阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

9か月ぶりのニューミュンヘン3人会

2017年04月29日 | 食べる飲む
時々一緒に飲むお二人とは職場は違ったが大阪の事務所で昭和43年に出会って以来、ほぼ50年近い付き合いだ。入社は私より2年と3年の先輩になる。
この日もお互いの中国・韓国・台湾でのビジネス体験をベースに、時事ネタで2時間話が弾んだ。勿論森友学園スキャンダルの話題も。
ニューミュンヘン本店は「曾根崎お初天神通り」にある。







 この日は初めて飲み放題付きのコースを予約した。とても食べきれないほどの品数で当然この店で外せない唐揚げも登場した。








富国生命ビル。前の懐かしい外観のビルは全く新しいビルに変わった。










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シリーズ「街場と人々の暮し ポルトガル2017年春」  その5

2017年04月29日 | 印旛沼の里山住人の寄稿アルバム集
千葉県は印旛沼のほとりの里山住人Kさんは3月14日から奥さんと一緒にポルトガルに行ってきました。「街場と人々の暮らし ポルトガル2017年春」の5回目です。









































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北朝鮮危機はどうなった?? 5月ゴールデンウイーク中に大臣方は海外へ。自宅は間違いなく心配ないと思っている。

2017年04月29日 | 未済

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立体遊具が大好きな子供たち

2017年04月28日 | 身辺あれこれ


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ある日の夕食は「シラス丼とキンピラ」や「カンパチの塩焼きとふろふき大根、豆苗とモヤシ炒め」

2017年04月28日 | ある日の肴/夕食
この日は香り三種の競演だった。フキノトウ味噌の蕗の薹に、山椒と豆苗。それぞれの芳香を味わいつつ頂いた。
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北朝鮮危機は「危機を煽り立てる情報操作」の証明かも

2017年04月28日 | メディアからの引用記事

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つつじと雨の幼稚園児

2017年04月27日 | 身辺あれこれ
雨が降ると傘をさし、長靴が履けるのが嬉しい様だ。画像©M.M
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季節外れのシャンツアイの花

2017年04月27日 | 花・草・木・生き物
切り花にしました。独特の香りは衰えません。
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清荒神さんの参道や拝殿 20年ぶり?のお参り

2017年04月27日 | あちこちうろうろ
阪急宝塚線の清荒神駅をおりて950mの参道のだらだら坂を登っていく。両側にある店は90%閉まっている。
ウイークデイのせいなのか、あるいはもはや閉めざるを得ないほど参詣者が少ないのか?
 神戸に戻ったころあいかたと来たことがあるが、その時はこんなに寂れていなかったような気がする。
もはやこの上り坂を登って信仰心を持って神社にお参りする礼拝者は減っていっているのだろう。
鉄斎美術館は神社の本堂からもうすこし上がった所にあり、前来た時はあまりの人の多さにスルーしてしまったので入館は今回が初めてだ。


























帰り西宮北口で下車して4,5年ぶりに居酒屋の「ふじや」で一杯やった。


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清荒神の「鉄斎美術館」に赤穂浪士の❝武林唯七」❞の顔を観に行く。

2017年04月26日 | 音楽・絵画・映画・文芸
鉄斎美術館でー人物画の魅力ーというのをやっており、その中に鉄斎が描いた赤穂浪士四十七士全員の姿を描いた絵図があるという。
 数年前、神戸新聞で赤穂浪士の一人、武林唯七の爺さんは中国人だったという記事を読み、なんとなく興味を持った。

Wikipedia⇒武林 隆重(たけばやし たかしげ、寛文12年(1672年)-元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は唯七(ただしち)。
 隆重の祖父は、文禄・慶長の役で日本軍の捕虜になった明軍所属の孟二寛である。孟二寛は、古代中国の思想家孟子の後裔(六二世)として浙江省杭州武林に生まれ、医学を学んで育ったという。日本へ連行されたあとは長州毛利家に身柄を押さえられた(一説に戦争捕虜ではなく、長州へ漂流してきたところを毛利家に捕まったのだともいう)。毛利家、さらにその後には浅野家に医学を持って仕えるようになり、日本の士分に取り立てられて、故郷の「武林」を氏として「武林治庵士式」と改名した。さらに日本人の渡辺氏から室を迎えると、このときに妻の姓をとって「渡辺治庵」と改名する。その間に生まれた子が隆重の父の渡辺式重である。式重には男子が二人あり、兄の渡辺尹隆が渡辺家を継ぎ、次男の隆重は分家することになったが、この際に祖父がかつて使った「武林」を家名として使うこととし武林家を再興した。




阪急西宮北口で今津線に乗り換えて終点の宝塚へ。







宝塚駅でホームの反対側の宝塚線に乗り換えると一駅目が清荒神駅だ。



鉄斎美術館は阪急宝塚線の清荒神駅から15分ほど歩く。



武林唯七をはじめ鉄斎描く赤穂浪士の皆さんは、そのままスーツを着せれば現代の企業の幹部社員でもいいような顔をしていた。
唯七さんも実直な性格のように見える描写で描かれていた。
 赤穂浪士の吉良邸襲撃は今でいえばまさに「共謀罪」。吉良側からすれば集団テロに襲われたようなものだから、当時の幕閣は武家御法度の法治の観点から、
全員に切腹を申しつけるしかなかった。しかし当時の民衆社会はサムライ社会のある意味の不条理を感じ、すぐに歌舞伎で「忠臣蔵」として舞台化され、
その共謀の過程と結果を大いに楽しんだ。日本の興行界では長く、困った時の忠臣蔵としてありがたい演題になったが最近の世代は赤穂浪士と聞いても??だそうだ。

 この日、鉄斎のいろんな人物画を見て、日本の人物画は鳥獣戯画に端を発し、浮世絵の役者絵につながり、現代の世界中にファンを持つアニメや劇画まで、
太く一本に伸びた歴史があり、鉄斎もまたその一翼をしっかり担っていると思った。
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