ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

可愛気

2010年10月31日 | ノンジャンル
子供達を見ていて、つくづく思うのだが、人はその人なりに
可愛げというものがなくては損である。

特に女性は、人から愛されることが、何よりの幸せの
要諦であると思う。

しかつめらしい顔をしていては、いくら頭が良くても損である。
どれほど頭が良くても、それで人に愛されない不幸を
感じるならまるで意味がない。

人に迷惑をかけないばかりでも愛されないし、迷惑をかける
ばかりでも愛されない。

自分のやりたいことは断固としてやればよいが、そのやりたい
ことの中に、少しでいいから人を喜ばせることがあればいい。

誰にも迷惑をかけていないというなら、それは自分のこと
だけである。
誰かのおかげでと感じるなら、自分も何かのお役にという
謙虚さを持つこともできる。

可愛げのない私が、最も心配したことが、子供達が私のように
ならないこと、つまり、多くの人達の中で可愛がられて、
支えられて、成長していけるようにということであった。

娘も、息子も、それぞれ性格はまるで違うが、それぞれの
可愛げを持って、人の中で成長している姿に胸をなでおろす
ような思いでいる。

人に愛される中での成長は、必ず人への愛情を育む。
そのまま、まっすぐに成長してもらいたい。

一人きりの幸せというものはありえない。
本当の幸せは、自分が人の中にあって初めて得られるものである。
人に支えられ、人を支え、人を愛し、人に愛されて、自らの道を
これからもまっすぐ進んで欲しいと願うのである。




継承

2010年10月30日 | ノンジャンル
通院日の今日、点滴だけしてもらうつもりでクリニックへ行くと、
今日の診察は亡くなった院長先生の息子さんとのこと。

診察に切り換えて、初めてのご対面となった。
お別れの会でお姿は拝見していたし、例会でも二度お会いしたが、
対面は初めてである。

さすがは内科医で、訊かれる事も普段とは異なるが、
それはまた違う意味で安心感がある。

この診察室で、先生の座っておられた椅子に今、息子さんが
座り、私と対峙している。
それはなんとも言えない、感慨深いものがあった。

先生の勧めで初期に整理し、まとめた体験談の話をし、
次回の診察の折に持参することにした。
是非読ませて頂くとのお言葉に、自分のための記録がまた
少しでもお役に立てるのかと嬉しく思った。

息子さんであるからこそ、我々の知らない父親の姿も
見てきたであろう。
そういうものもひっくるめて、ご自分なりの診察を
して頂ければよいとは、老婆心からである。

そこには、確かに受け継がれ、また発展していくものが
見えたような気がした。

と、今日は娘の大学の合否発表の日。
朝から待ちわびていた様だが、一向に速達が届かない。
私が帰宅してもまだ届いていなかった。

もう、配達は明日ではないかと思っていたところへ
インターフォンの音。
封書を受け取ると、開けずとも合格とわかる分厚さ。
やれやれ、一安心である。

女の子は口が達者になるものだが、幼い頃から、言葉よりも
行動を常に優先してきた彼女は、何をするのも目標を決めて、
挫折があろうと失敗があろうと、それを達成してきた。

今、体育教師になる夢に、また一歩近づいた。
勉強も、運動も、恋愛も、若い苦悩も、全て大切な青春の時を
しっかりと謳歌してもらいたい。

二度とないこれからの日々が、自分の一生を支える宝にも
なるのである。

ともあれ、本当に幸せな土曜日となった。
学費は大変だが、そんなものはどうにでもなるし、
父親としてはまともで、喜ぶべき悩みなのである。

日曜日は家族でささやかなお祝いをしよう。
そういう何気ないことを幸せと感じられることこそが、
幸せなのだと、しみじみと思うのである。




空港

2010年10月30日 | ノンジャンル
出発ゲートで搭乗を待っている時は、考えるともなしに
いろいろなことを考えているものだが、行き交う人々を
眺めているだけでも飽きないものである。

別れがあり、再会があり、様々な悲喜の小さなドラマが
空港では日々繰り返されている。

出発の時に淋しいと思ったことはないかもしれない。
意識するしないにかかわらず、それなりの緊張感に
支配されているせいであろう。

ただ、到着の時は、緊張からの解放と、帰還の安堵とで
一気に疲れが出る思いがする。
その時に、出迎えの人々の間を通り抜けて一人家路を
急ぐのは少し淋しい気もする。

だがそれは、家族というものを持ってからの話である。

米国への長期の出張の時だったか、家族が空港へ出迎えに
来てくれたことがあった。
古い記事にも書いたが、子供達もまだ幼い頃であった。

娘は私の姿を見つけると、小躍りして、満面の笑みで
出迎えてくれた。
その嬉しそうな笑顔にどれほどホッとさせられたか。

息子は、拗ねたようにそっぽを向いて私を見ようともしない。
ずっと淋しがっていたとカミサンから耳打ちされて、
息子を抱き上げ、
「淋しかったな、ごめんな。もう帰ってきたからな。」と
声をかけると、堰を切ったように泣きだした。

同じ男である。 その気持ちは痛いほどわかる。
私が帰るまではと、幼いなりに我慢していたのだろう。

あの時の出迎えは、私にとって忘れられない思い出となった。
娘の笑顔。 息子の泣き顔。 どちらの顔を思い出しても、
目頭が熱くなる。

そうだ、あの笑顔と、泣き顔の記憶が、私を立ち直らせたの
かもしれないと、ふとそんなことを考えていた。






胸を張る

2010年10月29日 | ノンジャンル
いつも心掛けていることがある。

背が高い分、猫背になりがちなのだが、だからこそ余計に
気をつけて背筋を伸ばし、胸を張って歩くことである。

ネクタイを締め、スーツを着て仕事モードに入ると、
意識せずともピシッとするのだが、休日となると
カジュアルな服装がオフモードとさせるのか、自分でも
わかるほど歩き方が違っている。

人に接する時は仕事柄、腰を低くということになるのだが、
立ち姿、歩き方ぐらいはピシッとしていたいものである。

目立つので、自分は気付かなくとも、よく人に見かけたと
言われることがある。

「颯爽と歩いておられましたね。」と言われると、
なんとなく面映ゆいが嬉しく思う。

人間、苦しい時、悲しい時、悩み、憔悴している時は
うつむきとなり、意気消沈したようにうなだれてしまう
ものである。

そういう、どん底の時にでも、いや、そういう時だからこそ
背筋を伸ばし、胸を張って立ち、歩こうと心掛けている。

まっすぐ前を向いていれば、たとえ少しずつでも、
自分や周りが変わっていくと信じているからである。

なにもメタボのお腹を突き出し、偉そうにふんぞり返って
歩く必要もなければ、肩で風を切る必要もない。

貫禄とは程遠い体型であるから、もとよりそんなことには
ならないのだが、それでも、だらだらよたよたと歩くことは
良しとしない。

年をとっても、歩く姿に颯爽さと、リズムがありたいと思う。
実るほどに頭を垂れるのと、苦しいほどに胸を張る。
自分自身に対する大切な心構えなのである。




自分の所為

2010年10月27日 | ノンジャンル
米国は訴訟の国であるとしばしば揶揄されるが、多民族により
形成された国家においては、合理的且つ客観的な判断が常に
必要とされる。

古代ならともかく、同系統の民族を持って統一され、
皇紀2670年となる日本とはその感覚は隔絶している。

とはいえ、あまりにも理不尽な訴訟例が多いのも事実である。
ネコを洗濯機で洗って、死んだからと洗濯機メーカーを訴え、
洗ったネコを乾かそうと電子レンジでチンして、これまた
死んだからとそのメーカーを訴える。

有名なハンバーガー製造販売会社を相手取った訴訟では、
自分が肥って、それに伴う様々な病気に罹ったのは、
そのハンバーガーの所為であり、そのハンバーガーを
製造販売している会社の所為だと・・・。

我々にとっては笑い話ではない。
家族ならともかく、本人が、この世にお酒さえなかったらと
話をするのを聞くことも多い。

自分が病気になったのは、お酒の所為。
そのお酒を造り、コマーシャルを流して販売するメーカーが
悪いと考える人も少なくない。

ハンバーガーの訴訟と何ら変わりない。

依存症者にとってお酒は、覚醒剤などのドラッグと
同じようなものだが、一般の人にとっては嗜好品である。

アルコールという薬物を含む以上、その用法、用量には
注意が必要であるから、未成年には禁止されている。
無論、脳の著しい成長時期に、アルコールによる麻痺を
与えることは当然ながら好ましくないからでもある。

いくら依存症者が増え、その予備軍が増えたとしても、
現実は如実な社会問題にまで至っていない。
適度にお酒を楽しんで、まともな社会生活をしている
人達の方が圧倒的に多いのである。

楽しい食事の為に包丁で調理をするのが普通であるのに、
その包丁で人を刺せば、凄惨な地獄を現出する。
その包丁自体や、包丁を製造したメーカーに罪があるとは
誰も思わない。

我々は特に、誰かや何か自分の外なるものの所為にしたがる。
全ては自分の所為であると、客観的に自分と向き合うことは、
自分を責めるなどという甘い陶酔ではない。

自分の所為でないことは、自分ではどうしようもない。
だが、自分の所為であるなら、それと向き合い、
新たに進んで行くほかはないのである。