山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

嬉しいお便り

2008-08-29 05:14:42 | くるま旅くらしの話

 拙著「くるま旅くらし心得帖」の出版元が倒産し、その後を引き継いだ出版社から、継続出版の案内を頂戴したのだが、かなりの更なる出費を必要とするので、出版を断念した。年金暮らしの身には、投下資金の回収が当てにならないものに再投資をするほどの余裕はない。残念だけど、この本はたった2版だけで終わりとなる運命にあるようだ。出版社に残っていた全冊を引き取ったのだが、もう残部も30冊となってしまった。

 その本の販売は、現在ホームページなどを介して行わせて頂いているが、先日久しぶりにオーダーを頂戴した。ホームページをご覧戴いた方からのメールでのご注文だった。赤穂市にお住まいのMさんという女性の方からで、それによると「一昨年父がキャンピングカーを購入したのですが、『最近のキャンピングカーのマナーが悪い』との評判を耳にしたのですが、父がどういう風なマナーで、キャンピングカーで旅をしているのか、私には分らないのでこの本を読んで、マナー違反していないか?どんなマナーがあるのかを父に理解してほしいのです」とあった。

 優しい思いやりのある娘さんなのだなと嬉しくなった。くるま旅をされている方ではなく、そのご家族からの本のオーダーを頂戴したのは初めてのことである。このような優しい思いやりのある娘さんのお父様が、マナー違反の旅などする筈がないと思った。ご両親のくるま旅を是非支援してあげて下さい、と返信したのだった。その後再度メールを頂戴したのだが、その中には次のように書かれていた。

「最初に父がキャンピングカーを購入するときに、ただ驚いていました。どこにでもいるような平凡なサラリーマンです。そんな野望を抱いていたとは思わず、……。

私たち子供の手が離れ、やっと自分の好きなことが出来るようになったからと言って、、キャンピングカーとは!!

母親も良く理解できたな……と思いましたが、今では応援する気持ちと、父たち夫婦のように、定年前でも夫婦仲良く一緒に旅に出れたらいいなと思えるようになりました。私たちの子供も小学生で、おじいちゃんと一緒に旅をすることがすごく楽しいみたいです。」

 私はこれを読んで、なるほどなあと考えさせられ、又Mさんのご両親に対する理解を素晴らしいなあと思った。「何でキャンピングカーなの?」という家族(=子ども)の疑念は、かつての我が家の場合と同じような気がする。子どもたちから見れば、いくら自由に旅がしたいといって、大枚を叩(はた)いてキャンピングカーなんぞを買うとは!という気持ちが一般なのだと思う。子どもによらず兄弟や親戚からも「あいつは何を考えてるんだ?」と疑念視されるのが普通のようだ。このような感慨を持たれることは致し方ないことだと思っている。私の場合もそうだったし、今でもそのような醒めた見方で見ている人もいるように思う。

 しかし、私は思い切って旅車を手に入れた方の決断を大いに評価したい。Mさんのお父様にも絶賛のエールを送りたい。だれが何と言おうと、何もしない(これは言い過ぎかも。中途半端に何かをやろうと家の中に閉じこもっているような場合を指している)で、家を拠点にウロウロしているような生き方よりは、くるま旅くらしは、はるかに活き活きとした人生を過すことができるからだ。

 くるま旅くらしは、よほどの条件に恵まれていないと、恐らく現役の人には無理なことと思う。それ故、私は定年後の人生を送る柱の一つになり得ると考え、リタイア後の方たちを対象として「くるま旅くらし心得帖」を書かせて頂いた。リタイア後の人生は、お釈迦様の言う人生の4つのテーマ「生・病・老・死」に直接向き合わなければならない時間でもある。この時間を現役時代と同じ発想で過ごすことは不可能ではないか。どう生きるかの発想を持たない人は、己を失ってゆくのではないかと思えてしかたがない。活き活きと生きている人は、己を失うことは無く、病や老という事象にもきちんと対峙(たいじ)出来るのではないかと思うのである。

 この「活き活きと生きる」の源となるのは何なのだろうか。私が思うに、それは生きていることを実感できる絶えざる喜びであり、刺激ではないかと思っている。沈滞した時間の中にそのような刺激や喜びを探すのは難しいと思う。沈滞や停滞の時間ではなく、日々の変化の中にこそ、それは多く存在しているのではないだろうか。

 そして、それらの要件は、全てくるま旅くらしの中に存在するのである。昨日と違う今日を実感できるのが旅の本質だと思う。旅に出ていると、毎日が刺激的である。止まっていても、移動していても、普段家にいるときとは環境が異なるのである。人は今までと異なる環境に身を置いたとき、改めて自分というものに気づくのではないか。旅は新しい自分に気づき、様々な出会いを通してその人の生きる力を強めてくれるように思う。

 キャンピングカーは確かに高額だけど、それを回収するだけの力を持った旅のツールだと思う。私の旅車は購入してから既に6年を超え、走行距離も10万キロを超えたけど、もう随分前に投下費用を回収できていると思っている。ツアーの旅などとは比較にならない、自由で稔り多い出会いをたくさん頂戴している。それは今まで自分が生きてきた世界を大きく変えるものでもあった。生きていることを実感できる時間がたくさん詰まったものだった。私は、あと20年はくるま旅を続けたいと願っている。くるま旅は単なる遊びではない、リタイア後を活き活きと生きるための一つの生き方なのだと思っている。

 くるま旅をしている人は元気な方が多い。家に居れば病に取り付かれて動きの取れない人でも、旅に出ると活力を取り戻されている人を何人か知っている。毎年北海道でお会いする愛媛県からのWさんは、80歳を超えるご夫妻だが、お二人とも病のハンディをお持ちながら、はるばると車を運転して、根室市に隣接する別海町にやって来られている。奥様は車椅子、そしてご主人も脊髄に障害があるとか。私はそのお姿を拝見してもうそれだけで胸を打たれるのである。もしこのお二人が在宅で過されていたら、とうの昔に病は、ご夫妻の動きを封じてしまっていたのではないかと思う。しかし、現実のお二人は、20年以上のくるま旅の経験から、病の壁を乗り越えて、北の大地で生きている喜びを実感なさっておられるのだ。くるま旅の真髄を味わっておられる姿を見て感動せずには居られない。

 「病院に通うくらいなら、旅に出かけたほうが良い」とおっしゃるお歳寄りも居られる。これはまさに至言ではないか。病を避ける最良の方法は旅に出ることではないかと私は思っている。病は必ずしも病院に行けば治るものではない。リタイア後の人生は病の到来は不可避のことだとは思うが、徒(いたずら)に病院通いだけを考えるのは気の毒なことだと思う。病院通いは身体の病以上に心が病んでしまうことにつながりかねない。私は、旅は、くるま旅は、歳寄りの病を回避する大きな力になるものと信じて疑わない。

 Mさんのお父様は、素晴らしい選択、決断をされたのだと思う。私はこのことを強調したい。リタイア後の人生を健康で活き活きと生きるために、くるま旅は最適の選択だということを。Mさんの心配は、お父様がくるま旅を更に発展させて心豊かな人生を送られているのに気づいた時、全くの杞憂であったと吹き飛ぶに違いない。介護など一切不要の人生を送るために、くるま旅が大きな力となることを祈念して、Mさんご一家のこれからを思ったのであった。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする