※漫遊記としていましたが、「漫遊紀行」と改めました。
<登場人物など>
私~(ジジ=ジサマ)[1940年生まれ。くるま旅くらし人を自称する。世間を斜(はす)に見たがるややひねた根性のジジイ。理屈はあれこれやかましいけど、脳のつくりと成り立ちは、どうやら全て単細胞らしい。趣味は物書きと鼻唄程度]
家内~(ババ=バサマ)[1946年生まれ。ツレアイの言動に疑問を持ちながらも、くるま旅は嫌いではないらしく、時には支配的になって旅先での外交官を務めたりする人。各種文化財に興味関心あり。趣味はフォークダンス]
旅車~(SUN号)[2002年グローバル社製キング5.3]
<主な行程~県レベル>(19泊20日)
自宅(東村山市)~(中央道)~山梨県~(甲州街道)~(中山道)~長野県~岐阜県~愛知
県~(東名・名神高速道・明石海峡大橋他)~兵庫県~(鳴門大橋)~徳島県~香川県~高
知県~愛媛県~(しまなみ海道)~広島県~岡山県~鳥取県~京都府~福井県~滋賀県
~(北陸道)~石川県~富山県~岐阜県~長野県~群馬県~埼玉県~自宅
さて、今回は2003年の秋に、思い立って西の方へ旅に出かけた時の話をしましょう。西の方といっても、西方浄土というわけじゃあありません。阿弥陀様のお迎えはもう少し先の話です。関東に住んでいるので、静岡県も長野県も西の方ということになるのですが、まあ関東人が西の方といえば、普通は関西以西ということになりますか。私どもは、毎年秋の旅は西の方へ行くと決めているのですが、今回はあれこれ思いめぐらしている内に、急に四国へ行きたくなったのです。とにかく四国まで行って、その後は中国から山陰を回って、北陸から信州経由で戻ってくるというコースを描いたわけです。行く先々での細かいことは行ってから決めるということにしています。くるま旅って奴は、そんなことが苦もなくできるから良いんですね。何しろ宿の予約もキャンセルもノ―プロブレムなのです。ということで、先ずは初日からのお話です。
第1日 自宅から長野県は信州蔦木宿まで
朝からしょぼしょぼの雨降りです。何てこった、昨日まではいい天気だったのに、よりによってこんなときに予報が当たるなんて、世間てえ奴は天気までが不条理だね。とまあ、いつものこじつけの愚痴が出ます。どうするか、出発は明日にしようかと迷ったのですが、どうやら明日も天気は不機嫌らしい。お天道様のご機嫌ばかり伺っていたら、出発はどんどん遅れることになってしまいそう。ここは一つふんぎりをつけて、とにかく行くことにしようと決めました。
今回は、とにかく四国に行くことを考えています。最初は単純に関西を訪ねて奈良や京都を回って、その後は北陸経由で戻ってこようと考えていたのですが、、あれこれ思いを巡らしている内に、ふと四国で暮らしていた頃を思い出し、急に懐かしい顔が幾つも浮かび上がって来てしまい、関西まで行くのなら四国も近いじゃないかと気づいて、急遽往時の思い出などを訪ねてみたい気持ちとなってしまったのです。というのもずいぶん昔となりますが、私どもは転勤で四国の高松に5年ほど住んでいたことがあり、あれからもう25年も経ってしまっています。ここ数年は全く四国を訪ねる機会が無くて、ご無沙汰のしっ放しだったのです。四国に居た頃は、確か本四架橋に着工するとか延期だとかの話が賑わっていて、本当に自分が生きている間にそんな大きい橋が見られるのかなと、半分くらい疑っていたような気がします。それが今では3ルート共全てが完成して、当たり前の現実となっているのですから、考えてみれば私も家内も歳とったものです。その橋をまだ一度も渡ったことがないというんですから、真に情けない話です。どんな按配なのか、やはり一度は体験してみたいと考えるのは当然でしょう。
あれこれ野次馬根性が頭をもたげ出しています。でも今回は、現地に行っても勤めていた会社の現役の連中には、会わないことにしています。先輩面した奴に振り回されるのは迷惑だというのは、自分の現役時代に散々体験済みだからです。経験というのは、逆の面でも活かす必要があると思います。でも、もう既にリタイアした人らにはちょっと声を掛けてもみたいと思いますね。25年という時間は、この変転めまぐるしい時代では、私なんぞはもはや浦島太郎の如き存在となってしまっているのかもしれませんなあ。ま、そのような思いで、碌に計画も立てずにとにかく四国に行ってしまおうと、そう思っています。
車でのぶらぶら旅という奴は、何時も計画から杜撰なんですよね。行き当たりばったりの方が旅の真髄を味わえるような気がして、などといって生来の面倒くさがりをごまかしている、それが私の本性なのかもしれません。家内の方は、私に只引きずられているだけなのかも。前置きが長くなりました。
雨の中を2時間以上も時間をかけて、ようやく出発の準備が完了しました。今はマンションという所に住んでいるものですから、旅車を置けるような駐車場が無くて、普段は元勤務先の駐車場に旅車を置かせて貰っています。ここからは6kmほど離れており、車を取りに行くだけで1時間近くもかかってしまいます。持ってきた車も、マンションの狭い駐車場では他の車の邪魔にならないかと気を使いながら、大急ぎで荷物の積み込みをしなければならず、旅の出発前の気分は毎度落ち着かないことおびただしいのです。ものごとは事前の段取りの通りにはなかなか上手くはゆかず、なんだかんだと手間がかかってしまうのですなあ。東京という所は、東村山などという田舎の町の隅々まで、ゆとりが無く出来上がってしまっていて、旅車を置けるような駐車場のあるマンションなんて皆無なのです。こういう時にはつい文句を言いたくなってしまいますね。諦めてはいるものの、凡人は愚痴を言わないと健康が保てないから、こんな時はまあよろしいでしょう。
さて、いつまでもぐずぐずあれこれやっているのは止めまして、碌に忘れ物のチエックもせずに出発と相成りました。とりあえず、今日は中央高速を山梨県の甲府まで行き、昭和ICで下りて、R20(=甲州街道)に入って長野県は富士見町にある道の駅「信州蔦木の宿」に泊まる予定にしています。幾ら行き当たりばったりだと言っても、今日のこれくらいの予定は立ててあります。尤も、そうはいっても途中でいきなり変えることもありますから、あまり偉そうなことは言えないんですが、‥‥。
家を出てからは、府中街道と呼ばれる都道を国立(くにたち)市方面へ。中央道の国立府中ICから高速道に入るのですが、そこに行くまでが大変な混雑なのです。万年渋滞という奴ですな。空いていれば20分もあれば行ける距離なのに、まんず空いている時間帯などというのは深夜のほんの一時くらいしかなく、年がら年中混雑しているのが東京近郊の殆どの道の実態です。今日は1時間ほどで高速に入れたのは、まあ上等というべきじゃないでしょうか。しかし、高速に入ったからとて、未だ油断はできません。事故や工事なんかがあると、あっという間に詰まってしまって車の長蛇の列が生まれ、又またうんざりの渋滞が出現しますからね。今日はそのようなことが無いことを願うばかりです。雨降りの方は思ったよりも大したことなさそうなので、この分だとやたらに事故が起きるような道路状況ではなさそうです。(次回につづく)
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