山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

新年会出席雑感

2012-01-12 09:46:34 | 宵宵妄話

 

 先週土曜日に、毎年恒例の高校卒業時のクラス会を兼ねた新年会が開催され、県都水戸まで往復しました。54回目の新年会でした。高校を卒業したのが1959年3月ですから、計算では今年が53年後となりますが、この新年会がいつから開始されたのかは自分には判らず、誰かがそう言っているのを信ずることにしています。もしかしたら卒業する年にも開かれているので、通算回数が一つ多いのかもしれません。ま、そんなことはどうでもいいことで、多少自慢してもいいのかなと思うのは、半世紀以上も続いていることです。

 

 世の中には様々な新年会がありますが、学校卒業時以来毎年開いているものはそれほど多くはないと思います。数人の有志だけの集まりならばそれなりに存続しているのかもしれませんが、我々の場合は毎年今でも往時のクラスメンバー全員に連絡をして、半数近くの出席を得ているのですから、かなり珍しい存在ではないかと思います。

 

 この新年会のことについては、最近は毎年この時期になるとついつい書いてしまっていますので、これはもう老人の繰り言の一つなのかもしれません。そうは思いつつも、最近は少しずつ繰り言の快感を覚えるようになって来ています。ま、自分で気に入っている自慢ごとというものは、必要以上に口に出したくなるものであり、それは普通の人間の習いというものでありましょう。この新年会は、この頃は我が生涯の一つの誇りのようなものに育ちつつあるのです。何というのか、かつて少年クラブだったものが、やがて青年クラブとなり、更に壮年クラブを経過して、今は老人クラブになりかけているといったところでしょうか。私自身、この同一メンバーによるクラブの成長プロセスの全てに係わって来たわけではないのですが、壮年の頃から出席し始めて、今はもう毎年不可欠のものとなって来ています。

 

 ところで今回の集まりは当初17名の出席予定でした。それが開催日の直前までに2名の辞退の連絡があり、結局15名の出席となりました。辞退を余儀なくされた二人は、いずれも体調を崩したもので、風邪などの軽微なレベルではなく、それ以上に心配の大きな症状だったようです。また、この日の宴の途中で、貧血で気分が悪くなった者も居て、若い頃とはお互い大分違うようになっているのを改めて実感したのでした。メンバーの殆どが6回目の歳男を迎えており、ここまで辿り着くとなると、体調不全というのは誰にも身近に付きまとっている災厄なのかなと思った次第です。

 

 今年の新年会の話題といえば、何といっても昨年3月11日発生の大地震、大津波、原発事故のことに集中しました。出身が水戸であり、高校卒業後の学び舎も東北や関東が殆どですから、身内親族をはじめ知人等が被災に無関係の人は皆無といっていい状況でした。奥さんの実家が全て津波で流された人、震災で壊れた家の中の四方の壁の修理は終えたけど未だに屋根等の修理に手が届いていない人、修理のために300万円を超える出費を余儀なくされた人等など、話を聞く度に胸が痛くなる思いの連続でした。そのような話の中でたった一つ救いだったのは、亡くなった方が居なかったということだけでした。

 

大災害に係わること以外の話題といえば、やはり健康のことや趣味の話など日頃の暮らしぶりについての披歴や報告が殆どでしたが、中に一つだけ老人とは思えぬ話題がありました。そのことをちょっと紹介したいと思います。

 

我々のクラスは元々理系の進学コースであり、その進学先も理工学部等が殆どでした。文系の方に進んだ者もおりますが、3年生に進級した時点では全員が理系志望だった筈なのです。私のように途中で数値を計算したり図形を弄り回すのが嫌になって、受験間際になってから文系に進路変更した者は、言うなれば裏切り者ということなのかもしれません。クラスのまともな者は数学や理科を未だに愛好しているといっていいと思います。

 

さて、その生粋理系者と思われる一人が、ここ何年か若者たちとの交流が目的で、地元の大学に聴講に行っているとかで、グラフの理論とかに絡んで先日学生に向けて出題された問題を紹介していました。するとこの問題に興味・関心を示した人が何人もおり、会が終わった後日にその解答をメールで披歴しあうという状況なのでした。私などは最初からそのような問題には関心がなく、面白そうに話をする彼の姿を面白げに観察して楽しむばかりなのですが、理系愛好者というのはこの種の問題には敏感に反応されるようで、目が輝いているのです。いやあ、只々感嘆するのみでした。

 

 新年会でこのような話題が相当の関心を以って取り上げられる間は、この仲間たちは、身体的な老化は別として、精神的な逞しさの方はまだまだ大丈夫だなと思いました。しかし、私自身については、さて、理系の好奇心に負けないものをどう保持して行くか、これは大きな課題だなと思った次第です。来年の再会が楽しみです。

 

ご参考までに、その問題とやらを掲げます。(私自身には問題そのものも良く理解できないところがあるのですが、興味のある方はチャレンジしてみてください)

 

問題1 7CC,4CC,3CCの三つのカップがあって、7CCのカップに7CC

の水があり、他の二つのカップは空である。水6CCのカップをつくれ。3回の操作

である。

 

問題2 12CC,7CC,5CCの三つのカップがあって、12CCのカップに12CCの水があり、他の二つのカップは空である。水6CCのカップをつくれ。11回の操作である。

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