山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

竜神大吊橋を歩く

2009-11-30 03:19:53 | くるま旅くらしの話

茨城県というのは平野の多い所です。しかしそう感じるようになったのは、守谷に棲んでからであって、それまでは結構な山国だと思っていたのでした。それは自分が生まれ育ったのが県北であった所為に違いありません。人は多くの場合自分の生まれ育った環境や自分が今棲んでいる環境によって、ものごとの多くを判断するもののようです。

その昔の少年時代は、住んでいた常陸大宮市(その当時は那珂郡大宮町)が世界の中心地であり、北の大子町などは地の果てのような感じがしていて、ましてその先の福島県の矢祭町や栃木県の馬頭町などといったら、得体の知れない未開地のような感覚で捉え、イメージしていたのでした。真にお恥ずかしい話で、今頃は那須野や福島県南のエリアを通る度に、子供の頃のとんだ見当違いを思い出して冷や汗ものなのでした。

その県北のドン詰まりが八溝山となりますが、この千メートルをほんの少し超えた高さの山が、福島県との県境を共有し、且つ栃木県に裾野を下ろす茨城県の最高峰なのです。この山は茨城県側からは少し懐が深いため、私たち子供の登山の対象となることは殆どなく、高校から大学にかけての登山といえば、専ら奥久慈の男体山(654m)なのでした。その後、南アルプスの甲斐駒や仙丈ヶ岳などを歩くようになって、まあ、なんと可愛らしい登山であったことよ、と気づいた次第でした。

さて、前置きが長くなりましたが、今回の温泉めぐりのついでにその県北にある竜神峡という渓谷に架かる大吊橋を見に行くことにしました。竜神峡というのは、その男体山近くを水源として流れる竜神川の造り出した渓谷で、吊橋の下にはその川を塞き止めて作った竜神ダムというのがあります。奥久慈といえば、久慈川に沿って走るJR水郡線沿いの山々を指すことが多いのですが、竜神峡はその山を一つ北東側に越えて走る山脈との間に位置しています。簡単に言うと、男体山の裏側にあるのが竜神峡なのです。従ってここは今でこそ車で簡単に訪ねることができますが、私の子供の頃は、至近距離であったにも拘らず、全くの秘境という感じだったのです。

   

山もみじの紅葉と青空。飽くまでも澄んだ青空に映える紅葉は美しいの一言である。

その竜神峡に巨大な吊橋が架かったのは、1994年といいますから、今から15年前ということになります。建設に33億円もかけたのは、その当時はバブルが弾ける前で景気も良く、ふるさと創生金として各市町村に等しく1億円が配分されるなどという、あまり創造的とは思われぬ施策があり、それに乗った合併前の水府村が、観光の目玉にと大博打を打ったのではないかと思われます。何しろこの大吊橋は観光用に造られただけで、道路としての機能は殆どないのですから、随分と思い切ったものです。当時かなりの評判になり、私も実家に帰省した際にまだ存命だった両親を車に乗せて見物に行ったのでした。

その時はまだ秋になったばかりの季節で紅葉は今一の感じでしたが、確かに景観は素晴らしいものでした。吊橋の下は竜神ダムですが、そこまで100mも高さがあるのです。橋の通路の所々に透明の強化ガラスがあり、下を覗けるようになっているのですが、高所恐怖症の気のある私には、何という悪趣味なのだろうとしか思えませんでした。その頃体力が一段と衰えた母は、375mあるという橋を全部歩くことが出来ず、途中でギブアップしてしまいました。折角来たのだからせめて往復させてあげたいと思い、事務所らしき所へ車椅子はないかと訊きに行ったのですが、どうしてそのようなものを用意しなければならないのか?というような顔をしての応対に腹が立つよりも呆れ返って、母をおんぶしようと思ったら、母がヤダというので、諦めたという思い出があります。

15年ぶりの再来ということになるのだなと気づいたのは、これを書いていながらなのですから、我ながら時間感覚の衰えに頼りなさを覚えます。その竜神大吊橋は、もう昔の記憶は殆ど失われており、初めて訪れるような感じでした。橋の直ぐ側にある駐車場にはキャンピングカーは入れないことになっているという警備案内の人の誘導で、50mほど下にある第2駐車場に車を入れ、急な坂道の横にある階段を昇っての道行きでした。相棒はそれだけで相当息が上がったようでした。最後の一段を登り終えると一挙に展望が広がります。ここに来てようやく15年前を思い出しました。

   

竜神大吊橋の様子。向うの橋桁まで歩行者の歩ける距離は375mある。本州で一番長い歩行者専用の吊橋だとか。

橋の入口で利用料の300円也を払って向こう側まで往復することにしました。紅葉の最後に近い時季とあってか、平日にも拘らずかなりの観光客が訪れていました。話していることばのトーンからは地元に近い人が多いようです。375mの橋を往復するだけですが、その景観は見事なものでした。左手には奥久慈の男体山系の山々が並び、それらが全て全山紅葉です。低い山なので岩肌が剥き出しとなっていない限りは、てっぺん近くまで樹木に覆われており、その多くは楢(なら)や橡(くぬぎ)等の雑木が多く、鮮やかな紅葉ではなく、ほんのりと温かみの感じられる紅黄葉でした。右手には少し低い山々の同じような紅黄葉を展望することが出来ます。

   

竜神大吊橋から見た周辺の山々の紅黄葉の様子。正面の小高いのが篭岩と呼ばれる標高501mの巨岩の山。

   

竜神大吊橋から見た竜神ダムの景観。湖水まで約100mの高さがあるという。心臓によくない景色だ。

この紅黄葉にはふるさとの味がします。その昔の少年時代に、このように色づいた近くの山々を走り回って遊んでいた記憶が甦るのです。あの頃はこのようなダムの出現や、その上の大吊橋なんて想像も出来ませんでした。そのような宙に浮いているような世界ではなく、しっかりと地に足をつけての遊びだったのです。このような秘境まで来るなどということは、思いもよらぬことでしたが、我が家の裏山も然して変わっていなかったように思えるのです。橋の上から周辺の全山紅黄葉を見渡しながら、様々な思い出の感慨に浸った時間でした。

向こう側まで到達して、そこから先にはトレッキングのコースのようなものがあって、ダムの方に下りられるようになっているのですが、最初からその気になってやって来ない限りは、こんな100mもの落差のある坂道を下まで行くなどという気は起こりません。往きは良い良い帰りはもうダメ、となるに決まっています。それでふと思ったのは、そうだこの大吊橋を何回か往復しようということでした。仮に2往復すれば料金は半額となる計算だし、10往復すれば料金は1回30円となるわけです。

このようなさもしい発想をする人は、今日は他には一人もいないようで、皆さん一往復して終わりにされているようでした。結局そのあと2往復して、計3往復したのでした。料金は1回につき100円となったわけです。絶景を見ながらの空中散歩は、十二分に満足できるものでした。このようなバカげたトライは、お勧めしてもいいような気がします。

というのも、私は以前、四国は愛媛県の今治から広島県尾道につながる本四架橋ルートの一つの、しまなみ海道を1週間ほどかけて旅した時に、中央近くにある多々羅大橋という3kmを超える橋を3日間毎日往復したことがあるのです。その時のことを思い出したのでした。あの海に架かる、美しい巨大な橋に比べれば、この大吊橋は小川の橋のようなものです。あの時の恐怖心とそれを克服した感動のことを思うと、この橋を往復することなど朝飯前だと思ったのでした。何しろ多々羅大橋は、この橋を10往復するくらいの距離があるのです。違うのは多々羅大橋は見渡す景色が海や島であるのに対して、竜神大吊橋は周辺が懐かしいふるさと味の紅黄葉の山々だということです。

歩行者専用の吊橋としては日本一の長さだといっても、本四架橋の橋のスケールの大きさには遠く及びません。しかし、久しぶりにふるさとらしい紅黄葉を存分に楽しむことができて、満足まんぞくでした。帰りに橋の側の店に寄って車椅子が用意されていないかどうかと確認しましたら、ちゃんと2台分が用意されてありました。時代は少しずつ進歩しているのだなと、ちょっぴり嬉しくなったのですが、今はそれに乗って貰える母も父もあの世に行ってしまいました。今度ここに来るときには、もしかしたら自分がそれに乗ることになるのかも知れません。

   

売店の隅にはちゃんと2台の車椅子が用意されていた。何年か前に水府村が用意したようだった。福祉への考え方は確実に向上している。

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