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こころの教え:第一章:自分・ぼくは運動会が苦手です

東井義雄こころの教え

第一章:自分

ぼくは運動会が苦手です。
八鹿小学校六年一組・兼平甲一郎

ぼくは、2,3年の頃、友達に泣かされたり、ぼうしを取られたりした。そんなとき本だなのすみに入り、じっと一人でしんぼうをしていた。
学校中、にげ回ったこともある。いじめていた人は、ぼくが弱いからおもしろがってやっていた。

ぼくは運動会が苦手だ。50メートル走のとき、にやにやしながらかけ足をした。今から考えると一生懸命走ればよかったと思う。六年生のとき、先生が「ビリでも一生懸命走れ」と言われたので一生懸命走った。

今ではいじめられたりしない。校長先生がこの学校に入ってきたとき、
「かまきりみたいな先生、どんなだろう」と思った。とってもいい先生だった。ぼくは横着と言う悪いくせがある。先生の言うとおり、何とか早くなおしたい。


☆堂々とビリを走りなさい。

ビリであることは、ちっともはずかしいことではない。なまけることの方がよっぽどはずかしいことだ。走ることに限らず、生きていく間には、いろいろなことでビリを走らなければならないことがあります。

しかしその時、どうか日本一立派なビリであることが出来るよう、心がけてほしいと思います。堂々としたビリであって欲しいと思います。

これはなかなか難しいことです。ビリになるとどうしても卑屈になり、はずかしくなり、こころまで貧乏になりやすいからです。

ですが、ビリの味がわかる人間でなければ、困っている人、弱い人、貧しい人の気持ちなんか、絶対にわかるものではありません。とにかく、ビリになっているときは、その人にとって得がたい勉強の機会を与えられている時だと思います。

お金はいちばん沢山持っている。体はいちばん達者、勉強もいちばん出来る。姿かたちもいちばん美しい。なにごとにつけてもビリなんか取ったことがない。そういう人がもしあったら、それは大変不幸な事だと思います。ビリの味のわからない人は、人生の味を知らないのと同じだと言ってもいいでしょう。

とにかく、兼平君の『走ることがおそい』という値打ちを、兼平君のすべての優れたところにも活かして欲しいと思います。一番も、二番も、三番もビリのお陰で一番や二番や三番になれているのです。

とにかく堂々とビリを走ることができるようになりましょう。


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一日一言

                      ☆

                 生きているということは

             死ぬいのちをかかえているということ

1月15日:静かに確実に

しかし確実に
その日が近づいてくる。
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