yoshのブログ

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日本の将帥(しょうすい)

2011-01-19 06:36:30 | 歴史
日本型リーダーの典型と思われる人達が幕末、明治に活躍しました。西郷隆盛、西郷従道(つぐみち)、大山巌、山本権兵衛(ごんのひょうえ)、東郷平八郎の4人です。皆、薩摩の人。西郷隆盛と西郷従道は兄弟、大山巌は西郷隆盛兄弟のいとこで、この4人は鹿児島城下加治屋町に生まれました。小さな町に4人もの将帥が育ったことは奇跡的なことであり、薩摩という風土や教育や血縁の不思議が思われます。ちなみに大久保利通もこの加治屋町で育ちました。西郷隆盛、西郷従道、大山巌といった将帥は実務に精通していたわけではないのですが、人物が大きいと言われています。「人物が大きい」というのは、いかにも東洋的な表現ですが、明治も終ったある時、外務大臣の私的な宴席で、明治の人物論が話題になりました。「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と誰かが言うと、「いや同じ薩摩人ながら西郷従道のほうが五倍も大きかった」と別の人が言ったところ、一座のどこからも異論が出なかったそうです。もっとも、その席で西郷隆盛を知っている人が、「その従道でも兄の隆盛にくらべると月と星ほどの違いがあった」と言いましたので、一座の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたということです。隆盛と従道は兄弟ですが、大山巌は彼等のいとこにあたります。この血族は異様な血を分け合ったらしいと司馬遼太郎は言っています。 彼等、薩摩型将帥は共通の手法を持っていました。まず、自分の実務の一切を任せることができる優れた実務者をさがします。あとはその実務者のやり易いように広い場を作ってやり、なにもかも任せきってしまう。ただ、場を作る政略だけを担当し、もし実務家が失敗すればさっと腹を切るという覚悟を決めこむ。こうしたやり方でした。つまり実務の達人を部下に持っており、その有能な部下にすべてをまかせ、その部下が実行することをすべて承認して自由にやらせる。周囲からこうした実務家に抵抗があると、これらの将帥はその盾となり、部下が失敗したらすべての責任を取るという潔さを持っていることが共通しています。
将帥の西郷隆盛と江藤新平、西郷従道と山本権兵衛、山本権兵衛と東郷平八郎、東郷平八郎と秋山真之、大山巌と児玉源太郎の関係はすべてこうしたものでした。
西郷隆盛は、明治時代の初期に新政府がめまぐるしく活動していた頃、その中枢にいた江藤新平に実印をすべて渡し、「おいが不在の時はこれを押してよか」と言ったそうです。鋭敏な江藤は「西郷は阿呆ではないか」と思ったそうですが、この実印が原因で問題が起きたということはなかったそうです。西郷に言わせれば、「おいはおはんを信用しておる。責任はおいが取る」という事だったのでしょう。日露戦争は山本権兵衛と大山巌のような将帥と児玉源太郎、東郷平八郎のような優れた実務家のコンビにより日本に勝利をもたらしました。
今日においてはこのような大きな将帥を見出すことができませんが、明確なビジョンを持ってひたすら新しい時代を切り開くような人物が待望されます。
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