山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

携帯電話

2009-02-27 11:58:45 | 宵宵妄話

携帯電話(=ケータイ)は、今では生活の必需品です。我が家でも一人一台となって久しくなります。固定電話を使うことは滅多になくなりました。毎日の生活の中での活用は当然ですが、特に旅先では、これを持参しないと困ることが多いのです。旅先での家内と別行動の場合は、移動手段と宿とを共有している関係上、連絡を取り合わないとミスマッチが起こった場合に、とんでもない事件に発展する可能性があるからです。

私たちの場合は、家内のケータイはTV付き、私のケータイはTVなしとなっており、画像での情報が欲しい時には、運転をしない家内が隣で情報収集の役割を果たすためにそのようにしているわけです。もともとさほどTVの好きでない私には、小さな画面に映る映像を覗くことなど大して興味も関心もありません。世の中の多くの夫婦は、夫の方が高性能のケータイを持ち、妻の方が持たせてもらえないか或いはグレードの低い機能の機器に甘んじているケースがどうやら一般的(特に高齢者となるほど)らしいですが、我が家では逆になっているようです。

ケータイといえば、そのほとんどは通話ではなくメールでのやり取りが多いようです。通話では無駄が多く、時間がかかり、コストも高くなりますのでメールの方がコミュニケーションのツールとしては優れている感じがします。

私の場合は、旅先ではブログへの掲載をメールで行なっていますので、そのための活用を最優先させています。何しろ時には3時間もかけて原稿を作成することがあり、そのような時にはパソコンと同じくらいの大きさの、キーボード付きのケータイはないものかと思ったりします。多分その方面の知識・情報に詳しい方は、そのような機器があることをご存知なのだと思いますが、私は踏み出して調べようとしないので、今のところ投稿のツールは小さなケータイしかありません。パソコンにケータイなどをつないでの利用は、通信速度が遅いため、コストがかかってしまいとても無理だと思っています。年金暮らしでは、とにかくコストのかからない方法を選択することが大切なのです。

ところで、今日ケータイを取り上げたのは、自分たちの活用ぶりを紹介するなどということではなく、今朝の新聞に文科省が昨年秋に実施した「子どもの携帯電話等の利用に関する調査」の調査結果に関する記事が掲載されているのを読んで、少しばかり考えることがあったからなのです。

「中高生携帯漬け」という見出しに、先ずは驚きました。「中2の2割メール1日50通」、「高2の2割食事や授業中も」ともありました。新聞というのは、意外と主観的なコメントが多いので、念のため文科省のホームページにアクセスして、調査報告の詳細を見てみました。感想としてはデータの読み方によって、いろいろな解釈が出来るなと思いましたが、この現象に対して注意・警告を発するという意味で、新聞の取り上げ方は正鵠(せいこく)を射ているかなと思いました。

私が思うには、本当は高齢者となるほどケータイ活用のニーズが高いのではないのでしょうか。ケータイというのは、コミュニケーションのツールです。人間というのは、一人では生きられない存在ですから、常に誰かと係わり合いを持ちたがるし、持たなければならない存在なのだと思うのです。そのような他と関わることが一番必要なのが、本当は高齢者なのではないかと思うのです。

しかし現実はケータイを自在に使って、他の誰かとのコミュニケーションを取れる高齢者は極めて少ないのではないかと思います。現代文明の進化のスピードは、多くの高齢者を置き去りにしています。人間にとって極めて便利で有用な情報機器を生み出しているのに、その恩恵は高齢者には届かないようです。その代表的な機器がケータイなのではないかと思います。その責任の大半は個々の高齢者自身にあるというのは明白ですが、マーケットとしてさほど重視していない関係業界のあり方や行政のあり方にも問題があるように思います。

まずは、このような問題意識のもとに、文科省の調査結果を考えてみると、子どもたち若い世代がケータイを活用していることは、基本的には大いに結構なことだと思います。ケータイを使えないような子どもがいたなら、それはケータイを使えない高齢者よりも悲劇的なことではないかと思うのです。

問題はそれをどう使うかということなのでしょう。これを規制するのは極めて困難だと思います。使っている機器の性能や機能を制限しない限り、使い方をコントロールすることは不可能だと思います。物理的にはそのような発想しか考えられません。最も期待できるのは、本来ならば子どもにケータイを買い与えている親が、指導し、管理することなのでしょうが、親よりも子どもの方が使い方の要領をより以上知っているという現状では、そのような期待も望み薄です。自由と放任とを混同している親が圧倒的に多い世の中では、親に期待できるものはあまり多くないというのが現実なのだと思います。新聞にも、親はケータイの実態を知らないと書かれていました。結局のところ、携帯電話は良くも悪くも子どもたちにとっては、これからの人生に大きな影響を及ぼすと共に、その子供たちが大人になって作るこれからの社会のあり方にも大きな変化をもたらすものとなるのではないかと思われます。

ITとか情報革命とか言われている、今のようなコミュニケーションツールの進歩と普及は、世の中の既成の道徳観念などでは律することが出来なくなるのではないでしょうか。情報革命のもたらした成果の中に、人間不信と悪性指向が少しずつ増殖しているのを感じないではいられません。人間の持つ悪意が、新しい情報ツールの発展に伴って拡大しつつある感じがしてなりません。子どもたちがそのような悪意や不信に巻き込まれて、人間としての健全性を失わなければ良いがと心配です。

何故ケータイ漬けの子どもたちが多いのか、その原因というか要因は明白です。誰かとつながりたい、コミュニケーションを取りたいという子どもが多いからなのでしょう。一人でいることに不安を抱く子どもが多いからなのでありましょう。逆に言えば、大勢の人間に取り巻かれていながら、一人ぼっち感を抱いている子どもが多いからなのだともいえます。もっというならば、自分というものに対して本当の自信が無い子どもが多いということかもしれません。表面的にはたくさんの人間に囲まれて、差し障りの無いコミュニケーションが取れているけれども、その実心の奥深い所では、つながっていない、切れているという感じを持っているということではないでしょうか。

親子であっても、心の深いところでつながっているケースは稀なのだと思います。ましてや他人であれば、一層そのつながりは脆(もろ)いものに違いありません。薄っぺらな人間関係ばかりの中で、子どもたちは他人に対して、自らケータイを通じてその薄っぺらの度合いを強めているのかも知れません。

今の世はお笑いタレントや芸人がTVなどを通じて世の中をかき回している感じがします。この風潮は、タレントや芸人にとっては自分を磨き主張する絶好の手段だと思いますが、それを楽をしながら似非の優越感の中で、TVを通して眺めている一般大衆にとっては、自分をほんの少し慰める程度の効果しかなく、その実は益々孤独感を高めているように感じます。そのような世の流れの中で、子どもたちは薄く、軽く、そしてより広がりのある人間関係のあり方を、ケータイというツールを通して懸命に学んでいるのかも知れません。その学びの度合いは、中学、高校と思春期から青年期にかけてより強まっているようです。より深いつながりを求めるのであれば、そのような行為は、自分自身にとって大して役に立たないということに、本当に気づいていないような感じもするのです。

今の子どもたちが本当にIT革命のツールとしてのケータイを使いこなしているとはとても思えず、自分自身を見失った状態で、ケータイの持つ魔力に取り付かれてしまった感じがするのです。プロフのことなども書かれていましたが、見知らぬ人と知り合っても、その出会いにどう対処し、どう処理するのかも知らぬまま、傷を負って退散するというのでは、知り合わない方がずっとマシだと思うのですが、心の奥深い所では、やっぱり出会いを求めているのでしょう。このような迷いに対して、手も足も出ないような親が多いのは、真に嘆かわしいことですが、今の社会・経済システムが、基本的に競争原理をもとに成り立っている限りでは、古来より培われてきた日本人の道徳観などというものは、風化してゆくのは当たり前のことなのかもしれません。

子どもたちの調査結果のことばかりでは無く、20代や30代の世代においても、ケータイの存在は不気味に世を動かし始めている気がしてなりません。文明というのは、時々この世に魔物を送り出すようです。もしかしたらケータイというのは、その魔物なのかも知れないな、と思いました。

それにしても高齢者のことが気になります。電話といえば、「モシモシ、ハイハイ」と通話の交信しか知らない老人ばかりでは、人生の最終ステップにあって、孤独感からの脱出に力のあるはずのケータイをとても使いこなせるはずも無く、益々邪魔な存在となり下がってしまうのではないかと、明日の我が身を思ったのでもありました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ホームページ完成! | トップ | ニワトコの変身術に思う »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宵宵妄話」カテゴリの最新記事