山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第9回)

2013-12-02 01:25:07 | 筑波山登山の記

<第9回 登山日 2013年12月1日(日)>

 先回から1週間置いての、ご来光を拝する2回目の登山を敢行した。先回の感動をもう一度味わいたいという思いが強くなっていて、それに足の方もかなり自信がついてきたので、なお、試してみたいという気持ちが膨らんだ次第。加えて今回はリュックを新調し、更に夜間登山用のヘッドランプも買い入れたので、それらを早く使ってみたいという思いが登山を急かさせた様でもあった。

筑波山でご来光を拝するのは、女体山の方に限ることになる。男体山の方は低いというだけではなく、ちょうど太陽が出る方向に女体山があり、それが邪魔してご来光を拝することが出来ないのである。今まで男体山→女体山→男体山、と交互に登って来たのだが、今回初めてその順序を狂わせて前回に引き続き女体山に登ることになった。ま、それほど真面目に順序を守ることもあるまいとは思う。しかし、幾らこの身が男であるといっても、これから先女体山ばかりというわけにはゆかないので、今後は暗闇登山は女体山へ、そうでない登山は男体山へということになるように思っている。しばらくは、暗闇の方に取りつかれる予感がする。

さて、今回も3時半に家を出て、4時半に梅林の駐車場に車を留めての登山となった。先ずはヘッドライトの方だが、確かに両手が使えるので便利である。しかし、山中の暗闇の中に入ると、足元ばかりを照らしていると先が見えなくなり、その様子が判らなくなるので、何度も頭を上げて少し先を照らすようにしなければならず、これが結構面倒なのである。つまりかなりの首の運動をしなければならないのだ。馴れている人は、もう一本懐中電灯を用意して、時々それを使って前方の確認をしている様である。自分も次回からはそのようにした方が良いなと思った次第。それから新調したリュックの方は、背中の背当てとリュックの間に空気が通るように作られているので、こちらは背負うについては楽チンである。着替えくらいしか持参していないので、殆ど重さは感じない。毎日の鍛錬の時の15キロの重さを思うと、着替えを2回分詰め込んで背負っても、重さは無いのと同じ感じである。

というわけで、途中何のトラブルもなく、順調な歩きだった。前回は半分以上が残っている月の明るさがあったのだけど、今回は26夜を過ぎて月の明かりは全く気付かなかった。5時半を過ぎてケーブルカーの頂上駅のある御幸ヶ原近くまで登り来たって、ようやくうっすらと空が明るくなり出すまでは、暗闇の中をひたすら登り続けた。このコースでは、御幸ヶ原近くなって階段が700段近くも続いており、それに足がかかり出すと、もう少しだなと判ると同時に、いよいよこれから汗を掻かせられるなと、気合いが入るのである。もう9度目となるので、コースの大体は頭に入り出している様である。

御幸ヶ原に着いて、今回は着替えを女体山下の小さな広場で行うことにして、そのまま歩き続けた。6時15分過ぎ、着替えを終えて山頂へ。日の出は6時30分過ぎである。先着の人たちが10人ほどいて、その中にはラジウスで湯を沸かして飲んでいる人もいた。超狭い岩場なので、そのような行為は如何なものかななどと思いながら、写真を撮るための足場を確保しようとしていたら、足元が滑って、転倒してしまった。近年にないドジである。何しろ相手が土ではなく、石なので、勝てない。身体の何カ所かを打ちつけて、こりゃヤバイなと思った。直ぐに立ち上がって様子を見る。転倒しても誰も何とも思っていないらしいのは、さすが茨城県民の登山者だなと思った。死にそうになったレベルならば、一言声をかける人がいるのかもしれない。茨城県人というのは私語が好きな者が多く、知らない人には無関心という特性を持つ様だ。それは自分が茨城県人なので、解るのである。但し、自分は私語はしない。

      

今日の筑波山(女体山)山頂からのご来光。大きな光の下方に丸く小さく写っているのは、霞ヶ浦に映った太陽である。

幸い大したことはなさそうで、下山は大丈夫だと思った。格好悪いので、何でも無かったふりをして、写真を撮り続けた。5分ほどでご来光のショーは終り、下山を開始する。打った箇所が歩きに影響しないかを慎重にチエックしながらの下山だった。足の方は大丈夫だが、どうやら左腕の肘の辺りがべとつくのは、打った弾みで出血でもしているらしい。ま、この程度なら大したことは無いだろうと、そのままゆっくりと下山を続ける。

ここでもう一つのトラブルが発生していた。それは、右手の中指の感覚が無くなっているということだった。何年か前から、寒い時期に両手を冷やしたままにしていると、手袋などをしていても指先の感覚が無くなり出すのである。これは糖尿病の合併症の兆しなのかもしれないと注意はしているのだけど、特に中指の先が酷くて、感覚が無くなり、血の気も失せるという状態となってしまう。今回は寒さの中でカメラのシャッターを切り続けていたので、それが影響したらしい。凍傷の前触れの様な感じで、そのまま放置していると凍傷と同じ結果になりはしないかと気になった。息を吹きかけ、マッサージをしてもなかなか元に戻らなかった。あれこれ温める工夫をして、ようやく元に戻ったのは、下山を半分経過した頃だった。今後はポケットにカイロを持参する必要があると思った。老人は厄介だなと改めて思った。転倒はするは、凍傷になりかかるはと、思い通りにならぬ我が身をじれったく思うと共に、あらかじめのメンテナンスを慎重に行う必要性を感じたのだった。

8時15分、駐車場に到着する。今日も日曜とあって、駐車場はほぼ満車に近かった。隣にある空き地の駐車場には、ぐるっと冬桜が囲んで植えてあって、それらが今、満開の花を咲かせていた。今日は大きなドジを幾つも踏んでしまったので、帰りの運転は特に気をつけようと車を発進させる。帰宅は9時過ぎ。今日の登山はこれで終わり。肘が治ったら、又出かけるぞ。

      

梅林駐車場の道路を挟んだ反対側の駐車広場の周囲には10本ほどの冬桜が植えてあり、それらが一斉に小さな愛らしい花を咲かせていた。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 筑波山登山の記(第8回) | トップ | 筑波山登山の記(第10回) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

筑波山登山の記」カテゴリの最新記事