騒動というほどのことでもないけど、旅から戻ったあとの最大の課題は、いつも畑と庭の除草作業のことである。今年は3週間あまりの期間だったので、それほど酷くはなっていないだろうと高を括っていたのだったが、帰宅して畑に行って見ると、その蔓延(はびこ)り様は尋常のものではなく、まるで雑草の類を丁寧に育てた感があった。ナスも花オクラもエゴマも草の中に埋もれ、僅かに生き残った何本かが頭を出していた。きれいに除草しておいた、まだ生えたばかりだった蕪や大根、それにチンゲン菜などの夏野菜は全く陰も形も見えないほどだった。
夜明け前の雑草に占有され尽くした畑の様子。向こうに薄ぼんやりと見えるのは、農機具の倉庫。
とにかく暑くならないうちに手をつけようと、まだ薄暗い4時半くらいに畑に出かけたのだったが、あまりの酷さに何処から手をつけてよいやら、しばし呆然の有様だった。それにしても雑草どものみごとな生長振りには目を見張るものがある。
雑草の殆どはメヒシバとスベリヒユで占められていた。この2種の植物は、対照的な生存の知恵を出していて、メヒシバは豪のものという生き方、スベリヒユは柔のものという生き方をしている。メヒシバは、地面にしっかり根を下ろし、倒れたりすると、その倒れた節のところから根を出して、強力に大地を捻り伏せても生き残るといった姿勢を示しており、除草には骨の折れる草である。スベリヒユは、黄門様が旱魃時の非常食料として推薦したという話があるが、物好きは今でも茹でて食べたりしているらしい。小さな時は一見ひ弱な感じの草で、ちょっと引っ張ると直ぐに折れてしまうという状況なのだが、これを放って置くと、まるで巨大なミミズのようにグロテスクに茎を太らせ、メヒシバに対抗するように大地をせめぎ取っているのである。旱魃に強い水分を含んだ草である。
除草をする上ではメヒシバが難敵だが、スベリヒユは図体が大きくなっている割には、根が小さく余り力を入れなくても引き抜くことが出来る。しかし、いずれの草もちょっとでも油断や隙を見せるとアッという間に生い茂り、花を咲かせ子孫を残そうとするのである。
植物の生き残り戦略を見ていると、存外の面白さがある。そのようなのんきなことを言っている場合ではないのだけれど、否応なしに草を引っ張り続けていると、あれこれとこの連中の生き方についても思いをめぐらしてしまうのである。そんなことでも考えていないと、とても長い時間草と戦う気にはなれない。
不断しゃがんで作業をするということが殆ど無いので、長靴を履いてのその格好での作業は、実に悪戦苦闘である。腰が痛くなって、あいててっ、と何度も伸びを繰り返すのだが、そのタイミングが次第に短くなってきて、やがてギブアップとなってしまう。5時少し前から作業を開始して、8時過ぎついにギブアップとなる。僅かに50㎡の広さしかないのに、3時間かけても全部を取りきることが出来ず、10㎡ほどを残してしまった。これが現在の体力の限界なのだと思った。
順次草を抜いているうちにナスやシシトウなどが顔を出し、やがてベンリ菜やリアスからし菜などが青白い表情で草の中から顔を出してきた。息も絶え絶えという感じである。大根の葉っぱも青ざめている。蕪などは殆ど消えてしまっていた。これらの野菜は、人間の手を借りないと、この厳しい自然環境の中では生き残っては行けないものなのだ。とすれば、手入れの出来ない野菜を植える方が間違っている。旅に出かける夏には、やっぱり野菜類を植えることは罪なことなのだと思った。逞しい雑草の中から辛うじて生き残って顔を出した野菜たちに申し訳ない感じがした。
雑草の中から現れた生き残りの野菜たち。たっぷりとした陽光の恵みに与ることができず、ひょろひょろしていて可哀相な感じだった。さて、回復できるのか?
いつの間にか日が昇り、辺りが明るくなってきて、出る汗も量を増してきた。一々拭っている暇は無いので、流れるに任せることにした。半ばやけくそである。下着から上のシャツ、ズボンまで全て汗で濡れて重くなっている。こんなに汗をかいたのは、学生時代のバスケの合宿以来かも知れない。仕事では何度も冷や汗をかいてはいるが、そのような類のものとは違う一種の満足感がある。帰りの車をどのように運転しようかと、着替えも持たずに来たことを悔いながら(持ってきても着替える場所も無い)、自分がゴミになったつもりで運転すれば良いと、座席にビニールシートを敷いてじっと我慢をしながら家に戻ったのだった。
翌日、もう一度来て残りの分を始末し、ようやくもとの畑らしくなったというお話でありました。
戦い済んで、すべての雑草を退治した後の畑の様子。まだ抜いた雑草を運んで捨てる作業が残っている。