山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第96回>

2018-08-29 05:20:23 | くるま旅くらしの話

【今日(8/29:水)の予定】 

道の駅:マオイの丘公園 →(R274・R5・R231・D)→ 石狩砂丘の風資料館 →(D・R231他)→ 厚田郷土資料館 → その先未定

 

【昨日(8/28:火)のレポート】 天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:サンフラワー北竜 →(R275)→ 道の駅:田園の里うりゅう →(R275・D・R12・D)→ 南幌町郷土文化資料室 →(D他)→ 北広島市エコミュージアム知新の駅 → 道の駅:花ロードえにわ →(R36・D)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

<レポート>

 北竜の道の駅の朝は、小雨というのか霧雨というのか細かな雨が寒さを引き寄せている感じの曇天だった。いつものように付近を1時間ほど歩きまわる。田園地帯の細道を辿ったのだが、奥手のひまわりなのか、今が盛りと咲いている畑があったので、嬉しくなってシャッターを切った。ひまわりの花は、皆一斉にこちらを向いて咲いている感じがして、他の花たちとは少し違う感じがするのは自分だけなのだろうか。北竜町が何故ひまわりを取り上げたのかは分からないけど、決して間違ってはいないと思った。

まだ元気に咲き残ってくれていた畑があったので嬉しくなった。町起こしの花には、ひまわりや菜の花など、黄色系のものが多いようである。

  道脇の畑には所々蕎麦が植えられていて、そういえば美瑛の丘も夏期は蕎麦の白い花の畑が幾つもあったなと思い出した。今では、信州の蕎麦も北海道での契約栽培となっているものがあり、北海道の農業の底力のようなものを感ずるのである。間もなく収穫期を迎えている蕎麦畑は、やや濁った色の白だった。こうして朝霧の田畑を歩けるのは幸せだなと思いながら車に戻る。

 今日は空知エリアで残っている奈井江町と南幌町の郷土館を訪ねたあと、北広島市の郷土館を訪ねる予定にしている。その前にもう一度雨竜の道の駅に寄って、野菜類などを見てみることにして出発する。間もなく今月も終わって、9月となる。心なしか、朝夕の涼しさが少し厳しくなり出している感じがする。昨夜も夜中に長袖の寝間着に着替えようかと思ったのだが、めんどくさい気持が勝ってそのまま薄着で朝を迎えたのだが、明日はそうはゆかない感じがする。刻々と秋が近づいているのだ。周辺の田んぼの稲も、いつの間にか頭を垂れ始め、色づきが進んでいるのが判る。

 雨竜の道の駅で一休みした後、やっぱりこれ以上枝豆やとうきび等を買うのは止めにして、出発する。奈井江には30分ほどで着いたのだが、ナビが番地まで入らないため、代表地点で向かったのだが、どこを見ても肝心のそれらしき建物が見当たらない。一旦諦めて近くにある道の駅に行ったら、案内板にちゃんと載っていたので、再度近くまで行ったのだが、やっぱり見つからない。もういいやと止めることにして、道の駅でおにぎりを結んでくれると書いてあったので、それをゲットしようともう一度行ったのだが、何とその店は休みだったのである。二重に不明なことばかりに見舞われて、何だか腹が立ってきた。ナビも気に入らないし、奈井江町の案内板も気に入らない。自分の思い通りにならないと無性にひねくれるのは自分の特徴なのだから仕方がない。邦子どのにバカにされて益々腹が立った。

 そのあとは南幌町の郷土館を目指す。腹を立てても安全運転だけは常に確保しなければならない。スピードに注意しながら走って、間もなく三笠市の道の駅に到着する。少し早いのだが、軽めの昼食を摂ることにして休憩。自分は特大のおにぎりを1個買って食べることにした。1個400円近くもするそのおにぎりは、鮭と明太子が入っていてなかなか美味かった。カロリー計算すると、多分6単位の480Kcalくらいはあったのではないか。明太子は自分には要注意の食物なのだが、おにぎりの中に入っていたので、排除する訳にはゆかない。喰い得というものであろう。糖尿病患者は真につまらない。

 一休みのあとは一路南幌町の郷土館へ。南幌町の名は知っているけど、その中心街を訪ねるのは今日が初めてである。着いて見ると、黄色を中心に塗られた建物は、どうやらその昔の学校の校舎だったらしく、かなり大きな建物だった。中に入ると、2階が郷土資料館となっていた。町の来し方が順を追って丁寧に説明されていた。ここは元は幌向村と言っていたのが、昭和37年に町制をひく際に南幌町と改称したとか。幌向は何と読むのか判らなかったが、資料に展示されていた牛乳パックや乳製品にホロムイと書かれていたので、そう読むのだなと理解した。ここは比較的札幌にも近いロケーションなので、この先も都市化の波が押し寄せて大きく変化するのではないか。何となくそう思った。町の歴史のことはここでは省略する。

 南幌町の郷土館を出たあとは、北広島市のエコミュージアム知新の駅という所に向かう。郷土資料館的な役割を果たしている施設の様である。行って見るとここは広葉交流センターという建物の中にあって、この建物も多目的に使われているようで、独立していないので、何となく所在が分かり難かった。知新の駅というのも何となく分かるような、分からない様な名称だなと思った。知新の駅は2階にあって、階段を上ると事務所の隣の部屋でビデオでの歴史や自然の紹介がされていた。それはあとで見ることにして、奥の方の展示室に行って見ると、年表のほかにこの北広島の開拓に当って特に功績が大だった3人の人物についての詳しい説明がなされていた。和田郁太郎と中山久蔵、それにW.S.クラークの3名である。和田郁太郎は、広島県から20数名を引き連れてこの地に最初に入植して成功に導いた人、中山久蔵はこの地での米作りに成功した人物で、その後の北海道全体の米作発展に大きく貢献した人物、そしてクラーク博士といえば、彼の「青年よ大志を抱け」で有名である。この三人の方の功績が今日の北広島市の礎となっているとのことだった。それ以外のことについてはあまり力を入れている様子は見られなかった。このお三方で十分ということなのかもしれない。そう思いながら知新の駅をあとにする。

 そのあとは、ジャガイモの入荷状況を見ておこうと、恵庭市の道の駅に寄る。売り場を覗いたら、箱入りのジャガイモはまだ最盛期には至っていないようだった。いずれもう一度ここへは土産のジャガイモを買い入れるために来る予定なので、今日は直ぐに離れて、今日の泊りを長沼町の道の駅:マオイの丘公園にすることにして向かう。昨日買い入れた枝豆ととうきびを茹でなければならないので、こち他の道の駅の方がやり易いのである。

 15時半頃到着して一息入れたあと、早速茹でる作業に取り掛かる。これらは全て自分の担当である。傍を通りかかったどこかのおばさんが、自分が枝豆を茹でながら食べているのを見て、笑いながら通り過ぎて行った。老人がそのような作業をするのは珍奇に見えるのかもしれない。1時間ほどかけて作業が終了し、早速ビールで一人乾杯。邦子どのはどこかへ出かけていた。

 夜になってかなり寒くなってきた。天気も雲がすっぽり空を覆って、もしかしたら今夜は雨が降るのかもしれない。長袖の寝間着に着換える必要があるなと思いながら、夜を迎える。あとは眠るだけ。

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