goo

東井義雄:一日一言・いのちの言葉

               東井義雄一日一言・いのちの言葉

                  いくらまわされても

昭和39年、東井義雄先生が八鹿(ようか)小学校に校長として着任された時、校長室に額を掛けられた。

詩人高村光太郎の書(写真版)で次のように書かれていた。

いくらまわされても 針は 天極を指す

これについては、先生は次のように話された事があった。
『私の天極は子どもです。今日もいろいろな雑事や雑音が一杯押しかけてきて、私を振りまわしそうですが、どんなときにも、天極を忘れたり、狂わせたりしないでいきたい、と自分に言い聞かせています』

東井先生の教育生涯はまさに子どもを天極として生まれたものであった。

                   いのちは一つよ

その東井先生の八鹿小学校時代、どの教室にも、黒板の左上隅に『いのちは一つよ』という言葉が書かれていた。子ども達は一人ひとり、一つしかない命を持って生きている。

子ども達は今日も当たり前のように教室に来て、勉強したり、ふざけたり、笑ったり、怒ったりしているが、それぞれの子どもが、かけがえのない、奇跡とも言えるような尊い命を持ってきているのだ。目の前の子どもの言動に惑わされて、それぞれの子どもの命を見失っては居ないか、と教えられた。

更に先生は、その『命』は自分が生きているというより、『生かされている命』『願われている命』だと言われた。『父母をはじめ、目には見えない大いなるものなどによって生かされ、願われている』と。

森 信三先生は、東井先生について、「東井義雄氏の存在は、我が国現下の教育界の実情をかえりみる時、まさに『国宝』の名に値しよう」と述べられている。

東井義雄先生の言葉によって、教育界のみならず、一人でも多くの方に東井先生の精神に触れて頂ければ・・・と思う。

                    一月

                   つらくても
                    おもくても
                    自分の荷は
                   自分で背負って
                   生きさせてもらう


1月1日:いのち
最高に不思議なもの
いのち
それが今ここにある
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

運命を拓くために・五・

                     ☆
あけましておめでとうございます。

今年もげんきで頑張りましょう。・・・・・2011年元旦。

                     ☆☆

                 運命を拓くために・五・

                5.笑いはこの上ない開運剤

人間は万物の霊長として創造の大使命を行うがために、この世に生まれたのであるから、一面においては他の生物とは比較にならないほどいろいろな恩恵を授けられている。が、またその反面においては、その人生に重い大きな負担を強いられている。

したがってその実際生活を営む時、計り知れない苦しみと悩みとを持つ事がある。

しかし、そこに笑いというものがあり、「笑い」はその苦しみや悩みに疲れる心や、体を、「ほど良く調和せよ」とばかりに、人間にだけ与えられた特別なものに他ならないのである。

その証拠には、苦しみや悩みに襲われたようなとき、何かおかしな事があって思わず笑えば、『悩みや苦しみは軽くなる』のである。

いつもニコニコしている人には病弱の人はいないし、笑顔で悲観している人や、その精神を消極的にしている人はいない。

実際にニコニコ笑顔の人のソバにいるのと、難しいしかめっ面の人のそばにいるのとでは気分が違う筈だ。

笑顔の人の傍にいれば何となく魅了され、多少の悩みや悲しみがあってもツイツイそれを忘れてしまう。

笑いは無上の強壮剤であり、また開運剤でもあると云える。
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )