ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

三つの星

2010年03月18日 | ノンジャンル
まだ結婚前、アメリカに駐在の話がほぼ決まりそうであった。

26歳の頃だったか。
これはもう結婚は無理だと諦めていた。むしろそんなつもりも、
相手もいなかった。

丁度その頃に、今のカミサンと再会した。知り合ったのが、
彼女が18の時。その再会の時は二十歳だったか。

母親をまだ1歳の時に亡くし、親戚に預けられた彼女は
ひどい虐待を受け、中学の時にようやく再婚した父親に
引き取られた。

継母とそりが合わず、卒業と同時に専門学校に通い、
美容師となって自立し、家を出た。

そんな彼女に、暗さは微塵もない。そこにいるだけで
周りがパッと明るくなるようなオーラがある。
それは今でも変わらない。

彼女の生い立ちを聞いて本当に驚いたものだ。
その姿や表情にそんな過去の陰が少しも見えなかった。
凛としているその気丈さと、明るさに惹かれたのかもしれない。

彼女と再会し、その後いく度か会う中で、一緒にアメリカに
来ないかと訊くと、彼女は笑っていた。

現地の準備のために渡米し、自分のオフィスも構えたあと、
彼女から連絡があった。アメリカには行けないと言う。
これまでの自分の心を支えてくれた、母親のお墓から離れる
わけにはいかないと言う。

もっともな話である。私などいなくても彼女はこれまで通り
明るく強く生きていくだろう。彼女の支えは、誰に訊いても
明るく優しい女性だったという彼女の亡くなった
母親なのである。
私などが太刀打ちできるわけがない。

ところが、どうしたわけか、私は彼女を守りたいと思った。
たとえ離れていても、他の誰でもない、自分が彼女を支え、
守ろうと思った。

その想いが、どうしてそうなったのかよく覚えていないが、
自分の身体にその印をつけておこうと思った。
煙草に火をつけ、一、二服して、先の火がまるくなった
ところで、それを腕に押し付けた。

熱いというより刺すような痛みと共に、皮が縮み、
嫌な臭いがした。それを三度繰り返し、腕に三角の黒い
火傷痕がついた。
なぜ三度だったのかもわからない。

後でその傷は膿み出したが、そのまま放っておいた。
帰国して、彼女と会い、プロポーズした。
何か、気の利いた事を言ったわけでもなかった。

火傷に気付いた彼女に、そのわけを訥々と話した。
傷に手を当てながら、彼女は泣いていた。

駐在の件は、その後、現地の日本人採用によって、
白紙となった。
そして、彼女と私は結婚した。

娘が生まれ、息子が生まれ、4人家族となった。
今になって、腕に遺る三つの火傷痕を見るたびに、
カミサンと、娘と、息子の三人の意味だったのかと
不思議に思うことがある。

振り返れば、支え、守るどころか、反対にこの三人に
支えられ、守られてきた気がする。
なんとも情けない亭主であり、父親である。

あれから20年。泣いたり笑ったり怒ったり。。。
これから先、子供たちが巣立っていく時であるからこそ、
本当の意味で支え、守っていかねばならないものがある。

だからこそ、腕の三つの火傷の痕は、三つの星にも
見えるのである。