阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

魚料理の夕食

2017年01月18日 | ある日の肴/夕食
日本酒のアテに魚はいい。



楽屋ネタ。
年末に退院した乳児も

最近退院した幼児も元気に遊んでいる。

 
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PNSP(Pen-Nurisampo-Sampo-Pen)/国立劇場版PPAP [塗三方 ぬりさんほ゛う] 動画

2017年01月18日 | びっくり画像・映像

国立劇場版PPAPの動画を制作しました。
邦楽、伝統芸能の普及に一役買えればという思いです。
 出演:
唄 杵屋佐喜
三味線 東音塚原勝利、東音山口聡
笛 藤舎推峰
小鼓 藤舎呂英
大鼓 望月太津之
太鼓 藤舎呂凰
くろごちゃん
編曲:東音塚原勝利
作調:藤舎呂英
制作協力:アイ・ペアーズ株式会社
制作:国立劇場
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阪神淡路大震災22年

2017年01月17日 | 1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録 
2017年1月17日神戸新聞夕刊
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阪神・淡路大震災22年 災害への備え見つめ直す 神戸新聞1月17日朝刊

2017年01月17日 | メディアからの引用記事
阪神・淡路大震災から22年。神戸・三宮の東遊園地には、竹灯籠にともされた火で「1995 光 1・17」の文字が描かれた=17日午前5時46分、神戸市中央区加納町6(撮影・三浦拓也)
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阪神・淡路大震災から22年。神戸・三宮の東遊園地には、竹灯籠にともされた火で「1995 光 1・17」の文字が描かれた=17日午前5時46分、神戸市中央区加納町6(撮影・三浦拓也)
地震発生時刻に明かりをともした竹筒を前に黙とうする遺族ら=17日午前5時46分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大山伸一郎)
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地震発生時刻に明かりをともした竹筒を前に黙とうする遺族ら=17日午前5時46分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大山伸一郎)

 6434人が亡くなり、3人が行方不明になった阪神・淡路大震災は17日、発生から丸22年を迎えた。今なお被災地には、借り上げ復興住宅からの退去や災害援護資金の返済など、被災者が直面する課題も残る。神戸市中央区の東遊園地では同日早朝、「阪神淡路大震災1・17のつどい」が開かれ、地震が起きた午前5時46分に合わせ、遺族らが黙とうした。

 東遊園地には、午前5時前から遺族や被災者らが集まった。「1995 光 1・17」の文字が揺れる竹灯籠を囲み、亡き人を悼んだ。

 現地で開かれた神戸市が主催する式典では、遺族を代表して、同市東灘区で被災した大鳥居慎司さん(58)=大阪府和泉市=が思いを述べた。妻裕美子さん=当時(32)=を震災で亡くし、残された幼子の兄と妹2人を育てた日々を振り返った。

 大鳥居さんは震災後、「ママは天国からいつ帰ってくるの」と聞かれ、答えられず泣き出した。でも「子育てという目標があったからこそ悲しみを乗り越えられた気がする」と22年を振り返った。

 今はスーパーで総菜を買ってくるような生活で、「妻は天国から私たちを見守り、ときには怒ってくれる家族の一員です」と話した。

    ◇    

 街並みは復興したとされる阪神・淡路の被災地だが、今も残る課題がある。

 自治体が被災者に提供した「借り上げ復興住宅」は、相次いで20年の借り上げ期限に達し、継続入居を求める被災者の退去を求めて神戸市や西宮市が提訴した。また、国と自治体が被災者に貸し付けた「災害援護資金」は、昨年9月末時点で77億円以上が返済されていない。

 全国で自然災害が続く中、阪神・淡路で得た教訓を広く生かす取り組みも欠かせない。

 神戸新聞社は「震災20年」を前に、復興課題の一つに、災害による治療中断や劣悪な避難環境で亡くなる「関連死」を挙げ、事例やデータを蓄積して防止策に生かすよう提言した。昨年4月に起きた熊本地震では、関連死が1月16日時点で計123人に上り、防止策の必要性が一層浮き彫りになっている。

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「1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録-震災の中の人々-」     第三回/全五回(毎年掲載)

2017年01月17日 | 1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録 
(本エントリーの初出は7年前の2010年5月30日です。)
報道写真家・栗田格さんの記録シリーズ第3回です。全写真©.Kaku KURITA
 地震の翌日、大阪から電車で甲子園口に向いました。鉄橋を挟んで大阪側は、何も変わらない風景、鉄橋を渡った西宮側は、全く別の風景でした。
甲子園口から歩き出すと、家がつぶれていて、別世界に入りました。
○どんどん歩いて行くとあちこちに避難のテントが出来ていました。避難のテントのまわりに子供達が普段と同じ状態で遊んでいる。
まるで、キャンプを楽しんでいる様子に出会いました。後ろでは、大人達が茫然自失の状態でぼんやりしていました。
大人達は、現実に呆然、子供達の周りは、明るくにぎやかな空気がありました。
(トップの画像)
***
ハイウエーから落ちたトラックが炎上して、積んでいた飲料水などサイダーや、カンが路上に散らばっていました。30時間以上そのままで
散らばっていたのです。1人の子供がカンをひろって飲みました。大人 達は、目の前にある現実にもどり、2分後には、何も無くなりました。
外国の記者が「日本はすごい、海外ならば 自販機なども、壊して中味 は、直ちに略奪される」と言いました。それだけ地震のショックに大人達は思考力を
失っていたと思いました。カンを拾う人々は見ましたが、写真は撮りませんでした。
日本人には、他人様のものをと言う意識があります。子供の力は、すごいものだと感じた一瞬でした。
***
○地震の次の日、最初に自分が声をかけた人は、壊れた家の中に入る人でした。中を見てくれと、こんなになったんだと招き入れてくれた人は多分家族は
助かったのだと感じました。印象的だったのは、被災者にもかかわらず、表情が穏やかだったのです。人間、極限状態になると、反対におだやかになれる
事が驚きでした。

○広い道を歩いていたら、道ばたに老夫婦が休んでいました。24時間前に被災して駅に向かう途中の様でした。
二人の後ろは、何も変わらない家がありました。途方に暮れた感じでした。

○もう、6日後ですが、近所の人にささえられている男性に出会いました。彼は、家の中に息子がいると信じて、目を離すと家に入ろうとするのです。
 近所の人達が 連れ戻す日々だそうです。ご近所の人達のやさしさです。今の東京では、隣りの人が誰かも知らないですが、
古い町は、人々のつながりの優しさがありました。当たり前の連帯感です。最近は、困った時に助け合う、当たり前が無くなりました。

○家族は無事であることを聞いてから、金沢からかけつけた大学の先生が、屋根の上で家がなくなったと驚いている姿にであいました。
古い家の 瓦は、重いので、そのまま家が沈み屋根が残るのが日本の家屋です。彼は、金沢大学の先生で、屋根の上で呆然としていました。

○周りが崩壊している中、いつもの様に立ち話をするおばさん二人に出会いました。
まるで昨日と同じです。極限を超えてお互いの安全を語り合っていたのでしょうね。


◎人間が極限を超えた時の 人々のすばらしさに沢山出会いました。それとは逆にカメラを向けると、後ろを向いて行ってしまうのは、他地方からの
泥棒さんだと、後で新聞報道で知りました。
◎取材をしていたとき、自分が最初に長野から東京に来た昭和22年の戦後を思い出していました。
子供には、見る物が、珍しく大人達は、これからどうしようと言う悲壮感と呆然自失がありました。戦時中の記憶と、神戸地震の人々の様子が重なりました。
写真を見ると、自分と家族が22年前のあの日以降に体験した記憶は、その歳月の間にかかなり薄れていることに気がつきました。
人間はどうしても思い出したくないことは、無意識に記憶から削除する能力?があるそうですが、そういう部分が私にもあったのだと思います。
☆Kaku Kurita Photo Salon はこちら



「1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録-震災の中の人々-」      第四回/全五回(再掲載)
こちら。
「1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録-震災の中の人々-」      第五回/全五回(再掲載)  
こちら。

「1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録 追補」      記憶の交換 その1  こちら
「1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録 追補」      記憶の交換 その2  こちら
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