ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

この季節

2010年03月25日 | ノンジャンル
春先のこの季節、冬の緊張が緩むこの季節が、一年の内で
最も情緒不安定になる時期かもしれない。

自殺衝動を持つ人にとっても、一番危険な時期である。
世間一般でも、不可解な事件が多くなるのもこの時期で、
気の緩みというものが、不安定さというものと
同義である事がよくわかる。

ネットで知り合った断酒仲間が、突然亡くなった。
50歳という若さである。
あまりにも突然の訃報に呆然とするばかりだが、
謹んでご冥福をお祈りしたい。

アルコールを止められずに身体を傷め続けてきたなら、
さして珍しいことではない。
彼は弁護士で、断酒を継続し、ダイエットを自らに課して、
日々精進されていた。

50歳の節目に、弁護士としてまた一から勉強をし直して、
新生を為そうともされていた。
その姿、志に私自身、随分励まされてもいたのである。

前日までの記事を見る限り、普段と変わらず、その死因に
ついては見当もつかない。病死とすればあまりにも突然で、
自殺とすれば、この危険な時期と重なり合う気もするが、
自ら新生を志し、人にも会うことを予定していた事から
すれば、考えられないのである。

いずれにせよ、確かめられないことをどう詮索しても
意味がない。
人は、いつか死ぬことを、逃れられない運命として
承知している。だが、少なくとも明日はまだ生きて
いるだろうと、何の根拠もなく信じている。

人の死によって初めて人は、自身に許された時間が
どれほどなのかを、まるで知らないことに改めて
気付かされる。

ただ、彼のように、自身が為そうとすることを為していく、
その、前を向いた行動の中で時間が尽きるなら、
本望だとも思う。

為すことを為して、安生の中でその時を迎えるのが
最高ではあるが、誰もがそれを実現できるわけではない。
ならばせめて、前を向いて、進んでいるその姿のままで、
その時を迎えたいものである。

アル中の最大の不幸は、寿命の短さではなく、
前を向こうとする志を毒し、失意と無為のまま、
その時を迎えることにある。

今の一瞬を生きるものは、
心して人の死に向き合わねばならない。

ここに謹んで、哀悼の意を捧げたいと思います。