ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

繰り返し

2010年03月09日 | ノンジャンル
失敗を繰り返すことは、しばしば状況を悪化させるが、
繰り返しということ自体は悪い事でも何でもない。

むしろ、人間は学びにおいてこの繰り返しを基本として
自分の外なる現象を、認識、知覚領域に取り込み、さらに
内奥まで浸透させて、条件反射のように無意識にでも
対応するようなシステムとなっている。

前向き且つ良い事であれば、繰り返し、反復する方が
さらに良い結果をもたらすことは自明の理である。

人間、年を取れば物忘れがひどくなると言うが、
実はそうでもない。
年を追うごとにインプットされる情報量は累積されて
膨大となるゆえに、日常、必要であるものが優先され、
ほとんど使われない記憶は、段々と内奥に埃をかぶった
ままの保存ファイルとなってしまう。

ここから特定の情報を引き出そうとすれば時間もかかるし、
何よりどこにあったのかさえわからなくなる。
物忘れとはそんなものである。

反対に日常的に頻繁に使っている情報でも、ふとした
はずみでド忘れとなる場合もある。
これは何も年に関係なく、若年においても、
老年においてもしばしば起こりうる。

パソコンが普及し、メールによる通信手段が圧倒的な
大勢を占めている中、漢字を読めても書けないという
ケースが目立つ。
これは何も、物憶えが悪くなったとかいうこと
ではなくて、手で書くことが少なくなったからである。

小学生が漢字を覚えるのに、繰り返し何度も書くように、
読めても書けないなら、何度も繰り返し書けば同じように
憶えるだろう。
本を読むのに、漢字の読みは必要だが、書き取りは
必要無い。

大人になってから、書けない漢字を繰り返し書く
練習をするということがないから、書けない
だけの話である。

声を出して本を読む、書き取りの繰り返し練習をする、
単純な計算をスピードを上げて何問も解いていく、
イメージした動物や植物を、実際に絵に描いてみる、
こうした五感を様々に同時に働かせることが、
脳の活性化には最も有効である。

自筆の手紙というのを書く機会がめっきり減った中、
家では静かに本を読むよりは、朗読した方が、
気分転換にもなるだろう。

これは書けないなと思う漢字があれば、その場で5回ほど
繰り返して書いてみればよい。

動物の絵を、写真や本を見ないで、描いてみて、
実物との差を比べてみるのも楽しいであろう。

繰り返し、反復練習というのは、決して悪いものではない。
勉強においても、運動においても、頭や身体に
浸透させる上で、必要且つ有効な方法なのである。

反対に、悪いパターンの繰り返しで、悪い習慣が
浸透してしまわないようにと注意したいものである。