山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第8回)

2013-11-24 20:30:23 | 筑波山登山の記

<第8回 登山日 2013年11月24日(日)>

 前回から中4日置いてのチャレンジとなった。その理由は二つあって、その一は前回の登山で、帰宅後のふくらはぎの痛みが予想以上だったのを克服するために、痛みが薄らいだら直ちに再挑戦して、筋肉を登山向きに鍛え直す必要があったこと。その二は、今まで7回登山しているけど、ただ一度も頂上でのご来光を拝んだことが無く、そろそろそれを味わいたいなと思ったこと。この二つである。

足のふくらはぎのことだが、普段は毎朝16kgを身につけて90分ほどの歩行鍛錬を続けており、これは4月以来なので、そうそう足の筋肉が痛むなどということは無いのだけど、登山の場合は使う筋肉が違うため、このような現象が起きたのだと思った次第。それならば、ふくらはぎの痛みが消え次第、再度登山に挑戦することによって、筋肉に馴れさせる様にすれば、それ以降は連続して登ってもふくらはぎが痛むことなどあるまいと考えたのだった。このような考え方は、若い頃からいろいろ取り組んだ運動の強化訓練などで体験していることであり、老人になっても未だ多少はその成果があるのではないかと思ったのである。筋肉というのは、あまり虐めると壊れてしまうけど、甘やかすと強くならないものである。だから、痛んでいる間はそっとしておき、それが消えたら同じくらいの負荷をかけてそれに馴れさすことが必要なのだ。ま、我が身に課す人体実験のようなものである。

ご来光のことは、登山をする人なら誰でも何回かは味わった荘厳な体験ではないかと思う。どんな山でも、そのてっぺんから迎え見る日の出は荘厳である。この地球に生かされているというのを実感できる時間なのだ。毎回というわけにはゆかないけど、もう7回も登っているのだから、そろそろあの荘厳な日の出を拝してみたいと考えたのだった。ただ、問題があるのは、日の出を見るためには、暗闇の中を歩かなければならないということである。勿論懐中電灯などを持参しなければならないのだが、安全のことを考えると、登山コースを良く知っていなければならない。それで、今まで7回も同じコースを歩いているので、まあ、なんとかなるだろうと考えたわけである。昨日思い立って、今日実行というわけなので、ヘッドランプなどの装備も用意してはおらず、頼りとするのは、百均で買った懐中電灯一つだけだった。新しい電池を入れ替えて、一応は万全を期したつもりである。

早朝3時15分に家を出発。いつもの駐車場に着いたのは、4時15分頃か。直ぐに登山靴に履き替え出発する。15分ほど歩いて、登山口へ。ここまでは街灯などの照明があって、懐中電灯など無くても歩くに不自由はしなかったのだが、ここから先は杉林の中の道となり、懐中電灯無しでは前進は無理である。慎重に灯りを点して歩を進める。10分ほど登ると、杉の根元の剥き出しだったのが無くなり、大小の岩がゴロゴロ点在する道となる。勝手は知ってはいても、コースの全てが頭の中に入っているわけではなく、時々、ドン詰まりの道を選んだりしてドジを踏んだりした。

30分ほど登って、ケーブルカーの中間点に着く。この辺りは樹木が途切れていて、頭上に半分くらい欠けている月が輝いているのが見えた。怪しげな人間の動きに目覚めさせられたのか、名も知らぬ鳥が警戒して鳴いている声が聞こえて来た。月の光が届いたのはほんの少しの間で、再び暗闇の中の前進となる。どれくらい暗いのか、試しに懐中電灯を消して見たら、まぁ、真っ暗闇に近い暗さだった。足元などは全く見えない。もし懐中電灯が壊れたりしたら、これじゃあ歩くのは無理だなと思った。馴れた道なら、暗い夜は足元を見るのではなく、上の方を見て空の光りを利用して歩く方が歩きやすいのだけど、ここは樹木が多すぎるため、上を見ても見える筈の空が無いし、足元の岩が多すぎるのである。

もう何年も暗闇というものを体験していない。現代では暗闇というのを知らない人が多いのではないか。それを恵まれているというべきなのか、不幸というべきなのか。自分が子供だった60数年前までは、都会を除けば田舎のどこにでも夜にはたっぷりの暗闇が残っていたのである。それが今では、都会でも田舎でも夜間に天体望遠鏡を覗ける暗闇が殆ど存在しない。お化けも妖怪も、今の時代は夜には存在せず、皆真昼間の建物の影などで蠢いている様な気がする。性質(たち)の悪い奴らばかりで、それらは殆どが皆人間と同じ顔をしているから恐ろしい。

久しぶりの暗闇の中で、あれこれと妖怪たちのことなどを思った。真っ暗な山の中に一人でいるのだから、本当は恐怖心の様なものが働くのだろうけど、自分的にはお化けや妖怪というのは友達関係が出来やすい存在だと思っているので、少しも怖くは無いのである。筑波山は信仰の山だから、それほど悪質な者(の)は棲んではいないのではないかと思っている。1時間ほど懐中電灯の光を頼りに歩き続けて、男女川(みなのがわ)の源流地点に到着する。ここまで来るとケーブルカーの頂上駅のある御幸ヶ原迄もう少しである。5時50分、御幸ヶ原に出る。少し明るくなり出して来て、もう懐中電灯は不要となった。

思ったよりも汗をかいてしまったので、ベンチにリュックを下ろして着替えをすることにした。裸になるとさすがに寒い。調べたところでは、今日の日の出は東京で6時23分となっていたので、筑波でも大体その頃にご来光が拝めるのであろうと思った。東の空の方には、柿本人麻呂の詠んだあのかぎろい(=東の野にかぎろいの立つ見えて、……)の曙光が冷えた橙色を燃え立たせていた。少し雲が横たわっているようだけど、日の出を見るのに支障は無い様である。シャツと上着と着替えて女体山頂を目指す。15分ほどゆっくり歩いて山頂へ。6時10分となっていた。先着の登山者たちが10名ほど山頂付近に陣取っていた。女体山の山頂は大きな尖った岩の塊があるだけなので、足場が悪く10人も座ればもう入り込む余地は無い。少し下がった場所から日の出を待つことにした。反対側の西の方には少しボヤけているけど、富士山が望見出来た。登山の証明にと女体山御本殿の写真を撮る。

      

筑波山、御幸ヶ原からのかぎろい。夜明け・日の出前の東の空は赤く染まって燃え立っていた。

        

今日の登山の証明としての、筑波山女体山御本殿の様子。日の出前の時刻だけど、きりっとした風格がある。

      

ご来光を待つ女体山頂の人たち。15名ほどが心を弾ませながらその時の到来を待ち望んでいた。

6時23分になっても太陽は顔を出してくれなかった。恐らく横たわった雲が邪魔をしているのであろう。それから5分ほど経って、ようやく東の空の光がその量を増し、やがて、きらめく陽光を固めた太陽がその一端を見せ始めた。それはぐんぐんとせり上がって、光の束を大空に広げ始めた。ご来光の瞬間である。母なる太陽の何という荘厳な姿であろう。息を呑むような感動の時間だった。何枚もの写真を撮った。3分ほど経つとその荘厳なる儀式は終り、いつもの朝が始まったというムードに変わった。

      

筑波山女体山頂から迎えたご来光の様子。霞ヶ浦の遥か彼方からせり上がる太陽は、何とも言えない荘厳な存在だ。

久しぶりのご来光を拝して、先ほどまでの暗闇の中を辿って来た苦労が報われた感じがした。今回は足の方も全く痛みは感ぜず、この分だと下りも大丈夫だ思った。それから1時間ほどで下山を終え、車に戻る。今日は日曜日とあって、今朝来た時は数台だった駐車場は既に満車となっていたのに驚いた。下山の途中に大勢の方たちに出会ったけど、子供連れの人たちも多くて、深まった秋の山歩きを楽しむということなのであろう。念願のご来光を拝し、ふくらはぎも痛みを克服してくれて、十二分に満足した今日の登山だった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 筑波山登山の記(第7回) | トップ | 筑波山登山の記(第9回) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

筑波山登山の記」カテゴリの最新記事