山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

オリンピックで得た大きな感動

2021-08-10 00:59:15 | その他

 オリンピックが終わった。歴史に残る変則的で、ある意味では悲惨なイベントだった。新型コロナのパンデミックの中、日本では第5波の最中に開催ということになったこの大会は、後世どのような評価を受けるのか。それは後世の人びとに任せるとして、今の世に生きる者にとっては複雑だ。先ずは開催の是非。開くべきか開かざるべきか、それが問題だ。しかし現実は問題のまま開催されることになった。世界に何万人と居るアスリートたちや、それを目指す裾野の若者たちにとっては、ただ只感謝の開催だったと思う。けれど一方でこのイベントに絡んでどれほど多くのパンデミックの犠牲者が生み出されたのか。開催しなくても結果は大同小異だったのか。それは誰にも判らない。この問題は閉会をしばらく過ぎてもまだまだ燻り続けるに違いない。その他にも問題は山積している。例えば、コストとパフォーマンスに係わる様々な問題など。

 その様なことは脇に置いておくとして、開催された多くの競技の中で、自分の心に大きな感動を与えてくれた人たちがいる。メダルの獲得やその色に拘わらず、多くのアスリートたちがその存在と同じくらいに感動を与えてくれたのだが、その中で自分が最高だなと思った感動に、2つの種類の4つの感動がある。

 二つの種類とは、一つは個人アスリートに対して強く心を打たれたものであり、もう一つはグループ(団体)であるチームに対して心を打たれたものである。個人競技者として名を上げれば陸上1500メートル8位入賞の田中希実さん。そしてチームとしては女子バスケットボールの日本チームと野球の侍ジャパン、女子ソフトボールチームの3つのチームの存在だ。

 先に団体競技の中からこの3つを選んだ理由について述べるとしよう。自分は、団体競技、即ちチームスポーツにおいて、優れた結果を出せるのは、その競技イベントにおいてそのチームがどれだけ成長(=成長力の獲得と発揮)出来たかが全てだと思っている。オリンピックで勝つためには、先ずはチームを構成するメンバーの一人ひとりの能力が優れていることが基盤となる。劣った能力の個人の集まりではチームとしての力を発揮が出来るかなどは問題外であろう。当然どのチームも鍛え上げられた個々人で構成されているのは当然だ。上位チームの力はどのゲームにおいても力は拮抗している。そこで勝つために求められるのがチーム力即ちチームワークということである。ではチームワークとは何か。それは皆がメンバー一人ひとりをよく理解して仲が良いことなどではない。能力あるメンバー一人ひとりが、チームが勝利するために必要な自分の役割を理解し、それを確実に実践できることがチームワークの基本となる。しかし、それだけでは、単なるチームワークの一般論に過ぎない。チームワークにもう一つ必要なのは、チームとしてのスピリット(=精神・魂)が出来ているかということなのだ。チームの目的は勝利することなのだから、個々人が実力を磨きチームの中で自分の役割を目一杯果たすことが必要なのだが、その個々人の中に自分自身のスピリットとチームとしてのスピリットという二つのスピリットがしっかり定着しているかが問われるのである。では、それがしっかり実現できているかどうかは、どうやって証明されるのか。それを示すのは、一戦毎のチームの成長力なのだ。チームが唯の実力者メンバーの集まりではなく、チームとしての力が発揮できること。それには先ず勝利することが肝要だが、その勝利を通してチームが成長するのである。その成長結果が一段とチーム力を増し、更なる勝利に繋がることになる。そしてその結果が層倍のチーム力となって次のゲームに繋がって行く。この成長のスパイラルを取り込んだチームが前評判を覆す存在となってゆく。これはどのような団体競技においても共通に言えることであり。そのスパイラルの発揮状況がそれを見る人たちを感動させるのである。

 今回の多くのチームスポーツの中で、自分が心を打たれたのが日本女子バスケットチームと野球の侍ニッポン、女子ソフトボールチームだった。バスケ女子は銀メダルに止まったが、チーム成長力のスパイラルを如実に示してくれた。何年か前の女子サッカーのなでしこジャパンと同じレベルの感動だった。

 そして野球の侍ジャパンと女子ソフトボールの二つのチーム。これは二つとも前評判時から優勝への期待が確実視されたチームだった。前評判ではこのチームと同様に並んでいたのはUSAチームだった。チームメンバー個々人の実力もチームワークの実力も同じレベルだった。なのに、USAは最後の勝者にはなれなかった。何故なのか。原因は明確だ。それはまさにチームの成長力の差なのだ。日本のチームの方が僅かに勝っていたからなのだと思う。この二つのチームが示してくれた成長力に感動した。その力をどうして掴むことが出来たのか。それは監督や選手たちだけに解ることで、詮索しても仕方ない。自分はただそれを示し続けてくれたことに感動し、感謝したい。

 さて、次は個人競技者として女子陸上1500メートルで決勝まで進み8位に入賞した田中希実さんに絶大な感動を貰った。この人の力の発揮は、その競技の金・銀・銅メダル等の上位入賞者たちを遥かに凌ぐものだった。TVを見ていて凄いなと思ったのはこの人が一番だった。何故なのか。他の様々な個人競技の勝利者たちの中にも、それなりの感動を覚えた人は何人もいるけど、この人ほどの凄さはなかった。この人の凄さは、いみじくも彼女が競技を終えたあとで語った言葉の中にあったように「自分の壁を乗り越えた、破った」というセリフにあると思う。明らかに彼女は異次元の走りを実現したのだ。それは多くの選手たちがいう「楽しんだ」などという身勝手なコメントなどとは異質のものだ。彼女は自らの走りの中で、禅で言うところの「心身脱落」(悟りの一表現)を実現したのだと思う。多くの陸上競技の走者の中で、このようなことを目の当たりに見せてくれた人を見たことがない。彼女はチームで言う成長力の極致を個人で実現したのではないか。これは驚きであり、自分の心を震わせた感動だった。そして思った。この人は陸上競技のこの分野の走りをもはや必要としないのではないか、と。本人の心の奥には走りを極めた者の格別な心境があるのではないか。もしかしたら、もう走るのをやめるのではないか。とも。

 ま、自分はそれほどのショックをこの人の走りに見たのだった。聞けば彼女の目指すものは作家だとか。自分はこの志を素晴らしいと思うし、この人は走りの中で得た己の壁破りの体験を生かして、何時かその夢を実現するのではないか。そして是非実現して欲しいと思う。陸上競技者の競技人生は短い。特に女性の場合はせいぜい10年が限界ではないか。早や目に切り替えた方がいい。人生は長いのだ。そして作家としては、この1.5kmの走りの中で得た体験を初作のテーマにされたらいいなと思ったりしている。

 何はともあれ、この人の走りの中からこのオリンピック最大の感動を得たというのが、一番の嬉しくもありがたい出来事だった。

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