マツムシソウは自分にとって、高嶺の花である。高嶺の花とは、広辞苑を引くと、「ただ見ているばかりで、手に取ることができないもののたとえ」とある。しかし、自分にとってのマツムシソウは、そこへ行けばいつでも手に取ることが出来る存在だから、これはもう高嶺の花とはいえないのかもしれない。しかし、しかし自分は未だマツムシソウを手に取ったことはない。遠く、近くで見るだけの存在なのだ。触れてはならない清純さというか、可憐さというか、妖精のような雰囲気をこの花は持っている感じがする。それは姿形よりも花の色にあるように思う。薄紫というのか、淡いブルーというのか、初秋の高原に咲くその花の姿は、気高さに溢れている。
美ヶ原の牛伏山園地内のマツムシソウの一株。礫地の荒れた土地に点在して花を咲かせていたが、その数は少なく、心なしか花の勢いも少し失われているようだ、その分花への愛おしさは倍加した。
マツムシソウは、松虫草と書く。その謂(いわ)れは、松虫草が鳴く頃に咲きだすからとか、咲き終えた実の形が巡礼の持つ松虫鉦(かね)に似ているからとの解説があった。松虫鉦というのは見たことが無いので分らないが、花を咲き終えた実を見ると見当はつく。松虫といえば、チンチロリンと鳴く秋の虫の中では一番風情のある虫だと思うけど、最近その鳴き声を聞いたことがない。絶滅危惧種に入っているのだろうか。人が手入れを放棄した田畑や草叢(むら)は増えるばかりだけど、その中にいる筈の秋の虫の鳴き声がさっぱり聞こえないのは、どういうことなのだろうか。今頃はそれに気づかない人ばかりである。
マツムシソウに初めて出会ったのは、数十年前のまだ霧ケ峰と美ケ原高原を走るビーナスラインが有料だった頃に、車で美ヶ原を訪ねた時だった。山本小屋の近くの草原の中に淡い紫色のマツムシソウが群れをなして咲いていた。一面がその色で染まっている景色を見て、感動したのを思い出す。夏の終わり、初秋の爽やかな風が高原を渡り抜け、その風になびく花たちの姿は、この世のものとは思えぬ感じがした。最高のタイミングで、最高の花たちに出会えたのだと思う。その記憶は自分のものであり、永遠に消えることはない。
今回訪ねた高原のマツムシソウは、残念なことに少し時期を失していたようだった。花は残って咲いていてはくれたけど、もう少し早い方がより活き活きとした花たちを見ることが出来たようだ。それでも気高き妖精たちに逢えて嬉しかった。しかし、まあ、何と変わってしまったことだろう。花の数は激減していた。咲き終えた跡はまだ残っているので、野草たちの数は見当がつくのだが、その少なさに驚かされた。その昔の2割にも満たないようにも思えた。群落らしきものは、僅かに霧ケ峰の自然保護センター脇に3坪ほどのものが見られたけど、これはどうやら人の手によるもののようだった。自然のままの群落は、もはや絶えてしまったのかもしれない。
僅かに残っていたマツムシソウの群落。これは霧ケ峰の方にあったけど、数十年前のその頃は、美ヶ原ではこの数十、数百倍の広さの群落が高原を覆っていたように思う。
マツムシソウは、種から育つ2年草で、花を咲かせるまでに2年かかるということだから、この2年という間の気候や環境の変化が、彼らの安定的な生育に重大な障害を及ぼしているのかもしれない。温暖化や排気ガスなど、直接・間接的に自然環境は刻々と汚染され破壊されている。その近因・遠因の全ては人間の、人間のためだけの、良かれ社会の建設の積み上げ結果なのだと考えると、マツムシソウはその犠牲者の一つなのかもしれない。妖精というのは、汚れた世界には棲めない存在なのであろう。小さな虫を花びらに遊ばせている姿を見ながら、この数十年間の人類の思い上がりの恐ろしさを改めて想った。
マツムシソウの近影。このように花には小さな虫や蝶たちが数多く飛んできて、その蜜を吸っていた。さて、どのような味がするのだろうか。ほんの少しおすそ分けに与りたいものだ。
今回の旅では、この花に逢うことが一つの大きな楽しみだったので、その再会が叶って嬉しかった。しかし、群れなす妖精たちの微笑みを見ることが出来ず、残念な思いもする。併せて、自分だけが良い子になるというのも恥じなければならないと思った。自分も人間の端くれであり、他の者と同じように排気ガスを振り撒き、何処かで温暖化に貢献しているのである。その罪の分だけ、今咲いている花たちを精一杯愛でて、その生命(いのち)を讃えたい。そう思いながら高原を後にしたのだった。