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新徴組 中澤兄妹

2017-02-15 05:54:51 | 歴史
京都で活動した新選組は有名ですが、江戸で活動した新徴組についてはあまり知られていません。
新選組と新徴組には多くの共通点があります。どちらも、文久3年(1863)に庄内藩士、清川八郎を中心にして江戸にできた「浪士組」に端を発しています。浪士組には、江戸及び江戸周辺の剣客が多くいました。武士が多く参加した新徴組のほうが、新選組より剣の腕前が上とも言われます。上州から来た法神流の剣客、中澤貞祇(さだまさ)・琴兄妹も新徴組に属しました。しかし、頭領であった清河八郎が暗殺されると、新徴組は幕府の支援が受けられなくなり、庄内藩の酒井侯お預かりとなり、江戸の街の警備、警護に専心しましたので、江戸の街では大いに歓迎されました。そのような中で徳川慶喜の大政奉還があり、薩摩藩の挑発に乗って新徴組は薩摩藩邸の焼き討ちに踏み切りました。これが戊辰戦争に一つのきっかけを与えたとも言われます。その後、新徴組は庄内藩に移動して庄内戦争で新政府軍と戦い、やがて降伏しましたが、西郷隆盛の奔走もあって、庄内藩の処分は比較的に軽いものでした。その後、中澤兄妹は故郷の上州、利根郡に帰りました。兄、貞祇は明治7年に38才で他界。妹、琴は昭和2年に89才で他界しました。
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