第4日 <7月13日(火)>
【行 程】
道の駅:なとわ・えさん →(R278)→ 函館市内Wmさん宅 →(道道・R5・道道)→ 東大沼キャンプ場(泊) <78km>
恵山の道の駅は隣がキャンプ場と公園になっており、いつもそのキャンプ場の駐車場にお世話になっている。ここは海の直ぐ傍で、絶え間なく押し寄せる波の音が少し気になるが、夜の海に遠く浮かぶ光の束の漁火は、旅情をいや増して掻きたててくれる。しかし、昨夜はそれを眺める余裕も無く、あっという間の就寝だった。
一夜明けて、早や2時には目覚めて起き出し、ブログなどを書いて、明るくなった窓の外を見ると珍しく快晴であり、ゴツい恵山の佇(たたず)まいが目にくっきりと飛び込んできた。丁度山の右手脇から、日の出から少し経った太陽が顔を出すところで、思わずその光景に見とれてしまった。生き物にとって、日の出は不変の厳粛なる感動である。
歩きに出かけることにした。ここに来る時はいつも道の駅とWさん宅を往復するばかりで、恵山の町を歩いたことがない。行ける所まで行って戻ることにして出発。邦子どのはまだ眠りの中である。外に出ると少し寒さを覚えるほどだが、実に爽やかな青空の広がりである。海には昆布採りの船が点々と浮かび、遙か彼方には薄青く大間崎辺りの山々が連なって見える。絶好の散歩日和である。
すこし歩くとウグイスの鳴き声が耳に飛び込んできた。ヤケに近くなので気になり、どこで鳴いているのかとブッシュの方に目を向けたのだが見つからない。声はすれども姿は見えず、である。ウグイスというのはその様な鳥だと思っている。ふと見上げると電線の上に1羽の小鳥が止まっている。若しかしたら、あれがウグイスなのか?と目を凝らして観察していると、「ホー、ホケキョ」という明快な一声。思わず、おう、といってしまった。電線に止まって鳴いているウグイスを見たのは初めてである。感動した。この頃は全ての動物が人間に擦り寄るようになって来ているのだろうか?熊なども人間の方が勝手に危険だと騒いでいるけど、擦り寄ってゆかなければ、餌を確保できず、熊の側から見れば、これはもう無意識の接近ということなのであろう。最近はキジバトも都会のドバトのように、平然と人間の傍で餌を探している。昔ヤマバトと呼んでいた頃は、人間の前には滅多に姿を見せることはなかったように思う。ウグイスの姿を見ることができるのは嬉しいけど、藪の中には餌が見つからなくて、人間の前に出て来ざるを得ないとしたら、それは単純には喜べないことのようにも思う。このウグイス君は、単に勇気があっただけなのか、その後も何度も鳴いてくれて、そのサービス精神に益々感動した。何度もカメラのシャッターを切ったが、あまり性能の良くないデジカメでは豆粒ほどにしか写らず、残念である。
海沿いの道を恵山岬の方に歩き続ける。左手の山との狭い台地に、細長い集落の家々が並んでいる。その多くの庭には小石を敷き詰めた昆布干し場があって、この辺りに住む人たちが昆布漁を生業としていることを示していた。昆布の産地はもっと北の方かと思っていたのだが、北海道を旅するようになってからは、次第にその認識は改まった。この北の大きな島では、至る所に昆布が自生しており、今は養殖栽培の技術も進んで、日本全国の食卓の需要を満たしているようである。所々に今朝採ってきた、未だ海水の滴る褐色の大束が置かれている家が何軒か見られた。海を眺めながら、家々のくらしのことなどを思い、更には道端の野草や軒下の草花・植木などを見ながら歩くのは、実に楽しく、嬉しい。適当な所でブレーキを掛けないと、どこまでも歩いて行ってしまいそうである。7時までには戻ることにして、山背漁協荷捌き所と書かれた建物のある港まで行き、そこから引き返すことにした。大した距離を歩いたわけではないのだけど、時々立ち止まってカメラを向けたり、しゃがみこんでの観察をしたりするので、結構時間が掛るのである。
港には昆布を満載した舟が戻って来ていて、それを軽トラに積み替えるまでの一連の作業を見学させて貰ったりした。港に入った舟は、昆布で重いので、ウインチを使って浜から引上げ、そこから軽トラに積み替えるのである。かなりの力仕事で、早朝からの昆布採り作業も大変なのだろうなと、褐色に輝く昆布を積んで走り去る軽トラ見送りながら、様々なことを思った。
昆布を積んで戻ってきた舟は、ウインチで引き上げられ、留めてあった軽トラに積み替えて運ばれる。殆どが一人作業だった。この町の人たちにとって、昆布は宝であり生命の素であるのが分る。
小石を敷き詰められた干し場一杯に並べられた昆布。これも舟一杯分分より多いのかも。このような干し場が、道端の随所に点在している。
来た道を戻るのは退屈と考えるのは、歩きの喜びや楽しみを解さない哀しい人である。かつては自分もその一人だった。しかし、今は確実に違ってきていると思う。往路と復路とでは、見る景色が全くといっていいほど違うのである。その違いを知る喜びは大きい。そう思っている。復路は敢えて旧道と思われる狭い生活道路の方を通ってみた。集落にある小さな神社に参詣などしながら、あっという間に車に戻ってしまった。いい時間だった。
今日は北海道全域の天気は機嫌が良いらしい。どうやら去年とは違う扱いをして貰えそうな気がして来た。去年といえば、震え上がるほどの寒さの北海道しか印象に残らなかった。蝦夷梅雨とやらは、内地の梅雨と違って、梅雨冷えがひと際ひどいようなので、要注意である。
邦子どのも起き出しているようだ。お湯を沸かしお茶を淹れて飲みながら、軽く朝食を済ませる。今日の予定は、函館市内にお住まいのもう一人のWmさん宅を訪ねることにしている。邦子どのが昨日連絡を済ませ、アポを頂戴している。10時半過ぎまで恵山の方のWさんと歓談した後、函館に向かって出発。
もう一人のWmさんは苗字のナベの字がちょっと違っている。ワタナベさんには4種類の違ったナベの字があるようだ。Wmさん宅は3度ほどお邪魔しており、最初はお住まいを尋ね当てるのに戸惑ったりしたが、今は大丈夫である。12時少し前に到着。1年ぶりに再会の挨拶を交わす。ご夫妻の愛犬モモちゃんも嬉しそうに出迎えてくれた。最初の時には警戒されたけど、もう大丈夫のようだ。あの時から数年経って、モモちゃんもすっかり老犬となったようだ。時間の経つのは早い。犬たちの時間は、人間のそれより遙かに高速で過ぎてゆくのを実感した。昨年仕事を引退され、ご自宅の一部を改築中だったお宅もすっかり出来上がって、駐車場の上につくられた大きなベランダからは、夜には星の観察をするのだという。その様なお話を伺い、実に羨ましいと思った。
その後市内に出向き、海辺のレストランでわざわざ格別のご馳走に相成り、恐縮する。そのお店の部屋からは、津軽海峡が見渡せて、函館山の向こうの方には竜飛崎辺りが霞んで見え、左手には恵山岬を隠す汐見崎があり、その遙か彼方に大間崎を含む本州最北端の山々が望見できた。景色も食事も最高だった。Wmさんご夫妻のお心遣いに改めて深謝申し上げたい。
食事の後は、Wmさんが昨年土地を購入され、そこで始められたという畑にご案内頂いた。70余坪の菜園の中には、小さいけどヒュッテ風の瀟洒な小屋が建てられており、伺えばなんとご主人の手づくりだという。すごいなあと、無作能力しか持ち合わせていない自分は、感嘆するばかりである。畑は、元々雑草に覆われていたものを、奥さんがスコップ一つで開墾されたという。これまた驚かされる話である。その畑には、幾種類もの野菜や花が植え育てられており、間もなく収穫期を迎えるものも幾つか見られた。畑も野菜も未だヨチヨチ歩きのようで微笑ましい感じがしたが、やがてはご夫妻の丹精が実を結ぶに違いないと思った。
そのあと、ヒュッテの中でコーヒーなどを頂きながら、楽しい歓談が続いた。畑の話から、更には人生談義に、そして話は生き方から死に方にまで発展したのだった。長い間、ヘリコプターのパイロットして、海難救助等の仕事にそれこそ命をかけて取り組んでこられたご主人の話には、深く心を打つものがあった。とてもいい時間だった。
話が弾んで時間の経つのを忘れ、気がつけば17時を過ぎていた。畑を後にして、近くの公園をご案内頂く。ここは名園の香雪園の中に含まれる一角のようで、キャンプスペースも設けられており、宿泊も可能な施設だった。機会があればここでゆっくりしてみたいなと思った。そこから車で少し行って、香雪園の駐車場に車を置き、園内をご案内頂く。初めて来る場所だが、地図の上ではおなじみである。岩舟という事業家の方が、私財を投じて造った庭園だとか。北海道らしい大変スケールの大きな公園である。現在は見晴公園と呼ばれて、市民の皆さんの憩いの場所となっている。うっそうと茂る大木の立ち並ぶ公園は、庭というイメージではなく、手入れの行き届いた森という印象だった。このような素晴らしい環境に住む人たちを羨ましいと思った。
すっかりお世話になり、Wmさん宅に戻った時はもう18時半近くになってしまっていた。あっという間の時間経過だった。いヤア、Wmさんご夫妻、本当にありがとうございました。
今日の宿泊予定場所は、勝手知ったる七飯町の東大沼キャンプ場である。Wmさん宅を辞した後は、真っ直ぐにそこを目指す。19時半頃に到着。夕食を済ませ、二人ともたちまちの爆睡となった。
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