第4日<10月18日:火> 天気:曇り時々晴れ
<行程>
道の駅;あらい →(R18)→ 道の駅:しなの[長野県上水内郡信濃町] →(R18・K36)→ 戸隠神社参拝(奥社・中社・宝光社)[長野市戸隠]→(K76・K86・R406・K36・K31)→ 道の駅:ぽかぽかランド美麻[大町市美麻](泊) 走行84km
<レポート>
あらい(新井)の道の駅からは妙高山が見えるはずなのだが、今回も雲の衣装をまとったままその全容を見せてはくれなかった。新井市は、現在は近隣の町村を合わせて妙高市となっている。まさに妙高山が取り持つ縁で一つになった市だとも言えるのだが、肝心の妙高山はいつ来ても機嫌が悪いらしく、すっきりと山頂まで見せてくれるのは少ないのが残念である。もう7合目くらいまで紅葉が進んでいるのではないかと思うけど、今朝は山がそこのあることさえ気づかせてはくれない状態だった。この道の駅には何度もお世話になっている。すぐ傍を上信越道が走り、この道の駅はそのSAと連動したハイウエイオアシスとなっており、構内には数多くの食関係の店が並び、ホテルまでもが備わっている。しかし、くるま旅の者から見ると、給排水の設備は無く、ゴミ処理もしづらくて、買い物だけさせて、その後始末を無視したアンバランスさが目立つ感じがする。道の駅の殆どが同じような状況なので、文句を言うわけにはゆかない。トラックヤードが離れているので、夜間の騒音が少なくて済むのは幸いだった。
旅も4日目となり、早や日程の半分をこなすところまで来ている。今日は戸隠神社の参拝だけを予定している。それが終わったら山の中の道を辿って、大町市にある未だ行ったことのない道の駅:美麻に行き、そこの温泉に浸って疲れを癒すことにしている。
当初は戸隠神社参拝の前に、黒姫山山麓にあるコスモス園を訪ねて、花いっぱいの秋の風情を楽しもうと思っていたのだが、コスモス園の営業は既に終わってしまっている。それでも未だ少しは咲き残っているのではないかと密かに思っていたのだが、ここまで来る途中に、北国の山の方を通る時見たコスモスは、やっぱり枯れかかっていて、僅かに残りの花を咲かせているのが殆どだった。黒姫高原はかなり標高も高いから、恐らくもう行って見てもがっかりするだけだと思って行くのは諦めたのである。
道の駅を出発して30分ほど走って、長野県に入り県境近くにある道の駅:しなのに立ち寄る。地元の野菜売り場を覗いたら、珍しくトウモロコシがあったので、即買い入れる。今の時期にトウモロコシだなんて、関東の守谷辺りでは考えられない話だ。これが今年最後のトウモロコシの味わいとなるなと思いながら、昼にでも茹でることにしようと思った。リンゴも魅力的で、買うのを誘惑してきたが、未だ先があるので、こちらの方は控えることにした。
戸隠神社(奥社)に参拝する
戸隠神社に行くには、信濃の道の駅を出て、R18を少し走って、県道の36号線を行くことになる。戸隠には随分昔にキャンプに来たこともあり、神社にも参拝しているし、植物公園の鏡池なども散策したことがあって、何となく親近感を覚える場所だ。今日は以前に行った時とは反対方向からの道を行くことになり、これは初めてのことである。こちらから行くと最初に奥社を参拝し、そのあと中社、宝光社という順序になる。
県道36号線は、しばらく民家の点在する中を走っていたが、次第に高度を上げ、山の中へと入って行った。最初は殆ど紅葉も見当たらない山道だったが、その内にかなり登って来たのか、道の両側に鮮やかな漆や蔦などの赤や黄色の紅葉した樹木などが見えるようになった。更に高度を上げて上って行くと、山全体が紅葉している場所に出会った。思わず車を止めてその景色を写真に収める。ここで今年初めて本物の秋に出会った感じがした。一息入れてしばらく走ると、間もなく奥社の入口にある駐車場が見えた。
戸隠神社へ向かう途中の県道脇の楢やカエデの紅葉。この辺りはかなりの標高にあるのであろう、紅葉は本格化していた。
入口から奥社までは2kmほど、と駐車場管理の方から貰った案内書に記されていた。戸隠神社に以前参拝したのは、何年前だったろうか。今の旅車の前の時なので、20年も前のこととなるのだろうか。その時の記憶は曖昧で、印象に残っているのは、鬱蒼とした杉の大木の並ぶ参道だけだった。参道を2kmも歩いたことなどは全くどこかへ飛んでしまっている。
初めは大木の多い雑木林の中を行く参道が続いていた。道の片側には小さな溝が切られていて、きれいな水が流れていた。どこかで何という名の鳥なのか、小さな鳴き声が聞こえてくる。森の空気はすっかり浄化されていて、気持の洗われるような歩きが続いた。まさにここはイヤシロチ(=癒代地)だなと思った。どのような神社やお寺でも、昔の人々はイヤシロチに社を建て祀ったという。お寺や神社に参詣して気分が悪くなるような場所を聞いたことがない。樹木たちが共生していて、そこへ行くと人々は心も身体も浄化されるのである。それがイヤシロチというものである。千年以上の歴史を持つ戸隠神社は、イヤシロチの中でも飛び抜けた存在の一つだったに違いないと思った。
戸隠神社参道。このような道が約1kmほど続く。この辺一帯は長野県の天然記念物に指定されているとのこと。
1kmほども歩くと随神門の掲額のある萱葺の赤い門があった。何時頃建てられたのだろうか。20年ほど前に来た時も同じような姿をしていたのであろうけど、記憶には残っていない。
戸隠神社随神門。茅葺の屋根が付いており、古来から伝わる雰囲気が漂ってくる。
随神門から先はしばらく200本の熊杉が植えられた参道となる。樹齢400年を超える風格のある杉たちである。
この随神門からはしばらく両側に杉の巨木の並ぶ参道となり、やがてそれが途切れる辺りから坂が次第に急になり出した。自分は、この夏毎朝2000段近くの石段の昇降を繰り返しているので、この程度の坂は何ともないのだが、普段あまりこのような道を歩いていない家内にはかなり負担の大きい上りとなるので、大丈夫かと少し心配になった。しばらく待っていると、ふうふういいながら上って来たその人は、近くまで来るとギブアップを宣言した。
奥社に近付くにつれて石段となり、傾斜が増してくる。この辺りで息が上がる人が多いようだ。
あと100m足らずという場所なのだが、胸がドキドキして気分が悪くなったという。ここまで来て簡単にギブアップするとは!? でも、家内には大病をしたというハンディがあり、無理を強いるととんでもないことになるという危険もあるので、少々困惑した。とにかく何回か深呼吸をして、落ち着いたらゆっくりと歩ける分だけ歩いて、苦しくなったらそこで再び深呼吸をするという歩き方を繰り返して、もう少しチャレンジしてみるように話した。その結果、無事奥社の社まで到着することが出来た。着いてしまえば、先ほどまでのギブアップの騒ぎはどこへ行ったのやら、何事も無かったように写真を撮りまくっていたのには、さてどうコメントしていいのやら。とにかく奥社に参拝できて目的を果たせたので、先ずは目出度しということにしておこう。
戸隠神社奥社。コンクリート造りのようで、何だか現代風の感じがして、やや拍子抜けの感は否めない。
奥社は思ったよりも小さな社だった。何時頃建て替えられたのか、戸隠信仰のシンボルとしては、もっと貫禄があってもいいような気がした。ここは元々はお寺だったと聞くが、明治の廃仏毀釈の悪政のあおりを食って、神社に変更したという歴史があると聞く。明治維新は歴史的には新しい日本をつくる上で多くの価値ある努力がなされたのだと思うが、幾つかの負の部分もあり、廃仏毀釈や城郭の破却などは、後世になって考えれば愚策だったと思わざるを得ない。神社に鞍替えする前の戸隠の信仰は、恐らく現在の奥社のようなレベルではなく、もっと壮大なものだったような気がする。
奥社の脇に九頭龍神社があった。由緒書きによると、天照大神が窟に御隠れになった時に、窟の戸をこじ開けたという怪力の神、天手力雄命を勧請して祀ったものだという。神話の世界は不思議で面白い。高千穂を訪ねた時に、集落の夜神楽で観た手力雄命の勇壮な舞いを思い出したりした。
奥社の脇にある九頭龍社。小さな社だけど、それなりに風格のある建物だった。
さすがに名の知れ渡った神社だけあって、参拝の来訪者は後を絶たず、参道はかなりの人の行列が続いていた。観光バスに乗ってやってきた人の中には、既に一杯聞こし召して赤い顔をした人も混ざっており、遊びでいい加減な参拝をするのは不敬な振る舞いだなと思ったりした。尤も、酒の臭いに触発されたのか、一匹のスズメバチらしき奴が、しつこくその肥満した男をつけ狙ってまとわりついていたのは、ちょっと気の毒な感じがした。
参拝の後は、ゆっくりと石段を下りて、参道を戻る。秋が深まる前の参道を包む森の樹木は、紅葉には今一で、それでも既に黄色や赤に色づいたものもあり、間もなく冬が近づいてくるのだなあと思いながらの歩きだった。冬の戸隠は、やはり雪の中なのだろうか。冬には旅の活動を控えることにしているので、雪国の景色は解らない。間もなく入口に到着して参拝を終える。
戸隠神社は奥社だけではなく、中社、宝光社、火之御子社などがある。当初参拝するつもりでいたのだが、そのあと近くまで行っても、残念ながらどこも駐車は満杯で、車を止めることができず、後日に参拝することにせざるを得なかった。でも、奥社に参拝しただけでも戸隠信仰の凡そは察知できるような気がした。
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