ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

軌跡

2008年07月31日 | ノンジャンル
カーッと暑い日、仕事のあと、風呂上りに、冷えたビールを
ジョッキでググッといくときのあの爽快感、疲れも吹っ飛ぶ
ような快感を忘れたわけではない。
この頃は、確かに薬で、活力源で、今でいえば点滴のような
ものである。

じっとしていても汗が滲むような暑い夜、銭湯へ行った。
熱い湯につかり、冷水を浴びてまた湯につかる。
何度も繰り返してすっきりした後、湯上りに冷えた
ラムネを飲む。
渇いた喉にゴクゴクと流し込むと、あの感覚がよみがえる。

クーッ! うまいんだなこれが&%#$*@!!と
思わず声が出る。
同時に、子供の頃の懐かしい夏の感覚もよみがえる。
ラムネで十分幸せである。

いつしか憂さ晴らしのお酒に変わっていった。
やり場のない憤懣を溶かすように飲んだ。実際は少しも
溶けることはなく、自分の感覚が鈍くなるだけだった。

道を進むのが苦しくなるほどの足の痛みを、お酒という
鎮痛剤で紛らわせて歩いていたのだろう。
いくら痛み止めを打ったところで、足が治る訳ではない。

一本では効かなくなり、二本、三本と増え続け、気がつけば
痛み止めなしでは一歩も歩けない状態であった。
そして、やがて足は動かなくなり、歩みを止めてしまう
ことになる。

今は苦しいながら、痛みを感じながらも、一歩一歩
足を進めている。

痛み止めはもう打つ気はない。
楽なのは一瞬で、自分の足がどうなっているのかもわからず、
大地を踏みしめる感覚も無くなり、やがて足を害して進めなく
なることを知っているから。
痛いながらも、その痛みをしっかりと感じて、痛みと
相談しながら歩み続けていく。

時には軽快に、時には重く、時には引きずるようにして、
それでも、その一歩一歩は、確かに私の意識のもとでの
歩みなのである。

後ろから押されるのでもなく、前から引っ張られるのでもなく、
自らが刻んでいく確かな軌跡なのである。




お疲れ様でした

2008年07月29日 | ノンジャンル
6月に入ってからというもの、絶不調に陥っていた私は、
待ったなしの忙しさと、その後に来る憔悴で、通院も抜けて
しまうことがあったが、その間に初めからお世話になっている
看護師さんが退職されていた。

私と同年代(とはいっても年下だが)の方で、確か同じような
歳の娘さんと息子さんがいるはずである。
大柄で、しずちゃんのイメージがあり、物事に動じない、
存在感の大きな彼女は、患者さんにも姉貴分のような存在で、
内心ではいろいろと心配り、気配りを細やかにしていながら、
言うべきことは誰に対してもはっきりと言う人である。

普段はさほどおしゃべりではないのだが、無言の威圧感があり、
口を開くときはよっぽどのことであるが故に、断固とした
ものがある。

初めて病院へ行ったとき、夜診のない曜日だったので、初診の
私のために居残りをさせられたと、通院のたびに言われた
ものだが、今となっては懐かしい。


休職などとんでもない、夜診があるなら、仕事帰りに
通院すると言って聞かない私に、病気で仕事を失って、
頑張って治療をして仕事を探そうという人もいるのに、
仕事があって、休んで治療できるだけ贅沢だとかいうような
ことを仰っていた。

結局、治療プログラムをまずはきっちりと完了してから
という有無を言わせない院長先生のご指導で、休職、
通院となるのだが、その看護師さんに対しては、何を
偉そうに言ってやがる、他の患者と一緒にするなと
思っていた。

その後も私の治療に対する意識というか姿勢に関して、
歯に衣着せぬ物言いをすることもあったが、誰にものを
言ってやがる、本人が一番わかってるんだなどと、
腹で思っていた。

復職した後、通院の時に、初めの頃のそんな話をすることも
あったが、「そうやったんや」と笑っておられた。
年下ではあっても、やはりなんとなく姉貴分のような
存在であった。

共通の話題といえば子供のことになるが、ひょんなことから、
アニメ好きで、今でもケロロ軍曹とかを自分が好きで子供と
一緒に見ているという話を聞き、それからは、彼女の
ニックネームは「軍曹」になった。
他の患者さんは彼女を「女将さん」とか、「親分」と
呼んでいた気がするが、いずれにしても肝の据わった
姉御の雰囲気である。

子供さんが中学、高校となれば、お金もかかるので、
頑張って働かないとと、よく話もしたが、思春期の子供に
とって母親が家にいるのといないのとでは大きな違いがある。
まして、この病院の処置室たるや、野戦病院かと思うほどの
激務である。退職された事情はよくわからないが、
母親として家庭を守る上で、必要なことと考えられたの
かもしれない。

イメージとしては肝っ玉母さんの彼女が、家庭でドンと構えて
いれば、子供さん達はどれほど安心するかわからないと思えば、
淋しくはあるが、同じ親として、良かったのではないかと
思える。

私は長男で、兄も姉もいないので、兄貴がいれば少し楽だった
かもしれないと思うし、姉貴がいれば、随分楽な面が
あっただろうと思う。彼女はまさしく、私にとっては
姉貴的な存在だった。

一番初めから、3年間、しっかり見守って頂けて、心から
感謝しています。本当にありがとうございました。
そして、本当にお疲れ様でした。
貴女が仕事とはいえ、多くの患者さんを力づけてきたことが、
これから成長していくお子さん達に大きな母親の愛情として
降り注がれることを願ってやみません。

私も、この大切な3年間を新たな原点として、これからも
やるべきことをやれる限り、頑張りたいと思います。




2008年07月27日 | ノンジャンル
夏は嫌いではない。

むしろ好きな方である。

どっと汗をかいた後の冷たいシャワーの嬉しさ。
眩しい陽射しの強さに目くらむような感覚。
太陽に晒された布地のきな臭い香り。
あえて熱いものを食べた後の爽快感。

この曲は「木枯らしに抱かれて」というアルバムの中の
一曲だが、夏に聴くとまた違う味わいがある。

私もよく歌うお気に入りの一曲だが、この当時、テレビで
見た覚えがある、懐かしい映像だ。


</object>

希少価値

2008年07月23日 | ノンジャンル
物の豊かな時代にあって、価値を生むものは、数に限りがある
もののようである。
誰しも「限定品」と聞くと手に入れたいと思うし、だからこそ、
残り僅かだとか、数に限りがあるだとかの常套文句が、
販売においては有利に働く。

どうやら人は限りのあるものに惹かれ、価値を置くものと
見える。
世界に数個しかないもの、誰も持っていないもの、
プレミアつきのものなどなど。

どちらかというと装飾物等にあまり興味がない私にとっては、
オークションなどで高値のつく絵画や彫刻、陶器や骨董品
などには興味がない。

ただ、それらの歴史的背景や、作成に至るまでの経緯、
完成品の仕上がりの鑑賞という点には大いに興味があるが、
高いお金を出してそれらを収集し、自宅に飾って
満足するような趣味はない。

実用性、シンプル製、自然さを重視し、好むので、博物館かと
思われるようなごちゃごちゃした部屋は、見ていて
うんざりする。
ひとつの部屋には、置物なら一点、絵画も一点、そして花か
観葉植物があれば十分である。


ところで、不思議に思うのは、なぜ自分で作ったり、
描いたりしないかということである。
彫刻であろうと、絵画であろうと、自分で製作すれば、
それはすなわち世界でたった一つの作品であることに
変わりはない。

売りたいとなれば話は別だが、自宅に飾っておく分には
何の支障もない。これほど希少価値の高いものは
ないではないか。

さらに話を突っ込むと、自分という存在は、この世でたった
一人の存在であり、人間という分類はできても、それぞれ
まったく異なるのである。
これほど物については希少価値を認めながら、人に即すると
すぐに人間という分類の中でとらえて、その世界にひとつ
という希少価値を無視するのは一体何故なのか。

物質文明というものは、個々の生命よりも物質を尊び、
人を置き去りにしてしまったが故に、人の心の中に本当の
希少価値を自覚させることをないがしろにさせて
きたのである。

その結果、今ではその人の存在自体を尊ぶことが無くなり、
人をも物と同じく、どれほどその人に希少価値があるかを
機能的に測る視点しか持ちあわせていない。

簡単に人を傷つけ、殺し、自分さえ傷つけ殺してしまう
今の世の乱れは、先人が求めた豊かな物質文明のもたらした
副作用である。

喜びと悲しみは表裏一体で、喜びを求めれば悲しみが必ず
付きまとうものである。
自身の尊さを知り、他人の尊さを知り、皆が幸せに暮らせる
ようにと努力する中で得られる喜びは無上であり、
実はその努力の中に喜びは滾々と湧き上がっている。
その喜びは何にも代えがたい自身の喜びであるが、喜び自体を
求めたところで詮がない。

話が硬くなった。
我が家には有名な画家の絵画など一点もない。
引越しの時に頂いた、ギリシャの白い町並みの風景画が一点、
リビングを飾っている。あとはほとんどがベランダと
リビングに置かれている観葉植物が飾りといえば
飾りであろう。

ただ、息子が嫌がるので飾ってはいないが、私のお気に入りの、
世界でたった一枚の絵がある。
息子が幼稚園時代に、動物園へ行って描いたカバの絵である。
初めに見た時は、何がなんだかわからなかった。
だが話を聞いて改めて見直すと、画用紙いっぱいにカバの体が
圧倒的な迫力で描かれ、その体の脇に小さな魚が数匹
描かれている。

その魚の小ささが、カバの体をよりいっそう大きく見せている。
間近でカバを見たときの、息子の驚きと感動がそのまま
一枚の絵に存分に表されている。
親バカで結構。私の大好きな、しかも世界で一枚しかない
大切な絵なのである。
いつか飾ることができる日を楽しみにしている。




院内例会

2008年07月22日 | ノンジャンル
金曜の夜にお付き合いがあって、午前様となり、疲れ果てて
いたのだが、状況が状況だけに、何としてでも病院へ足を運ばねば
ならないと感じていたので、這い蹲るようにして通院した。

診察の時に話を聞いて頂いて、暫定的な処方もしてもらったが、
確かに時期的にはもうお酒をやめ続ける事が第二義、三義と
なってきて、むしろいかに生きるかが第一義となっている事を
改めて認識させられた。

断酒疲れと言おうか、断酒、断酒と見るのも聞くのも考えるのも
うんざりした気分である。
お酒をやめ続ける為という事ではなくて、いかに生きるかという
事を考えるために自助グループに参加するのも一つの
選択肢ですと、先生は仰った。

その考え方であれば、今からでも自助グループに参加する
意味は大きい。通院とセットで、土曜日の参加を考えてみようかと
思っている。


新しい薬で楽になる事を期待していたが、日曜日の朝は最悪で、
身体の節々が痛く、目覚めてもなかなか起き上がれなかった。
院内例会の日ではあったが、行けば間違いなく指名される。
行かねば何も変わらない。

行動こそが全てであるとわかっていながら、身体は悲鳴を
上げている。だが、今、この苦しい状況にあるからこそ、
行かねばならない。重い身体を引きずって、何とか参加できた。

話される体験は、お酒に関わる事ではあるが、人それぞれ
もちろんの事ながら、異なる生き様の吐露である。
聞く側がお酒に囚われていれば、誰の話も大差ないように
思えるが、自分の生き方、人の生き様という見方で聞いていると、
本当に千差万別である事がよくわかる。
唯一点、断酒によってしか、これからの生き様はないという事
だけが共通しているのみなのである。

案の定指名されたが、それも院長先生が私の胸中を察しての
計らいであったように思える。
現状をありのまま、素直に話す事で少し楽になった気がした。
人間、人前で自分を曝け出した話をするというのは、
かなり緊張するものである。
特に私の場合は、例えば講義のような話をするのはいくらでも
出来るが、自分の事を率直に、あからさまに話をするというのは、
滅多になく、ひどく緊張してしまう。
久し振りに身体の震えさえ感じていた。

やめ続けていても、あんな状態になる事もあるのかと、
聞く人におかしな影響を与えはしなかったかと後で案じたが、
それも今の自身にとっては杞憂であると考えている。

スリップ、入院を繰り返しながら、やめる事が出来なかった、
いや、やめるつもりが無かった人が、何度目かのスリップの時に、
「やめたい」と本気で思ったらしい。それから断酒は
継続している。

離脱のピークに苦しむ中、初めて奥様に「助けてくれ」と
心の本音を口に出して頼み、やっと止まったという方もいた。

苦しみの果てに、ようやく夏の暑い日を、暑いと感じられる
ようになった事が嬉しいと仰る家族の方がいた。
過去に囚われないで、大きな先の事に不安にならないで、
今を幸せに、今を大切に生きていきたいという、家族の言葉は、
集まった本人の人達にとって、どれほどの癒しとなったか、
励みとなったか、計り知れない。

他人を責める事をやめ、自身を見つめ直す事で、心の健康を
第一に保つ事が何よりも大切と話された年配の方。

飲んでいれば依存症。飲まなければ依存症ではない。
だが、飲んでいようと断酒していようと、お酒が害としかならない
身である事に変わりは無いと話された方。

それぞれ、立場も年齢も異なる人達が、それぞれの生き様を
吐露する場があり、そこに自分が参加できるという事は本当に
有り難い事である。
本人、家族、医療スタッフが一堂に会するこの院内例会だけは
大事にしていかねばならない。
自身にとっても、月に一度、得難い勉強をさせて頂ける
場でもあるのだ。

今一度、原点を置き直す。結論として自分に課した事であるが、
偶然にも今回より断酒一年表彰の記念品がアルバムに変わった。

「歩」という色紙が貼られ、表彰の記念写真を貼るという
主旨らしい。
私が頂いたのは、「原点」という楯であった。
本棚に飾っているが、いつも見えるところにあるその楯が
気に入っているので、早い目にもらえていて、良かったなと
不謹慎な事を考えていた。

院長先生のお話は、一般の病気に関してはまず通院、
そして必要な場合に入院となるが、依存症については入院、
隔離が大原則であった事に疑問を持たれていた事。
通院治療など到底不可能とされていた時代に、通院治療の
専門医として開院し、今年で27年になる事。
特別な事ではなくて、依存症が病気である以上、
入院だけではなく、通院があってしかるべきとの考えだった事。
そして、専門医療というのは、糖尿病等と同じく通院、
入院以降の生活の方が大切である以上、教育医療とも
言うべきものである事等、私自身、認識を新たにする事が
出来た貴重なものであった。

何となく億劫で、先月、先々月と、2回も例会を欠席したことが
悔やまれたが、その意義を新たに認識した以上、今後は欠かさず
参加したいと思う。

ようやく谷の下死点は過ぎたようである。
徐々に上昇へと転じていきたい。