道の駅:川根温泉の朝は静かだ。尤も6時前なのだから、用のある人がいる筈もなかろう。さて、今日はパソコンに触って、少々書き物でもしょうかと考えている。
ところがお茶を飲んでいる内に、此処に終日じっとしているよりも、せっかくだから奥の方に行って見ようということになった。本川根町の千頭にある道の駅まで車で行き、そこから日本唯一のアプト式鉄道という大井川鉄道に乗って、少し先まで往復して見ようということになった。真に行き当たりばったりの、思い付きの旅ではある。
思い立ったら即実行。ゆっくり、のんびりなどは一挙にどこかにすっ飛んで、8時半のかなり早い出発となる。
大井川に沿って40分ほど走って千頭の道の駅に到着。千頭の道の駅の正式な名前は、「奥大井音戲(おとぎ)の郷」という。此処の駐車場は分かりにくい。何が分かりにくいかと言えば、有料なのか無料なのかということ。少し不親切な感じ。無料と勝手に信じて車を置く。道の駅は大井川鉄道千頭駅に隣接している。
少し休んで、さて具体的にどうするかを検討。時刻表などを見て、その結果相棒は奥大井湖上駅、自分は長島ダム駅までを往復することにする。行く先が異なるのが我ら夫婦の特長である。10時35分発。帰着は12時45分の予定である。
しばらく待って出発。千頭から奥大井の井川ダムに向かう列車は、いわゆるトロッコ電車のようなもので、その昔は中部電力の電源開発に使われていたものを、鉄道会社が借り受けて営業しているとか。3両編成の中の1両には、窓ガラスのない展望車があり、写真を撮ろうと、我々はそこに乗り込んだ。自分は長島ダム駅まで約50分の乗車。相棒はその二つ先の駅まで行って、10分ほど待って下りの列車で戻り、自分はダム駅で30分ほど待って、その同じ列車に乗る予定である。
3両にはバラバラに50人足らずの客が乗り込んでいた。多くは温泉などに向かうようで、我々と同じ世代の人たちばかりである。新緑の中を石ころの多い大井川の清流を遥か眼下に見ながらの50分は、めったに出来ない体験だった。大井川鉄道は、SLが売りだけど、その昔SLで通学していた自分には、SLはただ懐かしいだけで、乗るよりも見る方が楽しいのだが、このトロッコ風列車は新緑の景観を眺めて最高の乗り物である。何よりも、今にも車両が分解するのではないかと思うほどの軋み音が、並みの乗り物ではないことを実感させてくれる。しばらく走って、アプトいちしろ駅に。ここから次の長島ダム駅までの区間が日本唯一のアプト式鉄道で、90mの高さの勾配を、レールの真ん中にもう一本取り付けたギアに機関車のギアを噛ませながら走るのである。今まで車両を押して来たディーゼル機関車を後押しする形で専用の機関車が接続され出発。この間乗客は外に出てトイレに行ったり、写真を撮ったりして、思い思いに短い時間を楽しんでいた。我々は写真組で、機関車やアプト式の線路などを撮った。次の長島ダム駅まではあっという間に到着。ここで機関車を切り離す。
下車したのは自分一人だけ。相棒が下車しないのを心配した近くの人が、車掌さんにアピールされて、何やら笑い話となったとか。人騒がせな夫婦ではある。旅先での行動はいつも夫婦一緒がいいとは思わない。相棒がその後どのような経験をしたのかわからないけど、長島ダムの壮大な景観を一人占めにしての30分間は大満足だった。ダム湖には巨大な噴水があり壮観だった。展示館のようなものもあったが、時間がなくそこまで行けなかった。間もなくやって来た列車に乗り込む。往路よりも極端に少ない乗客で、同じ車両に乗っていたのは相棒だけ。長島ダム駅からの乗客は、今日は自分が最初で最後かも。鉄道経営の難しさが伝わってくる。往路で撮れなかった写真を撮りながら、新緑に染まった千頭駅に戻る。良い時間だった。
20分ほど後に到着するSLを撮影するのだと、ホームに残る相棒を後に、車に戻り腹を満たす。朝ご飯はお茶一杯だったので、SLよりもうどんの方が優先順位は高い。空腹が収まった頃、満足顔の相棒が戻ってきた。うどん作りは自分の仕事なので、相棒の分も用意する。このような行為は、愛情というものではなく、単なる惰性、習性である。
遅い昼食の後は、再び昨夜お世話になった川根温泉の道の駅に向かう。もう一晩お世話になるつもり。途中、新茶を買うために地元の製造販売の店に立ち寄る。今がまさに新茶作りの最盛期である。お茶は滋養の薬でもある。あとでじっくり味わいたい。それにしてもかなり高価である。高いのは100グラム三千円以上もする。大事に飲まなくてはと思った。
少し走って茶名館という名の道の駅に寄る。ここは川根エリアのお茶をテーマにした施設のある道の駅である。その中に入って、お茶についてほんの少しだけど勉強した。この辺一帯は江戸時代は天領で、幕府の財政に大きく寄与していたらしい。それ故に地元の人々は苦労が多かったようだ。天領ということばを見たり聞いたりすると、何をいい加減なことを言いやがって、と反発心を覚える。徳川宗家に対するゴマスリの塊みたいな奴が名付けたに違いない。地球はすべて天領であって、徳川幕府のものでも、アメリカ、ロシアのものでもない。(ちょっとムチャクチャな解釈かな?)お茶のことなど、忘れてしまいそう。
3時半頃川根温泉に戻る。その後は昨日とほぼ同じパターンで過ごす。よって、以下省略。とにかく予想外の一日だった。
ところがお茶を飲んでいる内に、此処に終日じっとしているよりも、せっかくだから奥の方に行って見ようということになった。本川根町の千頭にある道の駅まで車で行き、そこから日本唯一のアプト式鉄道という大井川鉄道に乗って、少し先まで往復して見ようということになった。真に行き当たりばったりの、思い付きの旅ではある。
思い立ったら即実行。ゆっくり、のんびりなどは一挙にどこかにすっ飛んで、8時半のかなり早い出発となる。
大井川に沿って40分ほど走って千頭の道の駅に到着。千頭の道の駅の正式な名前は、「奥大井音戲(おとぎ)の郷」という。此処の駐車場は分かりにくい。何が分かりにくいかと言えば、有料なのか無料なのかということ。少し不親切な感じ。無料と勝手に信じて車を置く。道の駅は大井川鉄道千頭駅に隣接している。
少し休んで、さて具体的にどうするかを検討。時刻表などを見て、その結果相棒は奥大井湖上駅、自分は長島ダム駅までを往復することにする。行く先が異なるのが我ら夫婦の特長である。10時35分発。帰着は12時45分の予定である。
しばらく待って出発。千頭から奥大井の井川ダムに向かう列車は、いわゆるトロッコ電車のようなもので、その昔は中部電力の電源開発に使われていたものを、鉄道会社が借り受けて営業しているとか。3両編成の中の1両には、窓ガラスのない展望車があり、写真を撮ろうと、我々はそこに乗り込んだ。自分は長島ダム駅まで約50分の乗車。相棒はその二つ先の駅まで行って、10分ほど待って下りの列車で戻り、自分はダム駅で30分ほど待って、その同じ列車に乗る予定である。
3両にはバラバラに50人足らずの客が乗り込んでいた。多くは温泉などに向かうようで、我々と同じ世代の人たちばかりである。新緑の中を石ころの多い大井川の清流を遥か眼下に見ながらの50分は、めったに出来ない体験だった。大井川鉄道は、SLが売りだけど、その昔SLで通学していた自分には、SLはただ懐かしいだけで、乗るよりも見る方が楽しいのだが、このトロッコ風列車は新緑の景観を眺めて最高の乗り物である。何よりも、今にも車両が分解するのではないかと思うほどの軋み音が、並みの乗り物ではないことを実感させてくれる。しばらく走って、アプトいちしろ駅に。ここから次の長島ダム駅までの区間が日本唯一のアプト式鉄道で、90mの高さの勾配を、レールの真ん中にもう一本取り付けたギアに機関車のギアを噛ませながら走るのである。今まで車両を押して来たディーゼル機関車を後押しする形で専用の機関車が接続され出発。この間乗客は外に出てトイレに行ったり、写真を撮ったりして、思い思いに短い時間を楽しんでいた。我々は写真組で、機関車やアプト式の線路などを撮った。次の長島ダム駅まではあっという間に到着。ここで機関車を切り離す。
下車したのは自分一人だけ。相棒が下車しないのを心配した近くの人が、車掌さんにアピールされて、何やら笑い話となったとか。人騒がせな夫婦ではある。旅先での行動はいつも夫婦一緒がいいとは思わない。相棒がその後どのような経験をしたのかわからないけど、長島ダムの壮大な景観を一人占めにしての30分間は大満足だった。ダム湖には巨大な噴水があり壮観だった。展示館のようなものもあったが、時間がなくそこまで行けなかった。間もなくやって来た列車に乗り込む。往路よりも極端に少ない乗客で、同じ車両に乗っていたのは相棒だけ。長島ダム駅からの乗客は、今日は自分が最初で最後かも。鉄道経営の難しさが伝わってくる。往路で撮れなかった写真を撮りながら、新緑に染まった千頭駅に戻る。良い時間だった。
20分ほど後に到着するSLを撮影するのだと、ホームに残る相棒を後に、車に戻り腹を満たす。朝ご飯はお茶一杯だったので、SLよりもうどんの方が優先順位は高い。空腹が収まった頃、満足顔の相棒が戻ってきた。うどん作りは自分の仕事なので、相棒の分も用意する。このような行為は、愛情というものではなく、単なる惰性、習性である。
遅い昼食の後は、再び昨夜お世話になった川根温泉の道の駅に向かう。もう一晩お世話になるつもり。途中、新茶を買うために地元の製造販売の店に立ち寄る。今がまさに新茶作りの最盛期である。お茶は滋養の薬でもある。あとでじっくり味わいたい。それにしてもかなり高価である。高いのは100グラム三千円以上もする。大事に飲まなくてはと思った。
少し走って茶名館という名の道の駅に寄る。ここは川根エリアのお茶をテーマにした施設のある道の駅である。その中に入って、お茶についてほんの少しだけど勉強した。この辺一帯は江戸時代は天領で、幕府の財政に大きく寄与していたらしい。それ故に地元の人々は苦労が多かったようだ。天領ということばを見たり聞いたりすると、何をいい加減なことを言いやがって、と反発心を覚える。徳川宗家に対するゴマスリの塊みたいな奴が名付けたに違いない。地球はすべて天領であって、徳川幕府のものでも、アメリカ、ロシアのものでもない。(ちょっとムチャクチャな解釈かな?)お茶のことなど、忘れてしまいそう。
3時半頃川根温泉に戻る。その後は昨日とほぼ同じパターンで過ごす。よって、以下省略。とにかく予想外の一日だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます