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西岡参院議長・菅首相を酷評

                西岡参院議長、菅首相を酷評

              (思い付きが多く、政治哲学がない)

西岡武夫参院議長が本8日発売の月刊誌文芸春秋2月号に、菅直人首相と仙谷由人官房長官を批判する論文を寄稿していた事が6日分かった。
『菅・仙谷には国を任せられない』と題し、菅首相らの言動を酷評。

与党民主党出身の参院議長が首相らを雑誌で批判するのは極めて異例で波紋を呼びそうだ。

西岡議長は論文で首相について『あまりにも思いつきでものを言う事が多過ぎる』と強調。特に諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の開門を命じた福岡高裁判決の上告断念を表明した事を挙げ、『まさにその悪しき例だ』と指摘した。

また、「経済政策の哲学のなさはまさに目を覆うばかり」とし、
「菅政権はそもそも国家に対する『哲学』すらないのではないか」
「北朝鮮を巡る危機対応のまずさも、まさに『国家観』の無さによるもの」などと批判した。


仙谷長官には辞任要求

一方、仙谷官房長官に関しては、昨年秋の臨時国会で失言暴言が相ついだことを挙げ、「問責決議を受けたのは当然。それに対して『法的拘束力の無さ』を理由に平然として居るのはいかがなものか」と暗に辞任を要求。

さらに「彼の発言は国会答弁の名に値するものではない。あれらはすべて、『法廷闘争』のやり方だ。厄介な質問が出るとわざと相手を怒らせる」との見方を示した。

西岡議長は「今度の通常国会では小沢一郎民主党代表の問題よりむしろ、仙石長官の問題が大きい」とも指摘、最後は「国家観、政治哲学を欠いたままでは、菅首相、仙谷長官に国を担う資格なしと言わざるを得ない」と結論付けた。

(永人所感)
菅と仙谷に対し、やっと、雑誌での批判をしてくれた西岡議長には賛辞を送るが、国民はもっともっと以前にこの仙谷と菅に辞職を求めて、昨年7月の参議院選挙においても、NOを突きつけている。

菅は参院選の直前に『消費税10%に引き上げ』を公約だと言って獲得議席をこれ以下はありえないだろうという54議席に置き、この参院選は菅内閣への信任投票だと背水の陣で選挙戦に臨んだ。

結果は国民にNOを突きつけられて、44議席に減らす大惨敗。誰しもが菅辞職が当然と思ったはずなのに、本人は開き直って辞めないと宣言。

マスコミを懐柔し、9月14日の代表選に出て、『不正選挙』をやってのけ、圧倒的小沢有利を不正開票工作の結果、菅当選に偽装した。


もとより、国民があの時点で直接選ぶなら、小沢支持95%対菅支持5%の比率で小沢首相が誕生していたはずである(この数値は今なら小沢99.9%:菅0,1%だろう)

怒った国民は、今日まで、次々に菅政権への不信を表明して、ほとんどの地方選挙を惨敗させている。この動きは菅が首相を続ける限りおさまらない。

多くの地方議員は菅首相の下では民主党の看板を外さない限り、当選はおぼつかないという、ひどい予想結果になっている。

西岡氏は『小沢の問題よりも、仙谷の問責問題の方がより問題だ』と表現するが、小沢には何の問題もない。したがって、『何の疑義もない小沢の件』と表現するのが筋だろう。

現下の日本において、政治哲学を確りと持ち、正々堂々国家国民の為を思う政治家は小沢をおいていないのが現状であり,『小沢に問題アリという人は何が問題なのかを指摘すべきだ。それを言わずに“問題あり”と言う批判こそが問題である』と言うべきであろう。これはマスコミ、民放、NHK,大新聞にも言えることである。

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運命を拓くために

               12:平然自若(へいぜんじじゃく)

12:平然自若(へいぜんじじゃく)

なんでもない時は『矢でも鉄砲でも持って来い』という気に成るが,健康上に故障が有ったり、運命上に少しでも間々ならないことがあると、そういう場合こそ、より一層心の態度が積極的でなければならないのに、直ぐ『青菜に塩』的になってしまう。したがってこのような状態は決して積極的態度とは言わない。

どんな場合があっても積極的というのは、心の尊さ、強さ、正しさ、清らかさが失われない状態を言うのである。

つまりどんな大事に直面しても、どんな危険な場合に直面しても、心が慌てたり、或いは恐れたり、あがったりしない、いわゆる『平然自若』として、普段の気持ちと同じ様に、これに対処する事が出来る状態。

そういう気持ちになってこそ、初めて人間として立派な仕事をやり通せ、自分の人生を立派に生きる事が出来るのである。

昔の歌に  『晴れてよし 曇りてもよし 富士の山』

というのがある。富士山というのは、どんな天気だろうとその元の姿は変わらない。あの状態こそが『絶対積極の気持ち』なのだ。


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一日一言

                     一日一言

1月8日:ただごとのなさ②

みちよ(長女)
お前は『私』の子ではなかった
お前のいのちは

とうちゃんなんぞの力で
どうにかなるようなものではなかった

みちよ
それだのに とうちゃんは

お前を『私』の子だなんて思い過ごしていた

みちよ
とうちゃんは

今こそお前の「いのち」を拝む
そして
教室の六十人のいのちを拝む


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