今の世の姥捨て山にさすらふか行き方知れぬ白寿の人ら
冒頭の和歌は、今年の新年会で出席メンバーの一人から披瀝されたもので、新聞の撰評にも取り上げられたとの話でした。それを披瀝したのはご本人ではなく、大学も同じだった級友からでした。それ故、直接所感などを聞くことはできませんでしたが、私はこの歌を聞いて大変感動を受けそして驚きました。驚いたのには二つの理由があり、その一つはもちろんその歌の扱う内容の深さと表現の的確さなのですが、もう一つはこれを詠んだご本人が文系ではなく確か理系の道を辿ったのではないかと思ったからです。お互いもう古希を超えた歳なのですから、もはや過去の経歴などどうでもいいのですが、どこかに昔を思っての意外性を感じたからなのでした。
この歌には、今の世の高齢者の厳しくもやりきれない現実が深い悲しみと一緒に詠われています。厳しいという言葉の中には恐怖といったものが混ざっているのを否定できません。というのは、その白寿の人が自分であるかも知れず、あるいは自分自身が、白寿に至る前に姥捨て山にさすらふ姿となるかも知れず、そして又自分ならずとも共に人生を歩んできた伴侶や親しき知人がそうなるやも知れず、真に人の行く先、とりわけて高齢者となる自分の未来は知るすべもありません。そのようなことを思う時、この歌は吾が身とこの国の近き未来を暗示しているのかも知れないと思えるのです。
今、認知症と診断される人が、この国に200万人もいるとも言われています。数年前、その認知症についての講演を聴きに行った時の話では、170万人ということでしたが、先日の新聞記事では既に200万人となっていました。その大半、恐らく99%は高齢者と呼ばれる人が占めていると言えましょう。そしてその内訳も加齢と共に発症者が増えてゆくという分布状況なのではないかと思うのです。白寿といえば、100歳にすぐ手が届くところにあり、本来ならばその長命を周囲皆が喜び祝うというのが自然の姿なのだと思いますが、もしその人が認知症になってしまったとしたら、祝うに祝えない、喜ぶに喜べない現実がそこに出来することになってしまいます。長命・長寿を喜べない社会というのは、まことに悲しいといわざるを得ません。今の世の姥捨て山というのは、貧困の故にではなく、豊かさの泡を喰らうままに歳を重ね、気づけば認知症の世界に入り込んでしまった人に用意されている、その世界を指しているように思えてなりません。
何年か前に信州長野県を旅した時に、明科町(現安曇野市)から国道403号線を走って戸倉上山田温泉の方に向かったことがあります。初めて通った道でしたが、筑摩などという地名が出てきたりしてなんとなく懐かしさを覚えたものでした。かなりの山道で 坂を上り下りしながら聖高原、千曲高原を通って行くと、やがて眺望が開けて、左手に川中島の合戦場を遠望できる断崖のような高台に出ます。その真下を高速道が走っており、そこにたくさんの車が停まっていたので、どこなのかと地図で調べましたら、長野自動車道の姥捨SAという所でした。そのとき初めて姥捨てという地名が実在するのを知り、世に名高い姥捨て山の伝説というのは、この辺りの話なのかと思ったのでした。全国に幾つかの棄老伝説があるようですが、その名も姥捨てという地名が現実にあったとは! 何だかショッキングな感じがしました。地元の方たちはこの地名をどう感じているのかなと思いました。そして又、どうして変えないのかなとも思ったのでした。先祖代々姥捨てなんぞという地名を守っているのが大切なことなのかと思った次第です。実際に姥捨て山というのがあるのかと地図を見ましたら、あるのです。冠着山(1,252m)というのがあり、その脇に括弧書きがあって、姥捨山と記されていました。その後の詳しいことは調べませんでしたが、この地が棄老伝説の一つに当てはまるのは、間違いなかろうと思ったのでした。
棄老伝説を取り上げた小説の作品では、深沢七郎の「楢山節考」が有名ですが、この作品が発表され映画化されたときには、かなり話題となったのを覚えています。あの話は、実際にこの地の姥捨て山を舞台としたものなのか、私には良くわかりませんが、江戸時代半ばの話ならば、それは実在したものであるような気がします。辛うじて生きてゆくだけの食べ物すらも不足しがちな極貧の村人の暮らしの中では、その暮らしを保持するために、生きている人間でさえもそれが用済みになった時には捨て去る。それがそこに住む人たちの決まりであったとしたら、あまりにも悲しい話です。しかし、このような現代人のコメントは、食うや食わずの極貧の暮らしという現実の中では、何の力も発揮せず役にも立たないものでありましょう。楢山節考の中で描かれている人たちの世界を想うと、その半端でない貧しさゆえの暮らぶりの凄まじさが良く判るのです。
楢山参りという帰り道のない魔の山への道行きは、棄老と言うよりも、主人公のおりんさんの場合は、自ら進んで倅を叱咤激励しながら、その背中に負ぶさって、敢行するのですから、なんともはや凄まじいというか、恐るべき確信的自殺行動です。こんなことが本当にあったのか、ありうるのか、何度も自分の心を揺さぶって考えてみたのですが、村という共同社会(=ゲマインシャフト)が生き残るためには、個人の行動すらも村が規制し、本人もまたそのことを遵守するのが当然という生き方を否定はできない世界があったのかも知れません。それは又社会的動物としての人間が生き残るための本能のようなものであったのかもしれません。しかし、加齢を重ねることが、村人の暮らしの邪魔者になるという理由だけで自分の生を否定し、自らをして死に赴かせるというのは、どう考えても人の道(私はそのような道があると信じています)を外れており、その許されるべき限界を超えているように思えます。70歳を超えたら楢山参りに行くという、強制的な死への旅が、極貧の村人たちを生き長らえさせるための仕組みとして、暮らしの中に織り込まれているという、この話の戦慄すべき慣習をどう受け止めたら良いのか、今の世に生きる者として、且つおりんさんと同じの、今年まさに70歳を迎えた者としては、これはもう真に困惑するテーマです。
深沢七郎という人の問題提起は、棄老伝説というものが持つ人間社会の深淵に潜む恐ろしさ、おぞましさ、悲しさといった類の暗い本性のようなものにスポットを当てて、現代においても同じような現象が生まれることを示唆したのではないかと思われてなりません。このようなことを思いながらこの歌を繰り返し読んでいると、恐ろしい想念が湧き上がってきます。もしかしたら、姿形を変えて、今の世に、そしてこれから後の世にも、姥捨て山は膨らみ続け、高齢者の多くを飲み込んでゆくのではないかという恐怖です。さしずめ認知症とそれを取り巻く環境は、現代の姥捨て山であり、そのプロセスこそが楢山参りなのではないか。あるいは認知症と診断されなくても、病院や養護施設に入るのを余儀なくされる人たちは、もはや楢山参り以外の何ものでもないというように思えてくるのです。
人類が築き上げてきた生き様の歴史の中で、高齢化社会などと呼ばれる時代は、かつて世界中どこを探しても無かったのではないでしょうか。少なくとも日本という国には、これほど長生きの人が多く生き残るという時代は存在しなかったと思います。だから、治世の仕組みの中では、年金も医療も福祉もどうあるべきかについて、未曾有の時代を迎えているのだと思います。恐らくこれから新しく社会システムとして導入されるものは、全てが初めての取り組みとなるのではないでしょうか。従来の仕組みのままでは、老人がこの国を食いつぶしてしまうに違いないのですから。そうなれば、新たな姥捨て山のシステムを取り入れなければ、この国はもはや成り立ってゆかないのです。
私が一番気になっているのは、為政者たちが姥捨て山のシステムを構築する前に、もしかしたら高齢者の大半が、なし崩し的に自らの身を姥捨て山に投げ込み、さ迷うことを無意識的に意図しているのではないかということです。これは新しい時代の社会本能とも言うべきことかもしれません。数年前までは物忘れも無く普通に暮らしていた高齢者が、何が引き金となったのか判らないままに、ある時期から物忘れが激しくなり、ついには何もかも忘れ果てて、一人では生きてゆけなくなる状況に吾が身を追い込んでゆく。そしてそこに入り込んでしまった以降は、家族とのコミュニケーションもできなくなり、血縁ですらも次第に姥捨て山の中で薄くなってゆくという、恐るべき妄想です。このような現象は、心の病いの世界から始まるような気がするのですが、最終的には衰えた老という身体の世界に波及し、自らがその生命を縮めるように働いてゆく。今の世の姥捨て山は、それが白寿に至らなくても、己が己であることを忘れるように、自ら人間社会からの離別を選択している、そのような世界が眼前に膨らんできている感じがするのです。
ここから逃れ出る道が見つけられるのか。これは今のところ個人の課題でありましょう。姥捨て山にさ迷う前にPPK(ピン、ピン、コロリ)と逝きたいものですが、本人の願望とは無関係に世の医療システムは機能していますので、このPPKは一発勝負でなければならないなと、改めてその難しさを感じているところです。それにしても、わがクラスメートながら、すごい歌を詠んだものだなと思います。改めてその一首を掲げます。
今の世の姥捨て山にさすらふか行き方知れぬ白寿の人ら