日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
こころの教え・ぼくはすぐに頭にくるほうです
2・ぼくはすぐに頭にくるほうです。
八鹿小学校 井上学級 堀川裕久
ぼくはすぐに頭にくるほうです。ひやかされたり、ちょっとしたことでもすぐにおこってしまいます。一年の時から五年生の中ごろまで、ぼくはとても「おこりんぼ」でした。
あまやかされて育ったせいか、自分の思い通りにならないと、すぐおこっていきます。そしてそこらへんの物を投げつけたりしました。それも普通の人みたいに、おこってもすぐニコニコしないで二日ぐらい覚えていておこっていたのです。
そんなぼくが六年になってから、ちょっと治ってきました。ぼくが努力したせいでも有ると思いますが、友達がぼくのことをわかってくれて真剣に考えてくれたからだと思います。
あと30日ぐらいで小学校生活を終えて,中学校生活に入ります。今の学級のまま中学校へ入るなら問題はありません。しかし、中学校に入ると、他の学校からもやってきます。だから今の友達とバラバラに離れてしまいます。そして新しい人といっしょになります。つまりぼくのことを良く理解してくれる人がそれだけ少なくなります。
そうすると意見の対立が激しくなっていきます。口より手のほうが早いぼくが、けんかをしないで仲良くしていくには、どのようにしたら良いか教えてください。
☆
それは本当の堀川君ではない。
堀川君の顔を見ていると、とがったこころも丸くなっていきます。堀川君は「おこりんぼ」だとか、頭にくるとか言っているし、そういう性質を持っているということを、誰かからも聞いたように思うけど、それは本当の堀川君ではない気がします。
本当の堀川君は、その顔のように大らかで丸く、その『裕』という名の字のようにひろく豊かで『久』という字のように目の前のことにカッとしたり、とらわれたりしない、永遠のかなたにある真理に心をひかれるようなそれが本当の堀川君のような気がします。
先生のアルバムには、堀川君が修学旅行のときにおにぎりをほおばっている写真がはってある。あそこに現れているのが本当の堀川君なんだと思います。
本当の堀川君は先生の言うような堀川君なのに、どこかの鬼が節分の晩、豆に追われて逃げ場を失い、堀川君があまり優しい子なので、こっそり堀川君の中に入り込んで、潜んでいるのではないかと思います。
それを今までの堀川君は,あまり気にしなかった。それで鬼のほうでも『これはいい隠れ場所が見つかった』
『この人はぼくがこんな所に隠れている事を少しも知らずにいる』
『いいあんばいだ。こんな住み心地のいいところは他にはないぞ』と考えて
安心して暴れていたのでしょう。
でも堀川君は「どうもぼくの中にはヘンな奴がいるぞ」と気付き始めました。鬼に気付き始めたのです。気付かれてしまっては鬼も段々いづらくなります。そして今、逃げ支度をしているのではないかと思います。
堀川君は井上先生という素晴しい先生に教わっている訳ですが、この学校でも井上先生くらい心の中に鬼も虫も寄せ付けない先生、そういうものが潜り込んでも隠れるような所を持たない先生、ガラス張りの心の先生は、めったにいないと思いませんか?少なくても私なんか逆立ちして頑張っても井上先生のようにはなれません。
逆立ちして頑張っても井上先生といっしょに暮らしている間にそのえらさを学び取らなければ・・・と思っています。
堀川君は、未だこれからの人生だが、私なんかは、もう残りが少ないんだから、グズグズせずに学び取らなければ、間に合わない気がします。
でも堀川君だって、やっぱり今のうちに、確りガラス張りのこころを学んだ方がいいのではないかと思います。
八鹿小学校 井上学級 堀川裕久
ぼくはすぐに頭にくるほうです。ひやかされたり、ちょっとしたことでもすぐにおこってしまいます。一年の時から五年生の中ごろまで、ぼくはとても「おこりんぼ」でした。
あまやかされて育ったせいか、自分の思い通りにならないと、すぐおこっていきます。そしてそこらへんの物を投げつけたりしました。それも普通の人みたいに、おこってもすぐニコニコしないで二日ぐらい覚えていておこっていたのです。
そんなぼくが六年になってから、ちょっと治ってきました。ぼくが努力したせいでも有ると思いますが、友達がぼくのことをわかってくれて真剣に考えてくれたからだと思います。
あと30日ぐらいで小学校生活を終えて,中学校生活に入ります。今の学級のまま中学校へ入るなら問題はありません。しかし、中学校に入ると、他の学校からもやってきます。だから今の友達とバラバラに離れてしまいます。そして新しい人といっしょになります。つまりぼくのことを良く理解してくれる人がそれだけ少なくなります。
そうすると意見の対立が激しくなっていきます。口より手のほうが早いぼくが、けんかをしないで仲良くしていくには、どのようにしたら良いか教えてください。
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それは本当の堀川君ではない。
堀川君の顔を見ていると、とがったこころも丸くなっていきます。堀川君は「おこりんぼ」だとか、頭にくるとか言っているし、そういう性質を持っているということを、誰かからも聞いたように思うけど、それは本当の堀川君ではない気がします。
本当の堀川君は、その顔のように大らかで丸く、その『裕』という名の字のようにひろく豊かで『久』という字のように目の前のことにカッとしたり、とらわれたりしない、永遠のかなたにある真理に心をひかれるようなそれが本当の堀川君のような気がします。
先生のアルバムには、堀川君が修学旅行のときにおにぎりをほおばっている写真がはってある。あそこに現れているのが本当の堀川君なんだと思います。
本当の堀川君は先生の言うような堀川君なのに、どこかの鬼が節分の晩、豆に追われて逃げ場を失い、堀川君があまり優しい子なので、こっそり堀川君の中に入り込んで、潜んでいるのではないかと思います。
それを今までの堀川君は,あまり気にしなかった。それで鬼のほうでも『これはいい隠れ場所が見つかった』
『この人はぼくがこんな所に隠れている事を少しも知らずにいる』
『いいあんばいだ。こんな住み心地のいいところは他にはないぞ』と考えて
安心して暴れていたのでしょう。
でも堀川君は「どうもぼくの中にはヘンな奴がいるぞ」と気付き始めました。鬼に気付き始めたのです。気付かれてしまっては鬼も段々いづらくなります。そして今、逃げ支度をしているのではないかと思います。
堀川君は井上先生という素晴しい先生に教わっている訳ですが、この学校でも井上先生くらい心の中に鬼も虫も寄せ付けない先生、そういうものが潜り込んでも隠れるような所を持たない先生、ガラス張りの心の先生は、めったにいないと思いませんか?少なくても私なんか逆立ちして頑張っても井上先生のようにはなれません。
逆立ちして頑張っても井上先生といっしょに暮らしている間にそのえらさを学び取らなければ・・・と思っています。
堀川君は、未だこれからの人生だが、私なんかは、もう残りが少ないんだから、グズグズせずに学び取らなければ、間に合わない気がします。
でも堀川君だって、やっぱり今のうちに、確りガラス張りのこころを学んだ方がいいのではないかと思います。
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