山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

骨董市へ行く

2012-01-18 00:33:30 | 宵宵妄話

  最近のTVの人気番組の一つに「開運!なんでも鑑定団」がありますが、これは勉強になるのでいつも見ることにしています。勉強になるというのは、私自身に骨董趣味があって自身の収集の参考になるからというわけではありません。鑑定士の先生方の説明や番組制作者からの解説等が、各種の著名作者や作品或いは往時の時代背景などを理解する上でとても参考になるからです。また鑑定士の皆さんの本物を見分ける審美眼というか、その鋭い感性や豊かな知識・経験を垣間見ることによって、多くの刺激を受けるからなのです。自己流の常識とかいう奴にがんじがらめになって、本物を見る力を失ったというか、育てなかった、自分自身を初めとするその他大勢の仲間の人たちのため息を、一緒に味わっているという感じなのです。

 

 今日(1/15)は家内の予てからの要望で、骨董市なるものへ行って来ました。その骨董市というのは、初詣にも行ってきたばかりの、常総市にある一言主神社の境内で毎月第3日曜日に開かれているものです。この骨董市のことは、守谷市に越してきた頃から知っていましたが、それをひやかしに出掛けるのは今日が初めてでした。私には骨董趣味など全く無く、新しいものを欲しがる気持ちもこの頃は急速に消滅しつつあります。家内は裂織りという奴に力を入れており、不断から古布に対する関心が大きいのですが、最近はどういうわけなのか「洗い張り板」が欲しいのだそうです。古布を洗い張りして何かしたいと考えているのかもしれません。晴れ着以外の着物を見ることが少なく、浴衣でさえも使い捨て的になってしまった今の世では、新品の洗い張り板など売っている店があるわけがなく、もしかしたら骨董市をウオッチしていれば見つかるかもしれないという、密かな期待を膨らませたようなのでした。それで予てから噂のあった一言さんの骨董市に出掛けたというわけです。

 

 10時頃に着いたのですが、思いの外の人出で、たくさんある駐車場は早や満車になりかけていました。平日だと1台も停まっている車を見掛けない、神社から一番離れた大駐車場までもが8割以上の混み具合で、入庫を待つ車の列が見る間に詰まって行くのを、驚き呆れながら境内に向かって歩いたのでした。老樹に囲まれた境内の入口から拝殿までの参道にはもう何店もが店開きをしていました。その他にも境内の至るところに様々な道具類や古美術などを並べた店がびっしりと並んでいました。40年以上も前に見物に行ったことがある、世田谷のボロ市を思い出しました。ボロ市とは少し趣が違っていて、ここはよりコンパクトな骨董市という感じがしました。その道の好き者には掘り出し物が期待できる場所なのかもしれません。ちょっと見ただけでは値打ちの判らない怪しげ(?)なものが幾つもあったようです。

 

 先ずは参拝した後、ざっと一回りしてみたのですが、何しろ自分的には何の目的もないのですから、只雰囲気を味わうだけなのです。その昔は古い徳利や盃などへの関心が結構あったのですが、今では酒も遠ざけなければならない状況なので、そのようなものを集める虚しさの方が先に行ってしまうのです。中にはちょっと気を引かれる物もありましたが、全ては諦めの世界なのでした。

 

まあ、しかし良くもまあこんなにたくさんいろいろなものが残されているものです。中心となるのは明治・大正・昭和というここ120~30年間の時代を語るものが多いようで、さすがに江戸以前のものは少ないようでした。並べられているものは多岐に渡っており、大型の家具からビー玉類まで、金物、陶器、布や着物類、雑誌や看板、壊れた蓄音器、小型の天秤ばかり、木製の滑車などなど、60年前の子どもの頃にはどこの家にも一つや二つは当たり前のように置いてあったものが、たくさん並べられていました。それらの一つ一つには、様々な物語が秘められているのかもしれません。今まで昔を振り返ることが少なかった自分にも、これらの品々を見ていると何だか懐かしさがこみ上げて来ました。骨董市というのは、単に慾得で掘り出し物を探すためではなく、もしかしたら人それぞれの懐かしい昔を探し、それに逢いに行くための場所なのではないかとふと思ったのでした。

 

 家内がどこで何をしているのか判りませんが、目当ての洗い張り板は自分の歩いた店の中には見当たらないようでした。何周り目かに家内を見つけた時は、店の人ではなく、その店に来た客と思しき人を掴まえて、洗い張り板が置いてありそうなリサイクルショップを訊きだそうとしていたらしく、私を見つけて突然その人が言う店の場所を知っておくようにと頼まれました。彼女は地理的なことが苦手なため、ま、当方に課題を振ったということなのでしょう。いつものことであります。幸いなことにその方がおっしゃるリサイクルショップは、自分も知っている場所だったので、今度つくば市に行った時には寄って見ることにしました。

 

 再び退屈紛れに夫々の店を覗き歩いて30分も経った頃にようやく家内の方も一通りの目的を達したらしく、解放される時間となりました。彼女はといえば、何か袋に包んだ獲物を抱えていたようですが、それが何なのかなどには関心はありません。この間にも来訪者は増えるばかりで、この骨董市の人気ぶりを改めて思い知ったのでした。とにかく帰ることにして駐車場に向かったのですが、もう完全にどこの駐車場も満車の状態で、動かない車の列が長蛇の態をなしていました。ここへ来る交通手段は車しかないため、このような状態となるのでありましょう。ストレスなしに市を覗くためには、どんなに遅くとも10時前には到着できるようにしないと、車を置くだけで1時間以上も無駄な時間を要することになってしまうようです。

 

 家内は毎月でもここへ来たいようで、次回はもっと時間を掛けて見て回りたいようなことを言っていました。見て回るというよりも、店の人やお客さん達を掴まえて、あれこれ話をしたいというのが一番の願望のようです。何しろ話しかけても糠に釘の亭主なのですから、ストレス発散のためには、ちゃんと反応してくれる相手が必要なのでありましょう。次回からは、自分はここまで家内を送って来て一旦家に戻り、心行くまで見物と話を楽しんで頂き、それが済んだら連絡して貰って再びここへ迎えに来るという、そのようなやり方を確認したのでした。我が家からはここまで20分足らずの距離なので、十分に可能なのです。

 

 ま、このようなことで初めての一言さんの骨董市見物は終わりました。目的のない見物はどうも力が入らないのですが、それでも自分の知っている昔に会えたというのは、思いがけない収穫だったような気がします。次回は送迎に専念することになりそうですが、ま、家内のストレス退治のためには、これから毎月1回の骨董市通いも悪いことではないなと思った次第です。

 

     

常総市一言主神社の骨董市の風景。狭い境内には50店近くの店が、思い思いに昔の懐かしい品物を展げている。

  

翌日、つくば市に家内のフォークダンス行のお抱え運転手になり下がって出掛けた際に、聞いていたリサイクルショップに行きましたら、何と4枚もの洗い張り板の在庫があり、早速その中の1枚を手に入れたのでした。1枚2千円は安いなと思いました。世の中はうまく回っているところがあり、面白いものです。>

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歩ける喜び | トップ | 春告草 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宵宵妄話」カテゴリの最新記事