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遊木民のアトリエ

現在は農業・木工業
                           

あの時から6年

2017-03-11 | 東日本大震災


  大震災から今日で6年、長かったのか?短かったのか?

  当地区の堤防の嵩上げ工事も終わりました。



  河口に逆流防止の水門工事が行われています。



  緑地帯の整備も行われています。



  当地区をまもった防災林の松も半数程度が枯れ、植樹されました。

  役に立つまで2~30年はかかるでしょう。



  震災と原発事故は同時でした。

  原発事故後3週間程度から緊急の事態に対処するため

  連日避難区域に入り職務をこなしていました。

  最初の一ヶ月程度は休日もありませんでした。




  最近の旧避難区域です。

  除染で出た廃棄物がいたるところに集積されています。




  震災直後、最も苦労したのが水の確保でした。

  現在では家族が10日程度で必要とされる約100リットルを備蓄しています。

  食料も10日程度分を備蓄し、年に1~2回程度更新する、回転備蓄を行っています。
  



  簡易トイレと処理剤も備蓄しています。




  大震災で最も役に立ったのがキャンプ用品です。

  ラップやペーパータオル、ウエットティシュ、トレペーにガスボンベ等々

  そのとき使ってしまった消耗品をコンテナ2つに備蓄しています。


  大震災ではスーパーやコンビニが再開(最小限で)されるまで2週間程度かかりました。

  関東や関西など物流拠点が大きな被害を受けなかったにもかかわらずです。

  水道などのライフラインの復旧には1ヶ月程度かかりました。

  人口の少ない東北で、全国からの多くの応援を受けてもこれだけの日数がかかりました。

  

  これが関東直下地震や東南海地震が起きたならどうなるのでしょうか?

  人口が極端に多く、物流拠点が集中し、周りのバックアップ体制は脆弱です。



関東直下や東南海地震は、何時起きてもおかしくは無いと言われています。

  自分や家族を守れるのは自分だけです。

  最低でも1週間は援助に頼らなくても生活できるだけの備えが必要です。

  大都会ですと2週間は援助が行き渡らないと考えた方が妥当でしょう。



  過去記事はカテゴリー(東日本大震災)をご覧ください。






今朝の地震

2016-11-22 | 東日本大震災


  今朝の地震にはびっくりしました。

  初期微動がほとんど無かったので近いと思い、

  強い揺れが収まってすぐテレビのスイッチを入れました。

  震源は福島県沖でしたので、急いで防災リックに財布、保険証、医薬品を
 
  詰め込み車に乗り込みました。



  津波の予想の高さは3mでしたので、ハザードマップ上では津波は到達しないのですが、

  念のため高台にあるニュータウンをめざしました。

  県道はすでに渋滞しかかっていたので、農道などの裏道を通って行くことに

  それを察したかなりの数の車が後ろについてきました。

  約1時間半ほどカーナビのワンセグで情報を確認。

  2時間後に帰宅しました。

  帰宅後は家の外回りの点検、それから家の中の点検。

  点検後、遅い朝食をと言うことで、食器を取り出そうと食器棚の引き戸を引くと

  茶碗が一個転げ落ち、破損。

  これが今回の地震での唯一の被害でした。

  震度のわりには地区の被害も無く、一安心です。

  

楢葉町「天神」での昼食

2016-10-06 | 東日本大震災



  OB会の総会は宿泊施設天神でした。

  総会後は別室で昼食会を開催しました。




  鍋の中身はすいとんでした。

  以前紹介した、トルシエ監督が命名したマミーすいとんです。

  宿泊施設「天神」は昨年9月から再会したとのことですが、

  マミーすいとんの味はそのままでした。


  6年前の記事です。

  マミーすいとん

楢葉町の天神岬から

2016-10-04 | 東日本大震災


  この日は現役時代の組織の専門職員OB会に出席するため楢葉町にでかけました。

  この画像は2011年4月、大震災・原発事故から一ヶ月も経たないときの

  天神岬です。

  当時、緊急の問題解決のため専門職員総出で避難区域に入り、職務を遂行していました。

  当時、30km圏内での飲食は認められていませんでした。

  しかし9時から14時までの過酷な任務で飲食しないわけにはいかず、

  線量が低く海風が入るここ天神岬で昼食を取ることが多かったです。

  やはり考えることは同じで、別の業務で派遣された人たちも来ていました。

  背景の木を覚えてください。




  現在の光景です。

  当時の東屋は無く、展望施設が整備されていました。

  奥の木は同じです。




  当時の木戸川河口付近の様子です。

  住宅地でしたが全て無くなっています。




  現在の光景です。

  復旧がやっと目に見える形になってきました。



  当時の光景です。



  現在は津波の瓦礫の集積所、そして除染廃棄物の置き場になっています。




  白いテントが集積所、周りのシートで覆われたものが除染廃棄物の仮置き場です。




  当時の国道6号線方面




  現在の光景です





  展望施設に展示されている、大津波襲来時の画像です。

  多くの人命、財産が失われました。

  楢葉町は避難区域が解除されましたが、帰還した人はまだ10%程度だとか。

  原発事故さえ無かったらと今更ながらに思います。

震災への備え

2016-04-17 | 東日本大震災



この度の九州地方の震災に遭われた皆様に、お見舞い申し上げます。


 5年前の大震災を経験して、学んだ事がいくつかあります。


 今後の備えになればと思い記事にしました。

 震災に際しては、断水、停電、ガス停止、通信困難等で、ライフラインが一瞬で無くなります。

 特に最初の問題はトイレと水です。


 5年前の当家での水の運搬方法です。


 ごみ袋を2重にするとダンボールや、買い物かごでも運搬が可能です。 






 当初の明かりは懐中電灯です。


 各自1台の明かりは恒に持ち歩きたいです。






 短期的には電池式のランプが便利ですが、停電が長引くと電池が持ちませんし


 光量も十分ではありません。


 そんな時に活躍したのがキャンプで使うガスランタンでした。





 停電でテレビは全く見れませんでしたので、情報はラジオでした。





 当地方も大震災から5年、アウターライズ地震の懸念があります。


 そんなことで備蓄等の備えを図ってきました。


 これは水の備蓄、滅菌水を2箇所に計80リットルを備蓄しています。


 1週間分の飲料水です。





 介護等で使っていたポータブルトイレです。


 当地の様な田舎ではスコップがあれば何とかなるのですが・・・・・。






 大震災の時大活躍したキャンプ用品です。


 テント、タープ、2バーナー、簡易料理器具、そしてディスポの食器等々消耗品


 が入っているコンテナ。




 
 大震災の時は冬でしたので、200リットルの冷凍庫が命綱でした。

 
 ただ、暑い時期では停電が回復するまで持つとは思えません。


 前回の経験から、当家では米は炊けご飯は不自由しませんでしたので、


 副菜の缶詰を備蓄していますが、その一部です。 


 焼き鳥の缶詰は刻んで米と一緒に炊くと、鶏飯になります。


 疲れて食欲が無い時に有効でした。それとカレーの缶詰も好評でした。


 通常の食材として、酒のつまみに利用して回転備蓄しましょう。


 それと個包装された餅も便利でした。



あれから5年

2016-03-12 | 東日本大震災



  先日ララミューで会議が有り、久しぶりに行ってきました。


  5年前の大震災では津波が突き抜けました。






  2階の展示室には、震災・原発事故の当時の写真パネルや避難所のレプリカなどが


  展示されています。


  5年前の今日は富岡町から職員とともにいわきの事務所に避難し、


  早朝に到着しました。一端帰宅した後、いわきの事務所に戻り病院への水輸送の


  打ち合わせをしている時、1Fの1号機で水素爆発がおきました。


  テレビの映像を見ていて今後どうなるのだろうと皆で話し合っていましたが、


  当面病院への支援を最優先にすることにしました。







  現在の小名浜の空間線量です。


  0.062μSv/hrで、これは原発事故前とほとんど変わらない値です。


  報道によると福島産の農産物を拒否するする人が17%、


  福島産の農林水産物は出荷前に放射性物質の検査をしていますが、


  それを知らない人が40%近くいるとのこと。


  これからどのような情報発信をしていったら良いか、考え直す


  必要があります。

津波避難訓練

2016-01-16 | 東日本大震災



  今日は当市で津波による避難訓練がありました。


  第1次避難場所は高台にある神社の境内。


  2011年の大震災の時にも多くの人がここに避難しました。






  当地区のハザードマップ。






  ここは第1次避難場所の一つ。


  当地区は大部分が予想津波被災地区になっています。


  大震災ではピンクの地帯まで浸水しましたが、ハザードマップは


  それより規模の大きい津波を予想しています。







  その後、避難所に移動して防災委員からの講話でしたが、


  これが資料を棒読みするだけの通り一遍の話・・・!!!


  当地区は死者こそ出なかったものの、実際の被災地区です。


  防災委員だかなんだか知らないが、被災の経験の無い


  他地域の人から心構え云々を聴かされてもね???


  今回は防災メールも発信されず!!

  
  理由はセンター試験と重なったためだとか!!!


  訓練日の設定にも問題があったようです。


  やりゃーいいと言う問題じゃないだろうと言いたくなります。



大震災から4年

2015-03-14 | 東日本大震災



  海岸の防波堤のかさ上げもかなり進んできましたが、それでも総延長の2/3程度。







  当地方を津波から守った防災林も塩害でかなり枯れました。


  枯れた木を撤去しています。







  撤去した後には、松の苗が定植されています。


  この苗が防災機能を果たすまでには、あと30年以上かかるでしょう。



  過去記事 「保安林」 をご覧ください。
 

災害への備え

2014-03-10 | 東日本大震災




  昨年の12月でした、今まで使っていた灯油ストーブ(大震災以前から)が機能不全になりました。


  エアコンの補助暖房として灯油ストーブを使ってきましたので新たに購入しました。


  エアコンやファンヒーターは電気が無ければ役に立ちません。


  大震災の時は3日近くの停電で、暖房が問題でした。


  当家では灯油ストーブが大活躍、震災当日の夕食(母と妻)はストーブで焼いた餅だったそうです。






  当家のもう一台のストーブ、アラジンのブルーフレームです。


  こちらも暖房器具として活躍しました。


  灯油は温水器のタンクに80リットル、ポリタンク3本で50リットル程度の備蓄がありましたので


  半月程度は持ちこたえました。ガソリンは前日に全車、携行タンク満タンが幸運でしたが、


  最後は農業用の機械からも調達・・・・。

  
  震災以来灯油は最大容量の半分以上(3週間分)は常に確保しておくようにしています。


  食料も大震災の時は冬でしたので、3日間の停電でも冷凍庫(200リットル)内の食品は


  何とか利用できましたが、夏でしたら問題です。


  そんなことで乾物、レトルト、缶詰等の非常食を2週間分、飲料水は1週分備蓄しました。


  トイレのタンクは飲料水(10リットル)、風呂の水はトイレの洗浄水(10日分)です。


  食は我慢できても、排泄は我慢できません、簡易トイレ(ディスポ)の備蓄をお勧めします。


  戸建ではスコップがあれば何とかなりますが、集合住宅では最大の問題ですし、


  避難所では大変なことになります。


  当地方もアウターライズ地震が懸念されています。


  先日、家族でそのときの避難場所、方法、連絡方法などを確認しました。


  災害の無いことが一番ですが、備えは大切です。





  


  


   


  









波消しブロック

2013-11-04 | 東日本大震災



  大津波が来た海岸です。

製造された大量のテトラポットが並んでいます。






  こちらは6脚ブロック製造現場。





  コンクリートを流し込む型です。






  コンクリートが流し込まれています。


  波消しブロックが並ぶ海岸は興ざめですが、


  防災第一となれば仕方がないのでしょう。



グラウンドが復活

2013-10-19 | 東日本大震災



  新舞子ハイツのグラウンドが2年半ぶりに復活しました。





  2年前の画像です。

  プール・フィットネスクラブの建物も津波の傷跡が残っています。









  

  グラウンドは瓦礫置き場でした。





  瓦礫はすっかり分別処理され。





  グラウンドが復活しました。

  さらにグラウンドも拡張されるとか、

  市民スポーツの中心施設として充実してほしいものです。


永眠

2013-08-23 | 東日本大震災



  先日、家族が永眠しました。

  良き母、良き姑、良き祖母として慕われていました。

  華道、茶道に精進しお弟子さんも多数・・・。


  そして晩年は絵手紙に傾倒しました。

  

  原発事故から生活環境が一変しました。

  事故直後は埼玉の親族方に2ヶ月間避難(断水と医薬品の不足により)。

  帰ってからも出歩くことが少なくなりました。

  そんな生活環境の変化が、体調に影響を蓄積させたようです。






  地魚、菜園の野菜、そしてお酒、特にビールとウイスキーが好物でした。

  みよの後世で、亡夫との再会にグラスを交わしていることでしょう。

  多くの皆様から、今まで賜りまし御厚情に感謝申し上げます。

  
  

   

震災・原発事故の2次被害

2012-03-31 | 東日本大震災
  

先日、家族の最愛の人を亡くしました。

  とても綺麗で、優しく、頭の回転が速く、それでいて物まねが好きで楽しい方でした。

  良き母、良き祖母、皆大好きでした。

  震災・原発事故前は庭で花や野菜も栽培し、孫の成長を何よりの楽しみにしていました。

  震災はともかく、原発事故が無ければもっと長生き出来ていたと思います。


  3.11の震災・原発事故のあと、ご縁の有る方で高齢の方が多く亡くなられました。

  私の集落でも相次いで高齢の方がなくなっています。

  「生きてきた内でこんな大きな地震はなかった」との言葉のとおり、肉体的にも精神的にも大きな衝撃であったことは間違い有りません。


  しかしそれ以上に、原発事故の影響が格段に大きいように思えます。

  いつも畑で農作業している高齢者の姿が、めっきり少なくなりました。

  「孫に米や野菜を送っていたけど、もうやめた」、「作る張り合いがなくなった」

  といってやめてしまった人も少なく有りません。

  当然、生活のリズムが狂い、食生活も自家製の新鮮な野菜が摂れなくなり、運動不足が重なります。

  そして最大の要因は、「物を育てる・作る喜び、感動」が得られなくなることです。

  直売所に出荷している人も多くいます。

  現金収入以上に、消費者と直に接することで、自分の生産した農作物の評価・評判が伝わってくることによる張りあいと、喜びが最大の動機になっています。


  風評被害が早く収まって欲しいと願わずにはいられません。
  

薄磯地区と餓鬼堂横穴古墳群

2012-03-10 | 東日本大震災


  東日本大震災による大津波の被害を受けたいわき市薄磯地区です。

  塩屋崎灯台、薄磯海水浴場があるいわきの観光スポットでした。

  津波により大部分の家屋等が壊滅的な被害を受けました。

  現在は瓦礫撤去も完了し、コンクリートの基礎だけが残っています。

  遠くの丘の中腹に洞穴が見えるでしょうか?





  ズームアップしてみました。

  以前ご紹介した「餓鬼堂横穴古墳群」です。

  こうして見るとなぜこんなに高い場所に古墳を作ったのかよく分かります。

  この近くに彩色壁画で有名な「中田横穴古墳」がありますが、そこも

  津波の影響を受けない山陰にありました。

  今回程度の津波を予測していたかのようです。

  多分古墳が作られる以前にも巨大津波の被害があったのでしょうか?



保安林

2011-11-26 | 東日本大震災


   いわき市の沼ノ内地区です。

   大震災に伴う大津波で甚大な被害が出ました、亡くなった方も・・・。

   この地区は高い防潮堤がありましたが津波はそれを乗り越えました。





   こちらはその北側に位置する、諏訪原地区と下原地区です。

   こちらは沼の内地区と比較して被害は少なかった様です。

   車が流されたり、床上まで浸水したり、一階を津波が通り抜けたりといった被害は数多く見られましたが、

   沼の内地区のような全壊家屋はほとんど無かったようです。

   その違いは保安林(防風、防潮、防砂)のおかげだと考えられています。





   もともと白砂青松で有名で、日本の松100選にも選ばれています。

   中を道路が通っていますがこの道路は戦後に作られた道路です。

   それでも広いところでは奥行き50m程度の黒松林となっています。

   この保安林が津波の破壊力を弱めたようです。





   津波の影響で道路はかなり傷んでおり、完全に流失した箇所もありました。

   しかし松林は無事でした。




   山火事防止の看板でかなり古いものです。

   これからも大切にしたい、先人からの遺産です。