山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第3日

2010-08-30 02:59:26 | くるま旅くらしの話

第3日 <7月12日(月)>

【行程】

道の駅:よこはま → 大間崎キャンプ場 → 大間フェリー乗り場 → (津軽海峡フェリー)→ 函館フェリー乗り場 → 道の駅:なとわ・えさん(泊) <120km>

昨夜は大荒れの天気だった。夜半から雨がひどくなり、明け方からそれに風も加わって、くるま旅にとっては、かなり賑やかな一夜となった。しかし、7時頃には雨が止んで明るくなって来たので、少し安堵した。天気が荒れるのは、民主党の敗北が絡んでいるのかなと思ったりした。参院選の結果は自分の予想を少し上回った民主党の大敗で、現在の世の中の様子を見れば、当然の結果だと思う。しかし、又々ややこしい国会運営が続くことになる。何時まで経っても何だかスッキリしない政治の世界である。

今日は午後14時20分発のフェリーに乗り、函館に上陸の予定。時間的にはかなりの余裕があるので、ゆっくりと出発の準備をする。と、その内にいつの間にか雲行きが怪しくなりだした。9時を過ぎると益々風が強くなり、雨粒も落ち出してきた。先行きの心配が膨らむ。しかし先ずは出発するしかない。むつ市を過ぎ、大畑町から風間ヶ浦を過ぎて大間に近づくにつれて、益々風雨は強くなってきた。直接フェリー乗り場に行くのではなく、今日は時間もあるので、未だ行ったことがない本州最北端の大間崎に行ってみることにした。

11時少し前に到着する。近くにあるキャンプ場の駐車場に車を止め、岬の方に行って見ることにした。幸い降っていた雨も止んで傘なしで歩くことができありがたかった。この辺りは観光場所であり、何軒かの店や食堂などが軒を連ねていた。大間に来てこのような場所を訪ねるのは初めてのことである。岬の突端には幾つかの碑が建てられており、本州最北端のモニュメントの他に、石川啄木の歌碑や天童よしみの歌う何とかいう歌の歌詞の碑などがあった。どこへ行っても岬にはある種の哀愁がある。それを心に受け止め、歌心をかきたてられた人が詩や歌をものにするのであろう。わが心は、何時まで経っても沈没したままである。

   

大間崎、マグロ一本釣りの町の碑。本州最北端の岬には幾つかのモニュメントがあるけど、最も大間町の意気込みを感ずるのはこの石造りの碑ではないかと思った。左はマグロ、右は男漁師の右腕である。

車に戻り、昼食にする。横浜の道の駅で朝一番に買ったホタテとツブ貝のおこわ弁当である。邦子どのはどうしても大間のマグロが食べたいと、近くの店から数切れのマグロの刺身を買ってきた。本物の大間のものなのか、疑念を抱きつつも美味いうまいと食べていた。信ずる者は救われるのである。どこのものだって、美味いと思って食べるのが一番。大間のマグロだって、どこで生まれてどこを回遊しながら育ってきたのか、マグロ君本人だって覚えていないに違いない。

まだかなり時間があるので、しばらく一眠りすることにした。1時間ほど横になったのだが、時折車を揺さぶるほどの風が吹き、とても眠る気分になれなかった。そんな時なのに邦子どのといえば、気にもせずに眠っているので驚いた。やっぱり薬の作用の所為なのかも知れない。風雨があまりにもひどくなってきているので、これでは若しかしたら欠航になるのかも知れないと心配になり、少し早いけどフェリー乗り場に行くことにする。

フェリー乗り場には、思ったよりも多い車が並んでいた。でもキャブコンはたった1台しかなかった。トラックもなく、殆どがワンボックスか乗用車だった。待ち会い室に行ってみたが、欠航の案内もなく、その様な雰囲気は全く見られなかった。既に切符の販売も開始されており、我々も手続きを済ました。ネット予約には、スマートチエックインというのがあり、所定の機械になにやらの印刷マークをかざすと、即座に切符が出てくるのである。真に便利な世の中になったものだ。昨年はこの要領が良く分らず、予約の券を持ちながらウロウロしていたのを思い出す。今年はもう大丈夫。

相変わらず海は荒れ模様で結構白波も立っていたが、船の方は大丈夫のようである。出航は14時20分。定刻通りである。揺れるかと思ったが、大したこともなく津軽海峡を1時間40分の航海だった。フェリーの中ではいつも2F後部のラウンジにいることにしている。眠る気にもなれず、友人などにメールを打ったり、これから先の地図などを確認しているうちに、いつの間にか函館山が見え出していた。どうやら大間よりも函館の方が天気はずっといいようで、回復の兆しがはっきりしてきた。

函館に上陸後は、先ずは恵山のWさんに挨拶をしなければならない。特に強制されているわけではなく、自分たちが勝手にそう思い込んでいるだけなのだが、恵山のWさんは我々にとっては、北海道上陸の第一番目の関所のお代官様的存在で、函館に上陸している限りは、必ず真っ先にご挨拶に参上することにしている。今回も上陸の後は、今夜は恵山の道の駅に泊ることにして、すぐお近くにお住まいのWさんを訪問するつもりでいる。

1年ぶりの函館は、昨年とそれほど変わっていないように見えた。といってもいつも通る道は決まっており、そこから眺める景色だけの印象であり、変わる方がおかしいというべきかも知れない。全体的には今の世の不景気の風の下で、今日の曇り空のようなムードを漂わせている感じがした。湯の川温泉の辺りも、お客さんの入りは今一の感じがした。尤も休日開けの平日なので、今日は休憩といった感じなのかも知れない。1時間ほど走って恵山の道の駅に到着する。

いよいよ今回の旅の始まりである。1年ぶりの恵山の海は、いつもと同じ様に砂浜に規則正しい波音を砕けさせていた。泊りの準備をして少し休んだ後、Wさん宅にご挨拶に出向く。たった1分ほどの距離である。ご夫妻お二人ともお元気そうに迎えて下さった。驚いたことにご主人は最近カナリヤや十姉妹などを飼い始めたということで、玄関先には幾つもの鳥かごが在り、早や眠りに入ったのか、小鳥たちは静かに休んでいたようである。知人からの勧めでカナリヤを飼うことになったのがきっかけだとか。これではしばらくはくるま旅はできないですねというと、もうそのつもりで旅車は車検を休眠させる手続きを済ませているとのお話だった。ま、そのような話を皮切りに、1年間のご無沙汰を埋めるべく、話題は様々に飛び火して、楽しい歓談の時間が続いたのだった。

コメント
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