ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

自ら立つ

2010年03月14日 | ノンジャンル
一大プロジェクトが無事に完遂され、ようやく一息つけると
思いきや、息子の公立受験が目前とあって、
受験の直前対策の特訓を、私の時間の許す限り行っている。

16日が試験当日であるから、文字通り最後の
調整段階である。

卒業式を12日に終え、この受験が終われば、
彼にとっても本当の一区切りである。
やれることをやって、彼自身が悔いのないようにと
願っている。

さて、子供たちは今尚、私に様々な話しをする。
時に話によっては説教じみたことも言うこともあるが、
どちらかと言えば、バカ話で共に笑っていることが多い。

飲んだくれの親父であれば、関わらないで避けていた
であろうが、自分たちの様々な話を聞いて欲しい相手で
あるということが、父親としてどれほど幸せなことかと、
しみじみ思うのである。

そんな時間の中で、息子の話が面白かった。

学校の様々な教科の先生についての評である。
どちらかと言えば理数系が得意な彼によると、
どの教科の先生も尊敬できるところがあるが、
数学の先生だけは尊敬できないとのこと。

実際、この先生は父兄の間でもあまり評判が芳しくない。
要するに熱意以前として、やる気が感じられないそうだ。
娘の中学時代にもいた先生だそうで、娘の評も同様である。

さて、ここまでなら愚癡のようなものであるが、
彼は将来、自分が数学の教師になって、数学の面白さを
教えたいと言う。
文字通り、その数学の先生が彼にとって反面教師と
なっているかのようである。

娘は、中学時代の体育教師に憧れ、その人を越える教師に
なろうという夢を持って頑張っている。
息子は逆に、数学教師に疑問を抱き、自分が得られなかった
ものを、自分が与えられるようになろうという朧な夢を
抱き始めている。

今の時代、教師としてやっていくのは本当に大変だと
思うし、現に、精神的にボロボロとなってやめていった
先生も数人いる。

だが反面、この二人は、それぞれ、教師に向いている
気もする。その方向は別として、大らかさを二人とも
持っている。

何よりも、暗いと不平を言い、愚癡を言うのではなく、
自ら灯りをつけ、明るくしていこうという気概の
あることが頼もしく思えるのである。

それぞれ、全く正反対のタイプであるが、だからこそ
それぞれの将来の姿が実に楽しみなのである。