どういうわけか昔からボクシングというのが好きで、相当熱心にTVなどを見ていました。実際の試合見物にはなかなか行くことができず、その実戦の迫力は想像するだけでした。大相撲の八百長が問題化して騒いでいますが、基本的にボクシングというのも八百長の可能性があるものかと思われます。しかし、世界タイトル級の試合では、まさかそれはないでしょう。八百長で世界チャンピオンが決まるなんて想像もできず、ボクシングの場合は、大相撲以上の真剣勝負に違いないと思っています。
さて、そのボクシングですが、気がつけば現在の日本人世界チャンピオンは、過去最高人数だそうで、真にご同慶の至りです。しかし、私的には最近は殆どボクシングを見なくなっていました。何年か前、世間が大騒ぎするので、亀田三兄弟の試合を見ましたが、内藤君との一戦は茶番の感じがしたし、この兄弟の世間を嘗めきった言動・態度には呆れかえるばかりで、ボクシングというものに幻滅の思いを強くしたのでした。ま、この兄弟はその後少しまともになって、勝負の方だけではそれなりの実績を残しているので、とやかく言うほどのことはないとは思っています。
ボクシングがまだ鮮度を保っていた時代の試合というものは、観戦者を闘っている本人よりも奮い立たせ、元気をもらったものでした。ボクシングの最初は白井義男氏だったと思いますが、その後はファイティング原田とか海老原博幸などという人が、それぞれ味のある戦いぶりを示し、多くのファンを唸らせ、魅了したものでした。原田の凄まじいラッシュや、研ぎ澄ました海老原のパンチの切れ味などは、今でも強く目の裏に焼き付いています。日本国がまだ経済的にもそれほど豊かにはなっていない時代でした。
その後も名勝負に名を残す選手が何人か現れて、ボクシング熱はしばらく続いたのですが、そのうちに気がつけばチャンピオンベルトから次第に遠のき、その数も限りなく減ってきて、まさに燃え盛っていた火が消えかかるような時代が、かなり長く続いたような気がします。何だかんだ言いながらも世の中の暮らしが次第に豊かになるにつれ、ハングリー精神というか闘争心というのか、そのような激しい気持ちが中和され、世の中ら少しずつ抜け去っていったのかも知れません。
高度成長時代が終わるころからは、ボクシングの世界市場がおかしくなって来たようで、興行を仕切る人たちの団体の間で、分裂なのか、発展なのかはたまた単なる仲間別れなのか、チャンピオンの認定機関が複雑化したり、あるいはファイティングの階級分けが細分化したりして、もはや一昔前とは比べられないようなややこしい闘いの世界となってしまったようです。素人から見ると、本当の世界チャンピオンというのは一体誰なのかが分からないような時代となってしまった感じがします。この頃から、ボクシングを見ていても、どうもスカッとした気分がしなくなり、TVも新聞も進んで見ようとはしなくなってしまったのです。
私自身が歳をとって老いぼれてしまったので、もはや闘争心などいうものとは無縁になってしまったのかもしれませんが、それでも時々は己自身に「喝!」を入れたくなる気持ちはまだどこかに残ってはいるのです。それで思い出したように時々TVを見たりするのですが、最近では長谷川穂積という人の戦いぶりに久しぶりにボクシングの妙味というか、醍醐味を感じていました。その彼がどういうわけかその後負けてしまい、クラスを一つ飛んで上げ、もう一度挑戦して見事にチャンピオンの座に就いたのは何よりのことでした。この人は輝かしい戦歴を持った方のようでしたが、私が試合を見たのは、バンタム級での10度目の防衛戦だけで、それ以外は見ていないのですが、この人のボクシングには本物を感じたのでした。
その長谷川穂積も年齢的には次第に体力等のハンディがきつくなってくる時期だと思いますが、このあとを引き継ぐ若者はいないのかとひそかに期待していたところ、ようやく新星が現れてくれ、真にこれからが楽しみです。その名は井岡一翔。いやあ、実に見事なプロ7戦目にしてのタイトル挑戦の試合でした。誰も文句のつけようのない鮮やかな勝利でした。見ていて安心感がありました。チャンピオンは無敗を誇る強者だったわけですが、挑戦者の井岡君は技術面においてもファイティングスピリットの面においても、チャンピオンを凌ぐものがあったと思います。理にかなった、それでいて冒険を避けない、いかにもボクシングらしい戦いぶりでした。素人目にもプロの目にも実に魅力的なボクシングを展開していたと思います。
試合はボディブローが効き出したころに、強烈な一発が見事に決まってTKOとなったのですが、勝った後の言動も少しも驕ることなく爽やかなものでした。この頃は試合の前後で、自分を目立たせようとやたらに不要な騒ぎをしかける若者が多い中で、彼の挙措には安心して見ていられる雰囲気があって、真に好感度大でした。4階級制覇が目的だとのことですが、一歩ずつ確実に前進していって欲しいと思います。
聞けばおじさんがストロー級元世界チャンピオンの井岡弘樹氏だとか。又父御も元プロボクサーということですから、ボクシングに励む環境には大変に恵まれているということです。しかし環境に恵まれているのと、それを力にして本物になれるというのとは別の話であり、特にボクシングのようなハードで厳しい試練が求められる競技では、それに耐えて乗り越える逞しさを自ら作り上げるパワーが必要です。井岡一翔選手は見事その試練のハードルの一つをクリアーしたということなのだと思います。
彼にはこれからも幾多の越えなければならないハードルが待ち受けているのだと思いますが、この鮮やかなチャンピオンへのデビューをより一層輝かしいものとするために、何よりも期待したいのは、「思い上がらない」ということです。思い上がることは簡単です。一つの結果から自分の力を過信することを思い上がるというのだと思います。人生上手くいっている間は、様々の誘惑が押し寄せてきて、随所に思い上がりのきっかけを振り撒こうとします。恐らくそれはボクシングの勝負よりも怖い結果を招来するように思えます。あまりにも早すぎる心配かもしれませんが、この前途有為の若者には、歴史に残るボクサーとなって頂くためにも、是非このような老人の心配を無とするように、周辺の人たちは適切なアドバイスをして欲しいと願っています。
いやあ、これからが楽しみです。あの世に行くまでの間、ずっと楽しみさせ続けてくれることを願っています。