ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

年の瀬

2011年12月28日 | ノンジャンル
さてさて、まるで実感のないまま今年も終わりに
近づいたが、クリスマスに高熱で倒れるという失態から
立ち直り、何とか元気に年の瀬を迎えられそうである。

とはいえ、どうやら年末年始の休暇などは有って無いに
等しく、慌ただしかった今年そのままに新年へと
突入しそうな気配である。

考えることができる、まともな頭である事、
自身の内外を敏感に認識できる神経と心である事、
そして、思うがままに、まともに動ける身体であることを
感謝したいと思う。

苦しむことも、楽しむことも、悲しむことも、喜ぶことも、
全て生きているからこそのことである。

一年の節目に、せめてその生きた一年が少しでも
楽しい、嬉しい事の方が多かった年であれよと祈るのみ。

新しい年は、一旦、旧い年を清算して、また喜びの勝る
一年とする心意気で迎えたいものである。

陽はまた沈み、陽はまた昇る。
この世の今の全ての人たちが死ぬまで、絶えることなく
繰り返される律動にのって、今日一日を、そしてまた
明日を、しっかり生きていきたいと願う。


今年は国内外でも、天兆とでも言わんばかりの災害が
多い年でしたが、なにはともあれ、一日を精一杯
生きることの積み重ねであることに変わりはありません。

どうか、皆様も少しだけ楽しい事、嬉しい事の方が勝る
一日とし、それを積み重ねていける一年でありますようにと
心からお祈り申し上げます。

今年も大変お世話になりました。
励ましのコメントや、メッセージが、苦しい時の自身の
大きな力となったことを改めて感謝いたします。
本当にありがとうございました。

明年もまた、相変わりませず、宜しくお願い致します。

どうぞ穏やかな、良いお正月をお迎えください。






2011年12月26日 | ノンジャンル
今年の漢字は、「絆」だそうな。

確か、阪神淡路大震災のあった年は「震」だったと
記憶している。

あまりの壮絶さに、この世の出来事とは思えなかった
この災害の年に、「絆」とは何とも感慨深い。

この字は「ほだし」とも読み、元々は縛り付けるという
意であるらしい。

心と心を結び、手を取り合う絆(きずな)とするのか、
心を縛る絆(ほだし)とするのか、やはりその主体は
人であるということだろう。

主体である人によって、善も悪も、薬も毒も、幸も不幸も
決定されるものなのだろう。

繰り返し述べてきたが、お酒そのものには善も悪もない。
ただ、人がそれを薬とも毒とも成すのみである。

それを毒としてしまったのが我々であり、もう二度と
薬とはできないことを主体として認識するのみなのである。




感謝

2011年12月20日 | ノンジャンル
人間、歳を取ればそれ相応の経験の蓄積もあり、
物事の分別もついていくものだが、それがその時点から
一歩前進をしていくのに、還って足枷になることがままある。

経験に立って、先を予測することは大切だし、その予測通りで
あることも確率としては高い。
だが、100パーセントそうなるわけでもない。

若さとは、低い可能性に賭けて挑戦し、奮闘する
ことではないか。

いくつになっても、その時点での自分の100の力、
プラス数パーセント上乗せ分に挑戦していくことは、
若さの秘訣であろう。

無論、身体の衰えは年毎に身に沁みて感じていくであろうし、
身体を壊すほど無理をする必要もない。

だが、生きるということについていえば、心の若さ、
つまりは挑戦し続ける意気軒昂さがあるかないかで、
その人の姿はまるで違うものとなるであろう。

己の経験や知識など、まだまだであると自覚し、
更に前へ進もうとする人が、心の若い人なのである。
わずかばかりの経験と知識で、我貴しとばかりに
その上に胡坐をかき、向上を失うものは、
心の老人である。

ひとつのバロメータが、この感謝であろう。
謝の字は、端的に言えば「ありがとう」と
「ごめんなさい」である。

この謝の感受性が衰えたなら、心の老人。
いつまでも活き活きと持ち続け、誰に対しても素直な心で
「ありがとう」、「ごめんなさい」と言える人こそが
心の若い人なのである。

身体の衰えは自然の摂理であるから仕方がない。
だが、心の若さを持ち続ける人は、いつまでも可能性に
満ちている。

今年も残りわずか。またひとつ歳を取ることになるが、
またひとつ、新たな挑戦を開始する一年としたいと
思うのである。




どうせ

2011年12月12日 | ノンジャンル
どうせ一度の人生なら、太く分厚く生きてやれ。

どうせ男と女なら、二人で一人を生きてやれ。

どうせ一人で生きられないのなら、人の中で生きてやれ。

どうせ何も変わらないのなら、自分自身を変えてやれ。

どうせ何も出来ぬなら、出来るようになってやれ。

どうせ意味などないのなら、自分で意味を創り出せ。

どうせいつかは死ぬのなら、それまで一杯生きてやれ。






弱きを挫く

2011年12月05日 | ノンジャンル
「弱きを助け、強きを挫く」

英雄の代名詞ともいえる言葉である。

ところが、穿った見方をすれば、弱きを助ければ、
弱いままである、
それは、その弱者の利とはなっていない。

アルコール依存症者にとって、お酒は英雄である。
「弱者」である自分を、お酒が常に助け、救ってくれる。

その結果として、自分自身に現れることは、ご承知の
通りである。もう自分自身で立ち上がることができない
までにその人を毒してしまう。

「弱きを助け、強きを挫く」のは、他者に対してである。
そこには、その他者自身を見極めた上で、その人にとって
利となることを、自立した自身が行うことである。

つまり、自立していない者に他を利することはできない。

我々は、まず自身の自立を目指したのであり、それが
回復への道を歩むということなのである。

それは、己の弱きを挫き、己の強きを信じ、
開いていこうとする苦闘の中にのみ
確立されるものである。

挑戦とは、自身の強きを信じて、弱きに挑んでいく
ことである。

弱きという、一面に囚われて、それに甘んじているものに
自立はない。必然として自身のうちにある強きを信じ、
行動していく中に、それが開かれていくことを
真の自立を目指すものであるなら、肝に銘じておきたい
ものである。

瞬く間といった形容そのままに、師走に入った。
いかなる時も、次へ、次へ、前へ、前へという気概だけは
年をとっても失いたくないものである。

連続する時の流れの中で折々に迎える節目は、
新たな挑戦を開始するための機会である事を忘れまい。