飲んで死ねたら本望だ。
飲めないなら死んだ方がましだ。
本気でそう考えていた時がある。
周りから見れば、このまま飲み続ければ死んでしまう事は
明らかなのに、本人にすれば、生きるために飲み続けている。
飲まなければ生きていけないと、本気で信じている。
ターニングポイント。言い換えれば底つき。
これは人それぞれであるが、要するにこのまま飲み続ければ
死ぬという事を本人が自覚する時である。
それは肉体的死のみではない。家庭内での死、社会での死、
精神の死、理性の死と、様々である。
早期に自覚し、対応する事はどんな病気でも大切であるが、
自覚できるのはかなりひどくなってからでないと難しい。
我慢強い肝臓のおかげで、自覚症状など殆んどないからである。
いずれにせよ、転換点を迎え病気を認識したなら、生きるために
飲まない、飲んで死にたくはないという自覚に変わる。
生きるために飲んでいたのが、飲まずには生きられなくなった。
飲めば死ぬ事がわかって、飲み続けて死ぬか、飲まずに
生きるかのギリギリの選択に迫られた時、生きる事を選んだ。
飲まずに生きる事の難しさ、辛さ、苦しさと一つ一つ
向き合いながら、それでも生きる事を選んだ軸はぶれていない。
苦しさ、辛さから酩酊の世界へと逃れ、虚構の楽しさの中で
現実を忘却してはまた現実に引き戻される事を繰り返していた
地点から脱却し、今は苦しさの中にこそ楽しさがあり、
辛さの中に喜びと嬉しさがあることが少しずつわかるように
なってきた。
苦しい時は苦しいまま、楽しい時は楽しいまま、苦も楽も
あわせて受け容れる、そんな心境に至るにはまだまだかも
しれないが、一歩一歩でも近づいて行きたいものである。
飲めないなら死んだ方がましだ。
本気でそう考えていた時がある。
周りから見れば、このまま飲み続ければ死んでしまう事は
明らかなのに、本人にすれば、生きるために飲み続けている。
飲まなければ生きていけないと、本気で信じている。
ターニングポイント。言い換えれば底つき。
これは人それぞれであるが、要するにこのまま飲み続ければ
死ぬという事を本人が自覚する時である。
それは肉体的死のみではない。家庭内での死、社会での死、
精神の死、理性の死と、様々である。
早期に自覚し、対応する事はどんな病気でも大切であるが、
自覚できるのはかなりひどくなってからでないと難しい。
我慢強い肝臓のおかげで、自覚症状など殆んどないからである。
いずれにせよ、転換点を迎え病気を認識したなら、生きるために
飲まない、飲んで死にたくはないという自覚に変わる。
生きるために飲んでいたのが、飲まずには生きられなくなった。
飲めば死ぬ事がわかって、飲み続けて死ぬか、飲まずに
生きるかのギリギリの選択に迫られた時、生きる事を選んだ。
飲まずに生きる事の難しさ、辛さ、苦しさと一つ一つ
向き合いながら、それでも生きる事を選んだ軸はぶれていない。
苦しさ、辛さから酩酊の世界へと逃れ、虚構の楽しさの中で
現実を忘却してはまた現実に引き戻される事を繰り返していた
地点から脱却し、今は苦しさの中にこそ楽しさがあり、
辛さの中に喜びと嬉しさがあることが少しずつわかるように
なってきた。
苦しい時は苦しいまま、楽しい時は楽しいまま、苦も楽も
あわせて受け容れる、そんな心境に至るにはまだまだかも
しれないが、一歩一歩でも近づいて行きたいものである。