく中で、私自身の子離れを
せねばなるまい。





原点に還れ

2017年03月25日 | ノンジャンル
みすぼらしい姿で十字架に磔の刑となったイエス。
神の子と称したのは、すべての人が神の子である
という覚知ではなかったか。

その精神に権威はまるで関係がないのだが、
それを持ち込んだのは後世である。

宿業論に裏打ちされたカースト制度を真っ向から
否定したのはブッダであった。

何不自由のない身分に生まれながら、最下層の人々が
身に着けていたカーサをまとい、地に這いつくばる
人の傍で手足を地につけ、友となり、家族となった。

その精神の真逆を行ったのが後世の仏教である。
ボロ着のカーサは権威の袈裟となり、仏陀が否定した
宿業論をもって、再び人々を縛った。

彼らはブッダを金色の像となし、人々からかけ離れた
存在としてしまった。

信仰にしろ、宗教にしろ、原点は苦しむ人に寄り添い、
その苦しみを分かちながら、共に歩む中に生まれる
笑顔に、無上の幸せを感じる生き方であろう。

そこには、性別も身分も地位も資産も健康も関係ない。
生まれてきた以上、老い、病にかかり、死ぬことは
誰人たりとも免れない。

要するに、この万人に平等な原理、かつ苦しみの根源を
解決するのが、生き方という問題なのである。

神に近い、仏に近いと権威を示威し、人々を差別する
なら、それは原点から遠く離れてしまった証左である。

それでも今なお、神の子であり、仏と一体であると
思わざるを得ない、具体的な行動を全うしていく
人々がいる。

それをまた神格化するのは、権威主義の人達の
都合であろうが、当の本人たちには至極迷惑な
話なのである。

差別の否定という原点を覆し、権威による差別が
そこにあれば、もはやその信仰、あるいは宗教は
普遍性を失う。

つまり、誰も救えない、あるいは、その人の持つ
可能性を否定する悪魔の法と化すのである。





燃え尽き

2017年03月24日 | ノンジャンル
年が明けていきなりトップギアで走り続けてきた
第一四半期。

期末間際でタイ出張が入りと、今年一年を計るかの
ようなスタートとなった。

予定を終え、これから帰国の途に就くが、帰れば
息子の住居の準備が待っている。

それを済ませば、いよいよ新期に入るが、気分的には
それで燃え尽きそうである。

とはいえ、すでに5月のヨーロッパ出張、7月のアジア
出張がもう決まっている。

家庭、地域、仕事と、様々に責任ある立場ではあるが、
それが一つなくなると、少し呆然自失の感がある。

日程を終え、帰国の前に一人カフェテラスで寛ぐ時、
何を考えるでもなく、心地よい疲労感と、ホッとした
弛緩に包まれるのに似ている。

気は早いが、自分の中では今年一年はもう終わっている。
それくらいの燃え尽き感がある。

まあ、それも春の陽気と、周りにあふれる
フレッシュマンの刺激で、また新たな挑戦の闘志が
湧くのであろうが、今はともあれ白い灰のような
そんな心持である。

それは、一途一心に頑張った証であり、後悔のない
一日を生きた実感でもあるだろう。

ならば燃え尽き感というのは悪いものではないようだ。
月々日々に、この燃え尽きを感じられるかどうかが
自分の「生きる」を測る一つの尺度かもしれない。