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菅と仙谷のドンチャン騒ぎ

                菅と仙谷のドンチャン騒ぎ
              (実質総理・仙谷の誕生日だもん)

1月18日の発表では、ついに大学生の就職内定率は68%台に落ち,この種の統計を取って以来最低になったそうだ。

菅は法人税を下げれば、雇用が増えるといい加減なことを言って、法人税を下げたが、それでも雇用は最低の水準だと言われるのであるから、ここでもペテン師、菅の面目躍如というところであろう。また菅のペテンにひとつの実績が加わったという事に成る。

あれほど国民に向かって言われた一に雇用、二に雇用、三に雇用のスローガンはどこへ消えたのか?国民のことをどうとも思わぬ菅政権には全くもって、国民など、どうでもいいということなのだろう。

1月16日、首相公邸で行なわれた改造内閣の全閣僚と与党議員らによる勉強会。菅直人はテレビカメラを意識し、

「国民の皆さんに責任を確り果たしていく為に確りとした議論をする」と叫んでいたが、この日の勉強会は通常国会へ向けての政策課題の共通認識を図ることだという。

しかし、たった1時間半で切り上げ、ホテルニューオータニ内の一人2万円以上の高級焼肉店・岡半・で親睦会名目の大宴会が開かれた。

参加者がロの字の形で座り、酒を飲んで大騒ぎ、前日の15日に65歳の誕生日を迎えた仙谷前官房長官のバースデーケーキが用意され、みんなで、ハッピバースデーを大合唱、紫系のシャツにノーネクタイの仙谷は終始ご機嫌だったという。

このほかにも一月生れの鹿野農相、福山官房副長官、城島政調会長代理、
安住国対委員長などのハッピバースデーで盛り上げたという。

で、肝心の勉強会?「勉強会の『べ』の字も出ませんでしたよ」と参加した民主党関係者は言う。

大雪で交通機関はマヒし、国民が大いに困窮する荒天の中、菅内閣のノー天気ドモの横着振りには呆れ果ててあいた口どころか、あごの骨が外れてしまった。

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こころの教え:自分というもの

                  自分というもの

                       八鹿小学校 平野学級 井上義昭

今日自分というものについて考えてみた。ぼくは6年生の二学期頃まではとてもわがままだった。それに宿題も良く忘れていました.ぼくはとてもはずかしかった。ぼくがなんぼなおそうと思っても、気がゆるんでいるし、しんからなまけているので、なかなかなおらなかった。

そして学校に行って宿題調べをされたとき「あっ、またわすれた。今度こそはやって来る」といって、約束した。でもその約束は遊んでいる途中に消えてしまった。そして学校へ行って調べをされたとき、気がついた。「あっ、しまった」と思った。そういう事が続いている間に早くも6年生の二学期になっていた。

ぼくはとても恥ずかしかった。「とても大変な思いをしなければならないな」と思うと、もっとがんばっておいたらよかったと思った。でも今からじたばたしても、しょうがないと思って、がんばろうとした。

少しがんばれたけど、すぐそのがんばりが消えてしまう。こんなことだったら、はじめからがんばらなければいいんだと思った。それもそのはず、がんばりはじめたと思ったら、すぐやめてしまうということは、
やらなかったことと同じだと思いました。

それから人によく「井上君は、やればできるんだけど、自分でやろうとしていないから、そんなにできないんだ」と言われました。そういえばそんな気がしてきました。それから2学期までは、なまけていたけれど、

3学期になって、席がえをした。ぼくは的場君とまた並んだ。

はじめのうちは、そんなにがんばっていなかったけれど、ちょっとしてから、ぐんぐんがんばってきた。その原因は、自分で計画を立てた。その計画に従ってやってくるということだ。ぼくは全部やった。そういうことからおもしろくなって、どんどん続けられるようになった

これは今も続いている。そして、ぼくは、きっといい毎日にしてみるぞと思った。そして、誰に見られても恥ずかしくない中学生になってやるぞと思った。

                       ☆

                 自分は世界中で自分だけです

井上君。お母さんが書いてくださる所を読ませていただくと、井上君は体が弱かったんだそうだね。井上君もそのためにほかの人よりも苦しい目をたくさんしてきたんだろうけれども、お父さんお母さんもいろいろ心配されたり、苦労されたりしたんだと思います。


先生の家のいちばん大きい子が、小さい頃、毎年毎年大病をやって、何とかして丈夫な体にしてやりたいと努力したことを思い出し、お父さんお母さんのご心配をお察ししているのです。

これは体の弱い人だけでなく、健康な人でもですが、自分が大きく成るためには、いろいろ、数え切れないほどのたくさんの「おかげ」があったのだと思います。

そういうものは、普通では、私たちの目では見えないものです。しかし、目に見えないものの中にとてもとてもすばらしいものがあるのです。
「いろいろなおかげ」も目には見えないけれども、それがないと『自分』もなくなってしまうほど、大変な素晴らしいもののひとつです。

この目に見る事の出来ない『おかげ』が見える人、こころに感じられる人、これがいちばん人間らしい人間だと先生は考えています。井上君も.『おかげ』の見える人、感じられる人になって下さい。

それから、井上君がじっと見つめている「自分」というもの。これもほんとうにすばらしいものであり、時には、「これが自分というものだろうか」と自分でもあきれるほど情けないものであったりするものなんですね

井上君。井上君は、「自分は一人だ」というようなことについて考えたことはありませんか。

先生がそういうことを真剣に考えたのは、今で言うと中学二年の人の年齢の頃であったようだから、もうすこししてから考えるようになるかもしれませんね。

先生の子どもの頃、出石(いずし)に『はつうま』という祭りがあり、
(今でもありますが)16キロメートルほどの道を歩いて参拝した事があります。その16キロメートルほどの道が、絶え間ない人間の行列で続いているのです。

よくもこんなにたくさん人間が居るもんだなぁと感心しながら歩いていたのです。その時、ふと、こんなにたくさんの人間がゾロゾロゾロゾロ蟻の行列のように、行列を作っているが、これから100年たたない間にほとんどが一人残らず死んでしまうんだと思うと、急に死人になりかけの行列が歩いているような気がし始めました。②へ
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一日一言

                 1月19日:独来独去

師範学校の二年の時『大無量寿経』の中の
『独来独去無一従者』という言葉に出会った。

「独り来たりて、独り去り、一の随(したが)う者なし」と
読んだ時の衝撃は忘れられない。

母もたったひとりで逝ってしまった。
父もやがて一人ぼっちで逝ってしまうだろう。
私もいつか独りで逝かねばならない。

たくさんの人間がひしめき合っているようだが、
いざとなったらみんな一人ぼっちなのだ、

ということに改めて気付かされたのです。
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