山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

久しぶりに東京へ行く

2011-02-04 04:24:50 | 宵宵妄話

   このところもう半年以上東京へ行っていませんでした。普段は歩きや自転車で届かない範囲は、車で移動をしていますので、電車に乗ることもバスに乗ることもなく、真に自分勝手な気ままな移動に明け暮れています。旅に出かけない時は、これはもういわゆる田舎暮らしにどっぷり浸かっていると言っていいように思います。というのも、偶に東京などの都会に出てゆくと、あまりにもその環境の落差が大きいのを思い知らされるからです。守谷市は都心から40km足らずの距離で、TX(つくばエキスプレス)を利用すれば、浅草まで30分足らずで行けるロケーションですから、田舎ではないという気もするのですが、久しぶりに都心に出て行くと、やはり田舎に住んでいることを思い知らされるのです。

その東京へ久しぶりに出かけました。もう一年以上もご無沙汰を余儀なくされていた親しき友に会うために、池袋までを往復したのでした。私の所から東京へは、電車で行くよりも高速バスを利用した方が、時間的にも料金的にも経済的なものですから、今回も高速バスを利用することにしました。バス停までは我が家からは2分ほどの距離で、30分近くも歩かなければならないTX守谷駅よりは遥かに便利です。料金もTXでは終点の秋葉原まで800円もかかりますが、高速バスだと往復の割引券を利用すれば片道が700円で、東京駅まで行けるのです。偶にはTXにも乗ってみたいと思いますが、料金のことを考えると、なかなか実現が難しいことになります。

さて、久しぶりのバス行は、何だかちょっとした旅に出かける気分で、窓際から移り行く景色を眺めていると、ちっとも退屈しないから不思議です。高速道は車で何度も往復している道ですから、どこを通るときに何が見えるかなどは既知のことなのですが、何だか他人の運転する車の中で、別境地で行く先をなぞっている感じがして、楽しいものなのです。都心が近づいてきて、真っ先に気づくのは建設中のスカイタワーの存在です。浅草が近づくと、その建物は俄かに巨大化して目前に迫り、何だかとんでもないものが現出したという感覚にとらわれます。カメラを構えてもその全景を撮るのは不可能です。動いているバスの中からは、どんなにあがいても納得の行くような写真をものにすることはできません。

 

     

 浅草近くの隅田川の対岸向島辺りのビルの谷間から垣間見たスカイタワーの様子。(バスの中から撮影) まだ頂上部分が出来上がっていないけど、もう東京タワーを遥かに凌ぐ高さとなっている。

 

浅草から上野を通過し、明治通りを経て東京駅に着くまでに、今日は少し渋滞があって、1時間半ほどかかりました。守谷からは空いていれば1時間足らずで到着できる距離なのですが、交通状況というのは千変万化ですから、20~30分のズレは予め想定内としておかなければなりません。今日は池袋に行くために終点の東京駅まで来たのですが、東京駅近郊での集まりの際は、いつも上野で降りて歩くのが自分の上京時のスタイルなのです。今日は東京駅から池袋駅まで直線距離を突っ切って歩くのも良いかなと思っていたのですが、久しぶりに本屋なども回ってみたいと思っているので、高田馬場までは電車で行って、そこから池袋まで歩いて行くことにしました。

中央線快速電車から見る風景は、現役時代に見慣れたものとは大きく変わってしまっており、今更ながらに都会というものの変貌のスピードに驚かされます。ビルの谷間にほんの少し見られた木造のアパートなどは完全に消滅して、大小無数のコンクリートの建物ばかりが立ち並んでいます。それもいつの間にか少しずつ上の方に伸びている感じがして、人間という生き物がこれほどまでにヒトやモノが密集した空間が好きなのだとは、呆れ返るばかりです。

新宿から山手線に乗り換えて高田馬場で下車。この駅も懐かしい駅です。その昔小平市や東村山市に住んでいた頃は、西武新宿線で高田馬場まで来て、ここから地下鉄東西線に乗り換え、大手町の会社まで通ったものでした。高田馬場の駅そのものは数年前と大して変わっていませんが、街の通りを少し歩くと、その昔よりも一層ゴミゴミ感が増大したように感じます。この辺りは学生の町で、人ごみの中にはかなりの学生が混ざっていたのですが、今は何だか少ない感じがします。その代わりに耳慣れない外国語を話す人が増えた感じです。今は早稲田の学生はこの辺には住んでいるのかいないのか、良く判りませんが、その昔は学生相手の古本屋などが何件かあって、演劇の台本などを扱っている所もあり、時々覗いたものでした。時代は変わるものなのでありましょう。そんなことを思いながらの歩き出しでした。

今日は早稲田方向へ行くのではなく、途中から左折して神田川に架かる橋を渡り、右手に走る都電を見ながら明治通りを池袋の方に歩くことにしています。神田川を見るのも久しぶりでした。集中豪雨やゲリラ豪雨の時には、コンクリートで固められた溝の中を濁流が狂奔する川なのですが、普段は都会の残滓を多少はろ過しながらも、概ねは人間どもの悪行には逆らえず、濁りを含んだ水をわずかに流しているだけの静かな存在です。いつだったか、神田川に清流に棲む魚が見つかったなどという嬉しい話を聞いたこともありましたが、さて、今はどうなっているのでしょうか。下を覗き見た限りでは、以前よりはかなりきれいになっているような気がしました。

 

     

歌に唄われている神田川はどこの辺りの景色なのか知らないけど、ここは早稲田近くの神田川の景観である。お世辞にも情緒のある川とは思えない。

  

神田川を過ぎると、目白に向かって少し坂が続きますが、この坂に沿って右手側を都電の荒川線が走っています。荒川線は、早稲田駅から千住の三ノ輪橋までの12kmほどの距離を走っている最後の都電です。何度か乗ったことがありますが、どうしてこの路線だけが生き残れたのか、不思議な気がします。時々都電を見たくなった時は、この頃はこの道を歩くことにしています。今日もその姿を見ることができて、何だかほっとしたのでした。

坂を上った辺りに千登世橋があります。この橋は川に架かる橋ではなく、何でも東京では初めての道路の立体交差の架橋なのだそうです。橋の上を目白通りが走り、明治通りはその橋の下を潜るのですが、アーチ型のその橋を下から見上げると、いかにも戦前の造りらしく、質実剛健さの中に、ある種の芸術性を感じます。

坂を上りきった辺りが雑司が谷で、雑司が谷といえば鬼子母神が有名です。ここの鬼子母神堂は尊敬する作家池波正太郎先生の作品には数多く登場しています。鬼平犯科帳などを読むうちに、どんな所か行って見たくなり、実際に出かけていったのは何年前だったでしょうか。ずいぶん古い昔の懐かしい思い出です。今日ももちろん久しぶりの参詣でした。建物とそれを取り巻く銀杏や欅の大木たちの佇まいは基本的には変わっていませんでしたが、境内の様子は、何だかかつての活気を失って、少し荒れ始め出している感じがして、心配が膨らみました。この時期なので、致し方ない景色なのかも知れません。鬼子母神堂というのは、法明寺というお寺のものであり、そのお寺は少し離れたところに位置しています。「恐れ入谷の鬼子母神」の方は、上野の近くの入谷の真源寺に属しています。このような場所に来て、江戸の昔を想像するのも時には楽しいものです。

 

    

雑司が谷の鬼子母神堂。今は受験シーズンとあってか、堂内にはたくさんの絵馬が掲げられていた。

 

鬼子母神堂のあとは、東京音大の脇を通り、法明寺など幾つかのお寺の脇の細道を通って、サンシャインシティの方に向かいました。この辺りはほんのわずかですが江戸の昔が残っています。それは墓石に刻まれた墓銘碑などを読むと判ります。そして恐らく戦災にも耐え抜いた椎の大木などの様子にもそれを感ずるのです。しかし、そこを抜けると、景色は一変して大都会の顔に変貌します。この落差は相当なものなのですが、そこを歩いている人たちには、恐らく何の感興もないことなのでしょう。サンシャインシティの混雑の真っ只中を通り抜けて池袋駅前を通過し、少し先にある本屋に入って、これもまた久しぶりに守谷では手に入らぬ文庫本を何冊か買い求めたのでした。高田馬場から池袋までのこの歩きは、距離にすれば3kmほどの短さなのですが、ちょっぴり昔を訪ね思い起こすのにはなかなかいい時間でした。

そのあとは1年以上も会っていなかった親しき友と時の経つのを忘れて酒を汲み交わし、老人話の花を咲かせたのでした。そのことについては、ここに記すつもりはありません。田舎に住む老人の、久しぶりの東京行の断面の印象をちょっぴり書いてみただけです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする