一人の校長先生がいた。
幼い頃から奉公に出て、勉学に励んだ彼は、
学問に対しての渇望を、教育への熱情に
昇華させていった。
「教育は子供達の幸福のためにこそある。」
生涯、その信念がぶれることはなかった。
家庭の事情で学校に来れない子供たちの家を訪問し、
子供を学校に来させるよう、親を説得して歩いた。
いかなる権威をも教育に干渉、介入させなかった
ことから左遷され続けたが、その信念にはなんら
揺らぎはなかった。
記念写真などでは、にこりともしない表情だが、
子供達には柔和であった。
しらみで痒い身体では勉強などできないと、
始業前に子供たちと共に風呂に入った。
机上だけでは、せっかくの創造力を損なうとして、
遠足を初めて行った。
弁当も持ってこれない貧しい子供たちが多かった。
腹が減っては勉強などできないと、学校で昼食を
準備した。最初の学校給食である。
子供たちの見せる心からの笑顔。
それが彼の無上の喜びであった。
現代の教育や教育者を云々するつもりはない。
ただ、常に彼の言葉が現実生活の上で、自身の
行動の規範の一つとなっている。
「良いことをしないのは、結果として
悪いことをするのと変わらない。」
人との関わりから離れたなら「個」、
人の中にいれば「衆」。
人として生きるということは、衆として生きる
ということであろう。
自身の徒然日記も、こうしてブログ記事とすれば、
個ではなく衆ということになる。
これからも衆の中で生きていく。
それは、無関心との終わりなき闘いでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/42/c10e2953d95365501a7439abe8d8b264.jpg)
幼い頃から奉公に出て、勉学に励んだ彼は、
学問に対しての渇望を、教育への熱情に
昇華させていった。
「教育は子供達の幸福のためにこそある。」
生涯、その信念がぶれることはなかった。
家庭の事情で学校に来れない子供たちの家を訪問し、
子供を学校に来させるよう、親を説得して歩いた。
いかなる権威をも教育に干渉、介入させなかった
ことから左遷され続けたが、その信念にはなんら
揺らぎはなかった。
記念写真などでは、にこりともしない表情だが、
子供達には柔和であった。
しらみで痒い身体では勉強などできないと、
始業前に子供たちと共に風呂に入った。
机上だけでは、せっかくの創造力を損なうとして、
遠足を初めて行った。
弁当も持ってこれない貧しい子供たちが多かった。
腹が減っては勉強などできないと、学校で昼食を
準備した。最初の学校給食である。
子供たちの見せる心からの笑顔。
それが彼の無上の喜びであった。
現代の教育や教育者を云々するつもりはない。
ただ、常に彼の言葉が現実生活の上で、自身の
行動の規範の一つとなっている。
「良いことをしないのは、結果として
悪いことをするのと変わらない。」
人との関わりから離れたなら「個」、
人の中にいれば「衆」。
人として生きるということは、衆として生きる
ということであろう。
自身の徒然日記も、こうしてブログ記事とすれば、
個ではなく衆ということになる。
これからも衆の中で生きていく。
それは、無関心との終わりなき闘いでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/42/c10e2953d95365501a7439abe8d8b264.jpg)