山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第20日)

2015-02-19 04:26:45 | くるま旅くらしの話

<註:この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

 第20日:12月6日(月)

 <行程>

あかねの郷温泉 →(県道・R213)→ 道の駅:くにさき →(R213・R10)→ 宇佐神宮参詣 →(R10・R212)→ 道の駅:耶馬トピア →(R500他)→ 西谷温泉 →(R500)→ 道の駅:耶馬トピア〔泊〕 <158km>

 旅も半ばを過ぎて、そろそろ帰途を考えなければならない。国東巡りはまだ不十分だけど、ここはやはり春の季節の方がよさそうだ。今回は下見としてざっと廻るだけにしよう。今日は海岸線に沿って半島を一周し、宇佐神宮に参詣することに決めて出発。国見町を海に向って下り、海岸線をゆっくり走る。途中郵便局に立寄り資金を補充。人のいない海水浴場で孫向けの貝殻(可愛いい孫娘が二人居る)などを拾ったりしながら、道の駅:くにさきにて小休止。その後も引き続き海岸線を廻って、杵築から日出へ出てR10を右折して宇佐方面へ。12時半過ぎ宇佐神宮に到着。ここには、今日はゆっくり参拝するつもり。

先ずは空腹を満たす必要がある。近くの店の食堂に入って、だご汁定食を食べる。これで2度目か。だんだん上品な味になるようだ。腹を満たしてから参拝に。宇佐神宮には2、3回来ているはずなのだが、あまり良く覚えていない。朱色の派手な建物が目立つ所だったくらいの記憶しかない。もともといい加減な信仰心しかないので、まじめに覚えようとしないのだから仕方ない。しかしだんだん歳をとってくると、若いときよりは一瞬だけど参拝の気持ちが厳粛になることがある。大げさに言えば、手を合わせた時に、生きていることへの感謝の気持ちのようなものを、神様に対して何やら報告したくなるようなのだ。何故なのかは分からない。神様は、いつだって不問だし、沈黙するだけなのにである。そんなことを言うと、宇佐の祭神に対して不敬であることは承知しているのだが、本心なのだから仕方ない。

広い境内の中を、ゆっくり時間をかけて散策した。全ての神社はイヤシロチ(癒代地?)である。つまり心癒される土地である。これは風水の考え方らしい、というのを何かの本で読んだ気がする。どのような神社にも樹木が植えてあり、社(やしろ)を包み守っている。宇佐神宮はイチイガシとクスノキの常緑広葉樹林が神域を包み、これらは国指定の天然記念物となっている。派手な社殿に心奪われがちだけど、この落ち着いた樹木の空間の方がずっと心癒される感じがする。所々にまだ残っている楓などの紅葉が季節の証を示していた。

2時間ほどで車に戻り、今日は耶馬溪辺りで泊ろうと考え出発。そのまま直行してもつまらないので、来る途中に見た宇佐風土記の丘という案内板が気になっていたの、でそこへ行ってみることにした。ところが着いてみると、今日は休みだという。それでは中津の方を廻って見ようと、海側の県道を中津に向う。福沢諭吉の関係先や中津城を見るのもいいなと思いながら街に入ったのだが、道を間違えたらしくて、妙に住宅がごちゃごちゃした細い道に入ってしまい、お城も諭吉さん旧居宅もさっぱり分からない。それほど広い街とも思えないが、なかなか抜け出せなくて、結局探すのを諦める。

ようやく悪魔の細道から抜け出て、R212を山国川に沿って進み、菊池寛の「恩讐の彼方に」で有名な青の洞門を通り越し、左折してR500に入る。すぐに道の駅:耶馬トピアがあった。ここに泊るのもいいけど、もっと良い所がないかと案内資料などを見ていたら、少し先に西谷温泉というのがある。そこへ行ってみようと、少し暗くなりかけた中をすぐに出発する。15分ほどで到着。いい所なのだが駐車場が狭い。受付で聞いたら、P泊はダメとのこと。残念。

とにかく、ここの温泉に入ることにする。その後は、先ほどの道の駅:耶馬トピアまで戻り、そこに泊ることになった。当てが外れたりして少し疲れた。風邪の方はなかなかしつこくて、相変わらず夜中になると咳が出て悩まされ続けている。

【コメント】

◆この日は、宇佐神宮参拝を除いては、殆どがその場での思いつきのいい加減な行程だったので、その思惑が半分くらい外れてしまい、旅の中身としてはお粗末な一日となってしまいました。中津市の探訪については、この頃は、旅先でのネットの活用がまだ十分にできず、必要情報を入手できませんでした。又、ナビなし主義を標榜していて、地図中心の探訪だったため、見落としや記載不足の地図の所為もあって、思いつきの動きでは外れの多い旅となってしまっています。

現在では、旅のネット環境も格段に進歩し、ナビなし主義も捨て去って(但し、地図の携帯は不可欠です)、自分なりに少し成長した感じがしています。老人になって、加齢が進むにつれて、新しいツールへの理由なき抵抗心のようなものが首をもたげて来ているのを感じており、これは要注意です。無理して新しいものにすり寄る必要はないと思いますが、時代から取り残されないための必要最小限の文明の利器に対しては、それを見落とさない感覚が大切だなと反省しています。

 

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