yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

辞世の歌

2011-06-15 05:45:55 | 文学
辞世の歌には詠み人の人生が凝縮されており、味わいある歌が沢山あります。
世俗の些事を捨てた西行の辞世の歌などは秀逸です。
願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ

一代の英傑 上杉謙信は次の漢詩を残しています。
四十九年一睡の夢 一期の栄華一盃の酒

織田信長は死を前にして「敦盛」を舞ったそうですが、その言葉は
人間五十年化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり 一度(ひとたび)生を享(う)けて滅せぬもののあるべきか
明智光秀ほどの武将に包囲されては逃れることができないと瞬時に悟り、潔い最期を遂げました。

庶民に生まれて天下を取った豊臣秀吉
露と落ち露と消えにしわが身かな難波のことは夢のまた夢

徳川家康
  先にゆきあとに残るも同じ事連れて行かぬを別れぞと思ふ
忠誠心の強い三河武士に追い腹を切るなという意味がこめられており、家康らしく自分の死後のことまで冷静に予測しています。なにしろ今後の徳川時代安泰のために盤石の布石を行ってきた人物です。

家康に同行して当時東国に赴いていた大名、細川忠興の館を大坂方が襲撃してきたのに対して、人質になることを拒み、家来に命じて壮烈に絶命した細川ガラシャ夫人、38歳の辞世の歌
  散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
この報を聞き、大坂方は、大名の妻女の人質作戦を取り止めたということです。
関ヶ原で東軍が勝つと細川家は肥後に封ぜられて徳川時代を生き抜き、首相までを輩出して今日に至っています。

松の廊下の刃傷で切腹を命じられた浅野内匠頭
  風さそふ花よりもなほわれはまた春の名残をいかにとやせん
無念の思いが伝わってきます。

西軍の攻撃に対抗した會津鶴ケ城籠城戦の象徴的存在であった松平照子姫(容保公の姉)の十三回忌に際して、既に他界していた松平容保公の三男の松平健雄が父に替って贈った歌
   今更に返らぬものと知りながらかへしてしがな君ましつ世に
歌人としても優れていた松平照子の鎮魂のために詠まれた歌集「かつらのしずく」の中に、
この歌は北白川宮親王妃らの歌とともに載せられています。
  
 なお、辞世の歌ではありませんが、「史記・項羽本紀」によれば、劉邦に敗れた項羽が烏江にまで来て自決しようとした時、河畔の亭長が、「この川を渡って南に逃れれば、江東には才俊が多いから捲土重来ができましょう」と自決を止めました。しかし項羽は「天の我を亡ぼすに我何ぞ渡ることを為さん、我何の面目ありて江東の父兄に見(まみ)えん」と言って潔く自決したということです。
コメント
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