越後の長岡藩、牧野家の家紋は三つ葉柏です。このほかにも珍しい五段梯子の家紋(下図)があります。戊辰戦争では長岡藩士が五段梯子の袖章を付けて戦ったそうです。梯子は攻城のための重要な道具ですから「武」を表し、また上昇を象徴していると言われています。私の郷里の長岡高校は江戸時代の藩校崇徳館の流れを汲み、明治五年に「米百俵」の精神で創立されました。
堀口大学が作詞した第二校歌には藩校の気分が濃厚に表れています。
一、 翳す(かざす)ゆかりの三つ葉柏(みつばがし)
淵源(みなもと)遠き我が藩の
高き精神(こころ)を新しく
ここに伝へて剛健の
校風守る一千余
北の益荒男(ますらを)血はたぎる
二、 鋸山はけざやかに
東の空に聳えずや
汪洋として信濃川
西の沃野を洗はずや
秀麗の気を鍾(あつ)めたる
われ等濁りのあるべきや
三、 歴史かがやく長岡の
文の林に生ひたてる
若木は国の柱ぞと
誓ひ男々しく奮ひ立ち
智育体育日も足らぬ
われらよ自由民主の子
四、 若き命を誇りにて
行手はるけき日本の
平和は明日のいしずゑを
築く責務を双肩に
父祖の労苦を心にて
励め励まんわが徒(どち)よ
堀口大学が作詞した第二校歌には藩校の気分が濃厚に表れています。
一、 翳す(かざす)ゆかりの三つ葉柏(みつばがし)
淵源(みなもと)遠き我が藩の
高き精神(こころ)を新しく
ここに伝へて剛健の
校風守る一千余
北の益荒男(ますらを)血はたぎる
二、 鋸山はけざやかに
東の空に聳えずや
汪洋として信濃川
西の沃野を洗はずや
秀麗の気を鍾(あつ)めたる
われ等濁りのあるべきや
三、 歴史かがやく長岡の
文の林に生ひたてる
若木は国の柱ぞと
誓ひ男々しく奮ひ立ち
智育体育日も足らぬ
われらよ自由民主の子
四、 若き命を誇りにて
行手はるけき日本の
平和は明日のいしずゑを
築く責務を双肩に
父祖の労苦を心にて
励め励まんわが徒(どち)よ
家紋にもなってたんですね、知りませんでした
洋学校と崇徳館も確実に一線を引くものだと認識していました
家紋の種類にあるのは五段梯子
そして牧野家と五段梯子の家紋は関係ないのでは?
「米百俵の精神で洋学校が設立」ってのも
誤解の生じる表現ですね
ネットは嘘が多い
みなさん注意しましょう