ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

臭い関係

2010年03月08日 | ノンジャンル
ここに、異常に体臭のきつい、つまり臭い人がいるとする。
その人の周りの人たちは、たとえ友人であってもその人に
「あんた臭いよ」とはなかなか言えない。

その人に罪があるわけでもないし、いわば病気のような
ものであるから、それを言えばその人を傷つけ、
その人との関係にもひびを入れることを恐れる。

その人といる時にはその臭いに耐え、笑顔で接して
いる人は、それが言えないこと自体にストレスが溜まる。
そして、同じように耐えている人との間で、その人の
臭さを噂し、やっぱり言えないよねと共感する。

さて、この体臭のきつい人は、こうしてその表面的な
対人関係とは裏腹に、実質的に孤立している。
よほど鈍感でない限り、孤立している自身に淋しさを
感じるようになる。

依然として臭い人であり、周りにそれを耐えさせて
いる以上、孤立せざるを得ない。

「あんた臭いよ」とはっきり言えるのは親であろう。
親はその子の為になることしか考えていないからである。

はっきり言えない人は、当然自分のことも考えている。
言わないのが優しさなどと弁解をして、実はそれを
言って周りからひどい人だと言われるのを恐れている。

周りも同じように感じていながら、それを口にした人を
責めることで、言えない自分をごまかそうとする。

なにも人前でその人を臭いと罵るわけではない。
その人に、体臭がきついからケアをした方が良いと
言えるか言えないかは、その人との関係をどう考えて
いるかによる。

言われた人は傷つき、悩むかもしれないが、少なくとも
なにがしかのケアをする方向に向かうことは間違いない。
その人にとって、臭いまま容認されるのと、少しでも
臭いが軽減されていくのと、どちらが本当に良いのか。

はっきりと言われたことを、侮辱だ、悪口だ、中傷だ、
私は臭くないというなら、それはその人の問題である。
言った人の問題ではない。

いずれにせよ、本人にとっては、親のようにはっきり
言ってもらえる人がどれだけいるのかが生きていく上で
大切なことなのである。

因みに、抱かれたい男No1のタレントは、ひどい
腋臭である。それをはっきり「あんた臭いよ」と
言えるのは、実際に肌を合わせた彼の奥さんであろう。