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緒方洪庵と医戒

2011-06-12 05:22:36 | 文化
緒方洪庵(1810-1863)は江戸末期の蘭医で適々斎と号しました。備中生まれで江戸、長崎で蘭学を学び、大阪で医業を行う傍ら、適塾という学問所を設けました。門下には大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉、佐野常民(日本赤十字社を創設)、高松凌雲らの逸材がおり、種痘の普及やコレラの治療に成果を挙げ、日本近代医学の祖といわれています。江戸城の奥医師も勉め、将軍や天璋院も診察しました。この洪庵は、尊敬するドイツの医師で大学教授のフーフェラントの言葉を翻訳した「医戒」を残しています。今日まで医学生に広く読まれている医師の心得を示した言葉です。

扶氏医戒之略  (註・扶氏はフーフェラントの事)

一、 医師の世に生活するは人の為のみ、己がためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯己をすてて人を救はんことを希(ねが)ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を治し、人の患苦を寛解するの外、他事あるものにあらず。
二、 病者に対しては唯病者を見るべし。貴賤貧富を顧みることなかれ。長者一握の黄金を以て貧士双眼の感涙に比するに何ものぞ、深く之を思ふべし。
三、 術を行うに当っては病者を以て正鵠とすべし。決して弓矢となすことなかれ、固執に僻せず、漫試を好まず、謹慎して、眇看細密ならんことをおもふべし。
四、 学術を研精するの外、言行に意を用ひて病者に信任せられんことを求むべし、然れども、時様の服飾を用ひ、詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大いに恥ぢるところなり。
五、 病者を訪ふは粗漏の数診に足を労せんよりは、寧ろ一診に心を労して細密ならんことを要す。然れども自ら尊大にしてしばしば診察するを欲せざるは甚だ悪(にく)むべきなり。
六、 不治の病者も仍(よ)って其の患苦を寛解し、其の生命を保全せんことを求むるは医の職務なり。棄てて顧みざるは人道に反す。たとひ救ふ事能はざるも、之を慰するは仁術なり。片時も其の命を延べんことを思ふべし。決して其の死を告ぐるべからず。言語容姿みな意を用ひて、之を悟らしむることなかれ。
七、 病者の費用少なからんことを思ふべし。命を与ふるも、其命を繋ぐ資を奪はば、亦何の益かあらん。貧民に於ては茲に斟酌なくんばあらず。
八、 世間に対しては衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも、斎民の信を得ざれば、之を施すところなし。あまねく俗情に通ぜざるべからず。殊に医は人の身命を依托し、赤裸を露呈し、最密の禁秘をも啓(ひら)き、最辱の懺悔を告げざることは能はざる所なり。常に篤実温厚を旨として、多言ならず、沈黙ならんことを主とすべし。博徒、酒客、好色、貪利の名なからんことは素より論を俟(また)ず。
九、 同業の人に対しては之を敬し、之を賞すべし。たとひ然ること能はざるも、勉めて忍ばんことを要すべし。決して他医を議するなかれ。人の短をいふは、聖賢の明戒なり。彼が過ちを挙ぐるは、小人の凶徳なり。人は唯、一朝の過(あやまち)を議せられて、己生涯の徳を損す。其の損失如何ぞや。各医自家の流有て、又自得の法あり。みだりに之を論ずべからず。老医は尊重すべし。少輩は愛賞すべし。人もし前医の得失を問ふことあらば、勉めて之を得に帰すべし。其の当否は現症を認めざるは辞すべし。
十、 毎日夜間にあたって更に昼間の接病を再考し、詳びらかに筆記するを課程とすべし。積んで一書を成せば、自己の為にも病者のためにも広大の裨益あり。
十一、 治療の商議は会同少なからんことを要す。多きも三人に過ぐべからず。殊によく其人を択ぶべし。ただ病者の安全を意として、他事を顧みず、決して争議に及ぶことなかれ。
十二、 病者曽て依托せる医を捨て、せつに他医に商ることありとも、みだりに従ふべからず。先づ其の医に告げて、其説を聞くにあらざれば、従事することなかれ。然りといへども、実に其誤治なることを知りて、之を外視するはまた医の任にあらず。殊に老険の病に在っては遅疑することあるなかれ。

 上件十二章は扶氏医訓巻末に附する所の所戒の大要を抄訳せるなり。書して二三子に示し、亦以て自警を云ふ爾(のみ)。
安政丁巳春正月
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