《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在
《昨日のレポート》
2回目の別海町での滞在も10日目となった。静養のつもりが、相棒が風邪など引いたりして、思いと現実のギャップを少なからず反省した。今日からは本当ののんびり暮らしを心掛けることに努めることにした。
朝風呂に行こうと思って居たが、ブログに取り掛かっている内に時間が過ぎてしまい止めることにした。さして書くほどでもない出来事を毎日書き続けるというのも結構疲れるものである。ならば止めればよいのだが、これがなかなか出来ないのである。自分でもよく分からない。
日中は昼前に買い物と図書館へ。LPカセットガスのボンベなどの他に我が身のエネルギー源たるアルコールの類を調達する。午後は半分は午睡。さて、あと半分は?何をして過ごしたのか自分にもよくわからない。
今日のメインイベントは、夕刻のホタルの観賞会だった。このことの感想を書いてみたい。
ギャップ場の隣りには別海町ふるさとの森というのがあり、エゾマツ、カラマツ、トドマツ、ミズナラ、カシワなどの樹木の生い茂る中に散策路が縦横に作られた森がある。広さはよく判らないが4平方キロ以上はあると思う。この森の中に小さな池と流れがあり、そこにホタル(平家ホタル)が生育しているというのだ。北海道にもホタルが自生しているとは何だか不思議な気がする。極寒の厳しい冬を乗り越えるほどヤゴやその餌のカワニナの生命力は強靭なものなのかと、あのか細い光からは想像もつかないことである。
7時半からだというので、少し前に森の入口にあるミニ動物園の広場に出向く。町の関係者の皆さんによる屋台が、イベントを盛り上げようと張り切っていた。そこから少し行った所がホタル観賞会会場への入口だった。かなりの夕闇となっており、相棒の顔も判明出来ないほどだ。というのも2時間ほど前から霧が出始めて、今はかなりそれが濃くなって来ているからである。従ってかなり涼しい。ホタル君たちにこの涼しさはどう影響しているのかなと思った。会場に続く道の両側には、ガイドのためのロウソクの明かりが灯されて、それが暗闇の中に幻想的な空間を作り出していた。ガラスの国家に水を張った中にロウソクを灯したその数はかなりのものであり、関係者の方たちはたいへんだったろうなとそのご苦労を思った。5分ほど歩くと池に到着した。
いる、いる。青白いかすかな光が点滅するのが幾つか見られた。親に連れられた子ども達は歓声を上げるのも忘れて息を呑みながらその細い光に見入っていた様だった。今頃はこんな時騒ぐのは大人の方なのだと思ったりした。北国のホタルは思ったよりも強くて、この程度の涼しさなどものともしないらしい。元気に飛び回っているのも何匹か見られた。
ホタルをこの様な形で観るのは何十年ぶりだろうか。子供の頃以来かも知れない。昭和20年代の終わり頃は、まだ農薬などを使う農家は少なく、田んぼにはカエルの大合唱が鳴り渡り、小川にはフナやドジョウなどが当たり前に棲んでいて、夜になると無数のホタルたちが飛び交い、それが夏の当たり前の風景・風物だった。あれから世の中はまあ、とてつもなく便利になったけど、失われて行った良いものも多い。当たり前にホタルの飛び交う夏の夕景というのもその一つだと思う。
あの頃はホタルの観賞会などというものは無かったのだ。あったのは、江戸時代からつながっているホタル狩りだった。ホタルを観るのではなく、捕まえて麦藁で編んだカゴに入れて家に持ち帰り、それを観て楽しむのである。どんなにホタルを捕まえても数が減るなどという話は聞いたことが無かった。
老人が昔語りを始めるのは危険症状の現れとは承知しているけど、ホタル観賞会を観ている田舎育ちの老人の心境は懐かしさを通り越して寂しさを含んだ複雑さの中にある。でも、観賞会という形であれホタルたちの生命がつながっているのを見られるのは良いことではないか。そう思った。あと何十年か経って蛍光灯の由来にホタルの名を思い出すなどという時代が来てしまったら、地球というのは、どんな世界になってしまうのだろうか。
霧の暗闇の中を相棒とはぐれないように手を組み歩きながら、その昔高校生の頃授業の中での先生の余談で訊かれた、ヨーロッパでは老人夫婦が皆仲良く腕を組んで歩いているのを見かけるのが多いが、あればどうしてなのか知っているか?という問の投げかけを思い出した。その答えは愛し合っているからなどではなく、単によろけて倒れないように支え合っているだけなのだということだったが、さて、我々もどうやらその年代が近づきつつあるらしい。そんなことを思いながらの暗闇の帰り道だった。久しぶりに暗闇と光の深く繊細な関係を垣間見た時間だった。
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在
《昨日のレポート》
2回目の別海町での滞在も10日目となった。静養のつもりが、相棒が風邪など引いたりして、思いと現実のギャップを少なからず反省した。今日からは本当ののんびり暮らしを心掛けることに努めることにした。
朝風呂に行こうと思って居たが、ブログに取り掛かっている内に時間が過ぎてしまい止めることにした。さして書くほどでもない出来事を毎日書き続けるというのも結構疲れるものである。ならば止めればよいのだが、これがなかなか出来ないのである。自分でもよく分からない。
日中は昼前に買い物と図書館へ。LPカセットガスのボンベなどの他に我が身のエネルギー源たるアルコールの類を調達する。午後は半分は午睡。さて、あと半分は?何をして過ごしたのか自分にもよくわからない。
今日のメインイベントは、夕刻のホタルの観賞会だった。このことの感想を書いてみたい。
ギャップ場の隣りには別海町ふるさとの森というのがあり、エゾマツ、カラマツ、トドマツ、ミズナラ、カシワなどの樹木の生い茂る中に散策路が縦横に作られた森がある。広さはよく判らないが4平方キロ以上はあると思う。この森の中に小さな池と流れがあり、そこにホタル(平家ホタル)が生育しているというのだ。北海道にもホタルが自生しているとは何だか不思議な気がする。極寒の厳しい冬を乗り越えるほどヤゴやその餌のカワニナの生命力は強靭なものなのかと、あのか細い光からは想像もつかないことである。
7時半からだというので、少し前に森の入口にあるミニ動物園の広場に出向く。町の関係者の皆さんによる屋台が、イベントを盛り上げようと張り切っていた。そこから少し行った所がホタル観賞会会場への入口だった。かなりの夕闇となっており、相棒の顔も判明出来ないほどだ。というのも2時間ほど前から霧が出始めて、今はかなりそれが濃くなって来ているからである。従ってかなり涼しい。ホタル君たちにこの涼しさはどう影響しているのかなと思った。会場に続く道の両側には、ガイドのためのロウソクの明かりが灯されて、それが暗闇の中に幻想的な空間を作り出していた。ガラスの国家に水を張った中にロウソクを灯したその数はかなりのものであり、関係者の方たちはたいへんだったろうなとそのご苦労を思った。5分ほど歩くと池に到着した。
いる、いる。青白いかすかな光が点滅するのが幾つか見られた。親に連れられた子ども達は歓声を上げるのも忘れて息を呑みながらその細い光に見入っていた様だった。今頃はこんな時騒ぐのは大人の方なのだと思ったりした。北国のホタルは思ったよりも強くて、この程度の涼しさなどものともしないらしい。元気に飛び回っているのも何匹か見られた。
ホタルをこの様な形で観るのは何十年ぶりだろうか。子供の頃以来かも知れない。昭和20年代の終わり頃は、まだ農薬などを使う農家は少なく、田んぼにはカエルの大合唱が鳴り渡り、小川にはフナやドジョウなどが当たり前に棲んでいて、夜になると無数のホタルたちが飛び交い、それが夏の当たり前の風景・風物だった。あれから世の中はまあ、とてつもなく便利になったけど、失われて行った良いものも多い。当たり前にホタルの飛び交う夏の夕景というのもその一つだと思う。
あの頃はホタルの観賞会などというものは無かったのだ。あったのは、江戸時代からつながっているホタル狩りだった。ホタルを観るのではなく、捕まえて麦藁で編んだカゴに入れて家に持ち帰り、それを観て楽しむのである。どんなにホタルを捕まえても数が減るなどという話は聞いたことが無かった。
老人が昔語りを始めるのは危険症状の現れとは承知しているけど、ホタル観賞会を観ている田舎育ちの老人の心境は懐かしさを通り越して寂しさを含んだ複雑さの中にある。でも、観賞会という形であれホタルたちの生命がつながっているのを見られるのは良いことではないか。そう思った。あと何十年か経って蛍光灯の由来にホタルの名を思い出すなどという時代が来てしまったら、地球というのは、どんな世界になってしまうのだろうか。
霧の暗闇の中を相棒とはぐれないように手を組み歩きながら、その昔高校生の頃授業の中での先生の余談で訊かれた、ヨーロッパでは老人夫婦が皆仲良く腕を組んで歩いているのを見かけるのが多いが、あればどうしてなのか知っているか?という問の投げかけを思い出した。その答えは愛し合っているからなどではなく、単によろけて倒れないように支え合っているだけなのだということだったが、さて、我々もどうやらその年代が近づきつつあるらしい。そんなことを思いながらの暗闇の帰り道だった。久しぶりに暗闇と光の深く繊細な関係を垣間見た時間だった。
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