山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 秋の関西方面への旅レポート <第4回>

2013-10-30 04:31:35 | くるま旅くらしの話

【今日(10/30)の予定】 

  道の駅:あいとうマーガレットステーション → (R307・R1他)道の駅:関宿→(R)→伊賀焼き窯元探訪→(R)→道の駅:宇陀路大宇陀(泊)

 【昨日(10月29日)のレポート】 

<行程>

道の駅:若狭おばま→(R162他)→小浜市郊外・田烏集落(民宿佐助)訪問→(R162他・R27)→瓜割りの滝(給水)→(R27・R303・R161)→道の駅:藤樹の里あどがわ→(R161・R477他)→鮎家→(R477・R8他)→東近江市・五個荘重伝建エリア探訪→(R8・R307他)→道の駅:あいとうマーガレットステーション(泊)

<レポート>

 朝起きたら昨日とは打って変わった雲の多い空となっていた。寒くはないけど、暖かさのない半端な天気の一日となりそうな感じがした。今日は早くも旅の3日目を迎える。小浜の昨日一日は真に年寄り向きの過ごし方で、その延長線が朝まで残っていた。というのも、相棒が昨日焼サバ寿司などを作っている店にお願いして、朝一番でそれを手に入れることにしており、又もう一つの店では鯖のなれ寿司をオーダーすれば、その製造時期が来た時に製造元から送ってくれるというので、それをお願いしようということになっており、食べ物の入手に対する老人の執念のようなものが続いていたのである。店の開店が9時だというので、それまでの間、道の駅で過ごす。

 今日のメインの訪問先は、近江商人の拠点の一つだった、湖東の五個荘の金堂というエリアの探訪である。ここは重伝建に指定された農村集落である。そこへ行く前にいつもの瓜割りの滝の湧水を汲むつもりでいる。また、途中時間があれば、熊川宿などの重伝建エリアにも寄りたいし、他の道の駅などにも寄って、見聞を膨らませたいと考えている。

 9時近くになって、昨日オーダーした店に出向く。それらの店は小浜港近くの若狭フィッシャーマンズワーフの傍にあって、道の駅からは5分ほどの距離にある。先ずは鯖寿司の方へ行く。すぐに戻るのかなと思ったら相棒がなかなか帰ってこない。どうしたのかと思ったら、何と、ただ今作って貰っている最中だという。おしゃべりに帰りを忘れたのとは違っていた。少し待って出来立ての寿司を手に入れ、もう一軒の店に出向く。ここでは、突然の出会いが待っていた。相棒がなれ寿司を送ってもらおうと頼みに行くと、何とその製造元の民宿の方が来訪されていたのに出合ったのである。この店ではなれ寿司は販売斡旋だけで、製造はそこの民宿(=佐助という屋号)のものだったのである。昨日の話では、なれ寿司は製造の時期があり、もう少し寒くならないとダメなのだと聞いていたのだが、今日その製造元の方の話では、今頃は年中の製造が可能となっているとのことだった。今手に入るのかと相棒が訊いたら、大丈夫とのこと。今日出したものがあるので、何なら家まで来て頂ければお分けしますというので、それじゃあ、と行って見ることにした。何だかわけが判らぬまま、頂戴した名刺のあて先をナビに入力しての出発となった。

 さあ、それから先は全くのナビ頼りで、どこへ行くのやら土地勘は全くないままの運転となった。どうやら浜の民宿を経営されているらしく、車はR162に入って、まだ一度も行ったことのない小浜市郊外の海岸線を走り続けた。20分ほど走って、田烏(たからす)という集落が眼下にあり、急坂を下ってそこへ行くようにナビがガイドした。きれいな浜が湾になって穏やかな波に洗われていた。全部で50軒そこそこの漁師町の集落が櫛比して建っていた。その浜に近い道を少し入った場所に民宿佐助はあった。まだご夫妻は帰宅されていないようなので、相棒が電話をすると途中で買い物をしたりしたので、少し遅れるという。しばらく待つことにした。

 15分ほど待って軽トラのご夫妻が戻られた。さっそくなれ寿司一本を手に入れる。その後しばらくなれ寿司やへしこ、それにその材料の鯖の話になり、いろいろと勉強になった。この集落はその昔から京都に運ぶ鯖を獲っていた漁師町なのだそうで、20年ほど前まではきんちゃく網漁をしていたとのこと。集落全体が一体となって漁をしていたらしく、今でも密集している家々は、全戸が親戚なのではないかと思うほどである。鯖のなれ寿司の話を聞いたのは、つい先日のNHKの番組を見ていてのことであり、その時初めてそれを知り、ぜひ機会があったら食べて見たいと思っていた。それが突然にも実現して嬉しさを通り越して不思議な気持ちだった。鯖のなれ寿司は、へしこから作るのだとのこと。へしこというのは、鯖を塩と糠で発酵させて作る保存食だが、そのへしこを使って更に麹などを使って作るのがなれ寿司とのこと。詳しいことを知るのはこれからの課題だけど、大雑把にはそのような工程だとお聞きした。又、その作り方には家々で様々な工夫があるようで、同じ集落の中でも微妙に味が違うという話だった。

ご主人はとても話好きの方で、相棒とはいい勝負だなと思ったりした。あれこれ話をしている内に、ついにはへしこを一本無料でプレゼントして頂き、恐縮した。年末近くなったら、再度なれ寿司とへしこをオーダーすることにしたい。なれ寿司は人により好き嫌いがあるとのことだけど、自分には無関係の話である。まだ食べてはいないのだけど、この手の発酵食品は、酒の肴に不適などということはあり得ない。明日が楽しみだなと思った。まだまだ学んだことはたくさんあるけど、ここに書くのには無理がある。ご夫妻にお礼を申し上げての出発となった。

 予定外の出来事に少し驚かされたが、いい出会いだった。旅の出会いの大半は、外交官役の相棒のおしゃべりから始まっているけど、今回も同じパターンだった。私がいなかったら、出合いは滅多にないのじゃないか、というのがこの頃の相棒の自慢になりつつある。ま、ええか、である。そのようなことを話しながら、次の目的地である瓜割りの滝に向かう。11時少し前に到着。ここで給水をする。瓜割りの滝から流れ出る名水は、名水の名にふさわしい。ここを通る時はかならず寄って車の水槽を満たし、ペットボトルやポリタンを満たすことにしている。ここの水を汲むには、手形が必要で、古いポリタンにはそれが貼ってあるのだけど、今日は新しいポリタンも持参したので、もう一枚手形を買い入れ貼り付けた。いつもお世話になっているお礼のつもりである。瓜割りの名水は、北海道の羊蹄山の湧水ほど規模は大きくないけど、水質においては勝るとも劣らないと思っている。何しろ若狭は古来よりの名水の本場なのだ。奈良の二月堂のお水取りは春を迎える行事として有名だけど、そこで汲みとられる水は若狭から送られてきた水なのである。小浜近くの神宮寺では、お水送りの神事がある。ここへ来るといつもそのようなことを思ってしまう。十二分に水汲みに満足して出発。

 お昼は五個荘に行く途中にある道の駅:藤樹の里あどがわで摂ることにして、途中の熊川宿はパスする。ここも重伝建指定の宿場町だけど、もう何度も散策しているので、名残はない。しばらく走って、琵琶湖西岸に出て、湖西道路を少し走ると合併で高島市となっている安曇川の道の駅に着いた。比較的新しい道の駅で、設備も良くいつも混雑しているのが少し残念。隣の図書館脇の駐車場に車を止め、昼食休憩。お昼は今朝小浜で買った小鯛の寿司だった。鯖寿司だけかと思ったら、抜け目なく鯛の方も手に入れていた相棒だった。上品な味で、雑食性の自分には勿体ないような感じもした。40分余り休憩して出発。

 引き続き湖西道路を走って、琵琶湖大橋に向かって左折する。琵琶湖大橋は有料で200円也を払って通過。そのまま五個荘に向かう前に、久しぶりに琵琶湖湖畔にある鮎家に寄ってみることにした。鮎家は本店は堅田にあるようだけど、湖畔にあるのは大型の観光ドライブインで、琵琶湖周辺の地産物や加工品など食品関係の各種商品を販売している。ここに行けば、近江近郊の土産は何でも手に入るというわけである。観光バスの寄るコースに含まれているらしく、いつもかなりの観光客でにぎわっている。

この店では、試食品がたくさんあり、食べて見させて買ってもらうというのは、納得性のある販売方法で、これも近江商人の商法の一つなのかなどと感心したものだったが、年を追うごとに試食品の提供は数を少なくし、前回3年ほど前に行った時には10種類くらいに減っていた。今回はどうだろうと一回り中を覗いてみたけど、前回に増して試食品は減っており、何だかますますこれは近江商人のやり方ではないなと思った。京都のケチ商人の根性が出始めているのかなと思ったりした。しかしまあ、相変わらずシルバー世代中心の観光客があふれているのは結構な商売上手ということなのであろう。自分は直ぐに車に戻ったが、相棒は何やら手に入れてきたようである。

 鮎家におさらばして、今日の本命の五個荘金堂集落に向かう。鮎家からは、ナビ任せで、思ったよりも時間がかかって到着する。観光センターという所の駐車場に車を置き、歩くことにした。近江商人は、湖西と湖東に大別されるが、五個荘は勿論湖東商人の一つである。現役時代、マーケティングという観点から近江商人について少し研究をしたことがあり、その時に五個荘のことについても調べたことがあったのだが、現地に行って実際の様子を見聞するには至らず、知識として近江商人の哲学や方法論などを調べたりしただけだった。それが、今は理屈ではなくこうして実地を半ば観光気分で歩き回れるというのは、何とも不思議な感じがしている。

 重伝建の指定では、五個荘金堂エリアは、農村集落となっている。農村といえば、田舎の山村の景観などをイメージしてしまうけど、五個荘は、とてもそのような雰囲気はない。歩いて訪ねた金堂集落は、超豪華な、しかしどこかに控えめさを秘めた屋敷や寺院などが集まった一角だった。ここが農村であったというのは、集落の外側には現役の田畑が囲んでおり、そのまま首肯できるのだが、立派な建物には農家の匂いも気配もないように思った。金堂集落は、元々農村だったのが、農業だけでは食べてゆけないので、行商を始めた者があり、それが次第に数を増し、成功を収めて、いわゆる近江商人といわれるものに発展したということである。

      

五個荘金堂エリアの中のあきんど通りの景観。重厚な建物が立ち並んでいるが、豪華さの中にも控えめな雰囲気が漂っているように思った。

五個荘の特徴は、成功した農村出身者が、故郷を大事にし、故郷には店舗などを一切設けず、拠点としての家を大切に守ってきたということである。つまりは商売を抜きにした故郷として自分の家を先祖共々大切にしてきたということであり、成功するにつれて故郷の家屋や屋敷も規模が大きくなったのであろう。農村集落という指定の形を不思議に思うとともに、その昔、天秤棒を担いでの行商から始めて、これだけのスケールの大きい家々を持つまでに育て上げた農家の人々の根性というか、精神に畏敬の念を覚えたのだった。

 観光センターの傍に「プラザ三方よし」というのがあり、ここが五個荘観光案内の拠点となっているようだった。「三方よし」とは、近江商人の商売哲学を代表する言葉であり、「自分よし」「相手よし」「世間よし」の三つの良し、すなわち良き関係を意味している。これはバラバラにして三つがそれぞれ大切だという意味ではなく、この三つが常に一つになって商売するものの頭の中に入っての行動でなければならないという、意味なのである。つまり、商売は常にこの三つが一つになって守られていなければならないということで、辛酸を舐めつくして成功を収めた商人魂の極理を言い表しているのだと思う。そのような説明がこの建物の中のどこにも見られなかったのは、残念だなと思った。先人の遺産を単なる観光資源として安易に食いつぶすのではなく、今日につながる精神面の大事さをもう少し讃えるような紹介の仕方という取り組みがあってもいいのではないかとも思った。(ま、知ったかぶりなのかもしれないけど)

 1時間ほど散策をしたけど、じっくり見るには時間が足りず、相棒は、今回はとりあえず下見をしに来たことにするなどと言っていた。建物内部には入らず外観ばかりだったので、集落の構成などは判ったけど、次回は何箇所かある公開されている屋敷の見聞もすることにして、今回の探訪を終わることにした。帰り際、相棒が何処かへ消えたなと思ったら、間もなくにこにこしながら、「あった」と何かを手に掲げて戻ってきた。何と、枝豆を探し当てて買ってきたのだという。ここまで来る途中の畑や田んぼにまだ青い葉を残している大豆を見つけて、黒豆の枝豆が手に入るかもしれないとひそかに期待していたのだったが、まさかこんな所で相棒が見つけて手に入れて来てくれるとは思わなかった。念願が叶って、万歳!である。さっそく今夜の一杯に供することにして、泊りを予定している道の駅:あいとうマーガレットステーションに向かう。

15分ほどで、道の駅に到着。16時を少し過ぎた頃なのに、今日は雲が多くて、既に暗くなり始めていた。雨も少し降り出したようである。さっそく鍋を取り出し、枝豆をゆで上げる。見た目には全く冴えなくて、とても旨そうには見えないのだけど、食べて見ると期待に違わずの美味だった。酒とビールの在庫が無いため、今夜は焼酎での一杯となった。まだ、17時半である。いい気分となりだした18時からプロ野球の日本シリーズの放映が始まったが、とても最後まで見るなど無理である。19時前いには寝床にもぐりこみ、ラジオの実況放送を聞くのに切り替えて、しばらく経って楽天が4点を先取したというのをかすかに聴いたのが最後で、あとは早や白川夜船の世界となる。

コメント
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