yoshのブログ

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宮城事件 日本のいちばん長い日

2014-08-14 05:31:12 | 歴史
 昭和天皇と閣僚が出席した御前会議において太平洋戦争の降伏を決定してから日本放送協会のラジオを通じてボツダム宣言を受諾する玉音放送をするまで、すなわち、1945年8月14日の正午から8月15日の正午までを「日本のいちばん長い日」といわれました。
半藤一利氏が、「日本のいちばん長い日」という本を書き、また同じタイトルの映画も制作されました。いちばん長い日の最中、8月15日未明にいわゆる「宮城事件(きゅうじょうじけん)」が起きました。
8月15日の御前1時すぎ、近衛師団の司令部で師団長が陸軍の畑中健二少佐らに殺害されました。そして、2時には偽の師団命令が作られました。天皇の玉音放送を止めさせ、戦争を続けようとする反乱でした。午前3時すぎ、近衛歩兵第二連隊は玉音放送の録音盤を奪おうと宮内省に突入しましたが発見できませんでした。第一連隊の小田敏生中隊長は「玉音放送を阻止せよ」との命令を受け、内幸町の放送会館を占拠しました。近衛兵は天皇を守るどころか、天皇に逆らって暴走したのです。
 不穏な動きを知った軍司令官により反乱は鎮圧に向かいました。午前5時、「放送を援護せよ」と逆の命令が第一連隊に下りました。11時すぎ畑中少佐は皇居前で自決しました。反乱軍が頼った阿南陸相は反乱への加担を拒み「一死以ツテ大罪ヲ謝シ奉ル」を遺言して割腹しました。映画で阿南陸相を演じた三船敏郎は「どのような理由があったにせよ驕れる軍部に踊らされた偉大な無駄と罪悪を犯していたということ」とコメントしました。半藤氏(84)はいいます。「死ぬのはいつだって名もない兵士たち。近ごろ弱いものがどんなに苦しんでいても、上に立つものはその責任も問われない方向へと世の風潮が強まっている。太平洋戦争の戦死者200万、一般国民の死者100万人という数字がありますが、戦死者の70%が広義の飢餓による死だ。日本の軍隊は成り立ちからして天皇の軍隊であり民草(たみくさ)の軍隊ではない。官僚も天皇の官僚であって国民の官僚ではない。軍隊は解体されたが、天皇の官僚は残った。これでは信用しろったって無理です」半藤さんは「日本人は戦争の悲惨さ、残酷さを知らなくなったとつくずく思う」とつぶやいた。
      朝日新聞  2014年8月9日 夕刊より
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