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たくさん話すよりもこころから言える一言を②

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              たくさん話すよりも、心から言える一言を②

紙芝居を大人の人にも見てもらいました。その頃買った紙芝居の数は150くらいはあると思います。それから幻灯もやりました。これは暗がりでするので人の顔を見なくてもいいので、いい稽古になりました。

幻灯も160くらい溜まってしまいました。こうやって何千回としているうちに段々自信が持てるようになりました。それからものを言う時、話をする時には、自分がはっきりとわからないようなことまで言おうとすると失敗します。

先生は自分のこころで、「本当にそうだ」とうなずけないことは言わない、という事を強く守ってきました。先生のはなしを聞いてくれる人が
『あなたの話は心の底まで“成るほど”と良くわかる』と言ってくれるのは、こういう努力のおかげではないかと思います。

また皆が気がついているようなことは、もうこちらは言う必要はありません。こちらがものを言うことによって、皆が何か新しいことに気がついてくれるのでなかったら、ものを言う値打ちは有りません。

でも人の気づいていないような事が言えるようになろうとすれば、勉強しなければなりません。立派な人の書かれた本も確り読まなければ、値打ちのあることは言えません。だから本はずいぶん読みました。

もう今までに一万何千冊の本を読んでいるでしょう。
今でもやっぱり気はとても弱いのですが、どんな場所へ出ても、何千人の人が集っている前でも、自分の考えを話す事だけは出来るように成りました。何千人と聞く人が多いとかえって勇気が出るようになりました。

上田さんは人間として第一の値打ちである一生懸命さを持ってください。それからたくさんを話すよりも、一言でいいから自分がこころから思うこと、自分の心から言えることを話してください。


はじめは、どうしても言いたいことを文に書いておいて読んでもいいと思います(先生が紙芝居の説明を読むことからスタートしたように)
そして書いてあるとおりに読まないで、話し言葉に直して、話すように読むといいと思います。

それから確り勉強する事、いろいろために成る本を読むこと、そして人よりは値打ちのある考え方が出来るように成ること。

そうすれば先生達もきっと喜んでくださるでしょう。

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こころの教え・自分の意見に自信が持てません

             3・自分の意見に自信が持てません。
               八鹿小学校 井上学級 上田洋子

わたしは小学校に入学した時から気が弱くて、引っ込み思案だったのか、発表ということがあまり出来ませんでした。それは自分の意見に自信がもてないからです。

小学校に入った頃何か発表してそれが間違っていたら、同じ組みの人達から「ええ~っ」とか「うそ~」とか言われました。

そしてそういう状態が4年ほど続きました。私はそんなことからも自分の意見に自信が持てず、思ったことをその通りに言うということが出来なくなったのだと思います。

そして未だにそれが治らないのです。それで私は今年1年間、自分の意見に自信を持つようにと努力してきました。でもどうしてもそれが出来ないのです。

校長先生が私ぐらいの時はどういう状態でしたか?
母が、父母集会から帰ってきて、

『洋子は予習をするのはいいが、肝心な要点を予習していないんだって』と言われました。

それで気をつけて予習をしました。でもそれが次の日に対する勉強と外れていて発表が出来ません。そういうことからも発表が出来なくなったのかも知れません。

私は他の人に出来てわたしにできないなんてことはないと思います。だから中学になったら、発表ができるようになりたいのです。そうするには今の私の欠点を消してしまわなければなりません。

そして私の発表できない弱い心を,思ったことの言える強いこころに入れ替えたいのです。どうしたら弱い心を強い心に入れ替えられるでしょうか。


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                  自分の意見に自信が持てません

              たくさん話すよりも、こころから言えるひと言を①

上田さんは自分が気が弱い事を真剣に反省し、自分の欠点を直す事に一生懸命努力している。その一生懸命さが私の胸の底にしみこんできます。一生懸命ということは、こんなにも人のこころを打つことなんですね。

上田さん、この一生懸命さはどんなおしゃべりよりも、値打ちがあります。言葉というものには、こころが入っていなければ何の値打ちも有りません。

べらべらとよくおしゃべりをする人を上田さんはうらやましいと思うかもしれませんが、そういう人こそ、上田さんのように,言葉にこころを込めて使う人を手本にして学び直さなければなりません。

上田さん。べらべらのおしゃべりなんかうらやましがることはないのです。たった一言でも、心のこもった言葉を使う方が値打ちがあるんだ、と考えて自信を持ってください。

上田さん。先生もとてもとても気が弱くて(今でも)先生方にたいへんご迷惑をかけているのです。でも言う事だけは言えるようになりました。

あなた位の時には、「この子は大きくなってから人の前で話が出来るようになるのだろうか」などと心配されました。ものをいうのが恥ずかしかったのです。この癖は先生になっても続きました。

でもこれではいけないと考えて、よく生徒にお話の代わりに紙芝居をしてあげました。紙芝居なら書いてあることを上手く読めばいいのですから、気が弱くても出来ます。

そのうちに、紙芝居の説明を読むだけでなく少しずつ自分の言葉を付け加えて読むようにしました。すると見たり聞いたりする人達も、読むばかりの時よりも、もっともっと目を輝かせてくれるのです。それに自信を得て、自分の言葉で紙芝居の説明が出来るようになりました。②へ




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一日一言

                   1月17日:一大事

小学一年生のとき、死んだはずの母が、
スーッとびっくりするような強さで息を吸い込みました。
そしてそれを吐き出す音は、ついに、いくら待っても、
聞くことは出来ませんでした。

『人生はきびしいのだよ。人間には必ずこの日がくるんだよ。
どうかひと時も早く、この一大事に目を覚ましてくれよ』と

声なき声で言ってくれたのだと思います。
そのために、あのきびしい呼気音を
私の胸に刻み込んでくれたのだと思います。

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