yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

ちまきと屈原

2011-06-05 05:47:17 | 文学
童謡の「背くらべ」には「ちまき食べ食べ兄さんが計ってくれた背の丈」とあります。
このちまき、現代ではあまりポピュラーではなくなりましたが、昔から郷里の長岡には三角ちまき(写真下)があり、毎年5月、6月頃に食します。ちまきは餅米を笹で巻き、藁紐で結び、三角形に形を整えてから蒸します。いただく時には笹の葉を剥いて蒸し上がった餅米に黄粉をつけます。季節感豊かな美味しい食べ物です。
 「ちまき」と言えば中国が起源です。周代、楚の貴族で詩人の屈原(BC343―278)は、讒言にあって江南に放逐され、 汨羅(べきら)の淵に身を投げました。古来より忠臣の象徴的な存在となった彼の命日が5月5日です。供養のため、人々は供物の米を川に投げ入れました。その際、むき出しでは竜が食べてしまうので、茅で巻いたということです。これがちまきの由来とされています。
 次の詩は屈原の一代の絶唱、「離騒」の最初の部分です。まず自己紹介から始まります。

    離騒

帝高陽之苗裔兮
朕皇考曰伯庸 
攝提貞於孟陬兮
惟庚寅吾以降
皇覽揆余於初度兮
肇錫余以嘉名
名余曰正則兮
字余曰靈均

帝高陽(ていこうよう)ノ苗裔(びょうえい)
朕(わ)ガ皇考(こうこう)ヲ伯庸(はくよう)ト曰(い)フ 
攝提(せってい)孟陬(もうすう)ニ貞(ただし)ク
惟(こ)レ庚寅(こういん)吾レ降(くだ)レリ
皇(ちち)ハ覽(み)テ余ヲ初度ニ揆(はか)リ
肇(はじ)メテ余ニ錫(たも)フニ嘉名(かめい)ヲ以ツテス
余ヲ名ヅケテ正則(せいそく)ト曰ヒ
余ヲ字(あざな)シテ靈均(れいきん)ト曰フ

「訳」
私はかの名高い高陽帝の子孫
今は亡きわが父の名は伯庸という
生まれは寅歳の寅の月 時はまさに新春の庚寅の日であった

父はこの生まれ合わせを見て
よき名をつけて下さった
どこまでも正しく生きよとその名を正則と付け
将来この国を治めるほどの人になれと字(あざな)は靈均と付けた

屈原の詩を含む「楚辞」は、北方の「詩経」と共に中国古代文芸の双璧となっています。

   
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