無意識日記
宇多田光 word:i_
 



かな、WINGSのラスト『あなたの前で/言いたいことを%紙に書いて』は/と%のどちらで切るのだろう。似た議論が初恋でもあったな。"あなたと私のどちらが泣いてるの?"って。類似しているが、コチラの論点は「紙に書いてる時に"あなた"は前に居るのか居ないのか」だ。何れも奇妙なシチュエーションではあるのだが、次が『夢見てるよ大空』だから前に"あなた"が居ない状況を想定する%の方がやや自然か。丁寧に『あなたの前で』という言い方にする%の方は、然し、ストレートに"あなたに言いたいこと"を唄う/よりも婉曲的になり詞として歯切れ悪いし、まぁ今日の所は結論保留で;

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ファンの間で温度にバラツキがあるのも過去にないのではないか。ゆくゆくはJPop市場が解体されるかもというこの御時世に唄ってくれてるだけでも有り難い事ではあるのだが。無理に仕掛けて大火傷するよりは、という判断で種々の新曲達がお蔵入り中なのかも。今度のシングルは、前2作より更に半減という展開も有り得る。となると2万枚とかか。ならばいっそリード曲を決めてタイアップをとりシングル盤を発売せず直にアルバムに繋げていく、なんて戦略すら考えられる。苦心してシングルのプロモを敢行した挙句"ウタダの新曲も売れず"がヘッドラインを飾って逆効果、じゃ報われないからね。

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書くが、ファンとして光の活動は太く短くと細く長くの何れが好ましいか。生活に光の存在が根付いてる自分は"激細でも死ぬ迄"と答える。累積作品数が十数作品位(10年1枚程度か)で終わろうと"今後への希望"に敵うものはない。こういう考えがある一方、"キャリアトータル作品数が最大になるペースで"という考え方も支持を得そうだ(寧ろコチラが多数派か)。鳥山明がドラゴンボールを長く描かされ続けたお陰で彼の新作が期待できなくなった、その様な事態は是非とも避けたい。なるべくモチベーションが尽きず且つコンスタントに光の歌が聴けるペース。クォリティに光が満足し続けれるかが鍵だな。

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超越的な視点と日常的な視点が交錯するのが特徴だ。よく触れるのはPassionSgVrだが、初期でもGiveMeAReasonはどうだ。サビに"法則"や運命"がサラリと出てくるし、"やっとみつけた答えは~からかわれてるみたい"のパートも大きな力に翻弄される姿を描いている。"(ヲー!)"と威勢よく僕ら目線で決意を語っておきながら賢者を訪ねてコチラでも答えを得られない。物語を眺める視点を歌詞に複数持ち込むのは、自身を外から眺めるプロデューサ気質の反映そのものだろう。つまり光の詞のスタイルはプロデューサとしての視点抜きには語れないのである。テーマの眺め方からして違うのだ。

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まくらさんにはあるのだろうか。理由はともかく光の歌には眠り(寝たり起きたり)をキーワードにした歌が沢山ある。当て所無く挙げてみても、聖域、ギミアリーズン、ThisIsLove、WINGS、ForYou、BeautifulWorldとキリがない。然も自分の眠りだけでなく相手の眠りも織り込んでゆく。程度の差こそあれまくらさんが死の象徴であるとすれば眠りには死の隠喩が紛れていると解釈したくなるが、誰かの眠りを眺める視点には何故か余り死の匂いがない。夢と現を交わす"眠り"。苦痛が和らぐどころか悪夢の所為で起きてる時よりツライ思いをする光の眠りとは、一体全体何なのだろう。

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個人的にはどうでもイイ、というか何で自分みたいな生まれついてのマイナー志向がこんな超のつくメジャーな人を追っかけてるのか、その事の方が未だによく解らない。兎も角慣れてしまうしかないと思って慣れない市場の話なんぞしているが私ゃ専門知識を持ってる訳でもない。つまり、売上の話とかは眉唾で聞いて欲しいなぁという逃げを新年度を前にして打とうとしてるのだが、アルバム初動予想なんかはソレナリに当たってたりして始末が悪い。日々観察してたら勘もはたらくのか。とまれ、ソレが宇多田光という人の人生なんだから受け容れる。ツライというよりは寧ろ楽しい。

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"幸せになろう"はシングルカットされなくて本当によかった。恋愛真っ只中の「しあわせ」を唄うこの曲、アルバムの断トツの売上からすると"結婚式の定番曲"になっててもおかしくなかった。やっぱその後の経過を慮ると熱心なファンは兎も角ライト層からすれば"縁起が悪い"と云われちゃう歌なんだよね。この曲が大好きな私としては、だから、将来自分の番が万が一回ってきたら遠慮なく使ってやろうと思う。冷気が会場を覆うような事態は曲の知名度からすれば避けられる筈、だ。ややもすると冒頭のエロ詞の方が心配な位。「(ヲー!)」と皆と一緒に歌える日が、来ればの話ですがw

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今の光が表現のどんなディテイルを重んじようとするのかも又、見え難い。二月の時点では"DDプロモ~カバーアルバム"の流れはある程度解り易かったが、1ヶ月以上のブランクを経て4月を迎えるとなると事情が違ってくる。普段4月は新譜ラッシュの時期なのだ。リリースのなさそうなUtaDAに人的資源の投入はあるのか。カバーアルバムへの自然な流れを作るには、DDでシンガーとしての個性を洗い直し自らの音楽の魅力の作曲に依拠する部分を捨象する、というプロセスが必要となる。確実に斯様なディテイルを積み重ねる事で、カバー制作の必然性をアピール出来るのだ。ルールに縛られる必要も又、ないけれど。

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今後はヒカルですら売るのに苦慮する筈だ。過去一切"ファンを囲い込む"事をしてこなかった。ライブも稀でファンクラブもない。ボーダーを何処にも引いてこなかった事は、然し、新規ファンへの敷居の低さも意味する訳で、更にこの伝説的な知名度と楽曲の方向性が足並みを揃えれば大ヒットは又生まれ得る。加えて、潜在的音楽ファンの現況市場へのフラストレーションの受け皿たるポテンシャルは玄人を唸らせれるヒカルが最上だ。ラストチャンス。ノスタルジーの中に生きるか、或いはソコソコの延命治療に留まるか、新しいメディア&システムと共に甦生するか、ヒカルは確実に10年代邦楽の命運を握るアーティストのひとりとなるだろう。

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作っただけでは独自性が強すぎて今の若い子達(っていうのか)にダイレクトに届く曲にならないもしれない、という話。仮にも3年前にFoLの大ヒットを飛ばした人にそんな事は、と思えるかもしれないがコレは能力の問題というより意志とか志向の問題だ。理想をいえば、時流と無関係であっても楽曲の魅力の普遍性でリスナーを惹き付ければOKだ。宇多田ブランドならそういう空気を醸成できる。けれど空気を作ってもソレを増幅するシステムがもう壊れているのだ。特に光は、タイアップ相手の敷衍規模にも敏感だ。名目だけでもヒット曲としての証が欲しいのだが。展望の見えない時代である。

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ご無沙汰な感があり次の曲ではそのアクションが楽しみではあるのだが最近はどのチャートを基準にすればイイのかすら判らなくなっている感がある。やがてシングルチャートやシングルヒットといった概念も消えるのか。乱暴な事をいえば、昨年の邦楽ヒット曲はカエラのButterfly位しか思い出せないのだが、コレは7ヶ月(現在迄で10ヶ月!)ずっとiTunesのTop10に名があった所為。次は光が、と息巻きたい所だがUSと違い今の日本のPopsには流行すらなくなっている点が気にかかる。ポップ&メインストリームである為にはソレを意識する必要があった昨今の光にはやり難い市場なのではないか。コリャ困ったぞ。

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される(された?)そうだが、光の歌がタイアップされる事はあるのだろうか。後程確認するとするが、90年代とはドラマ主題歌の在り様も随分様変わりしてる訳だから、もっと違った売り出し方も面白いかもしれない。観たい、と思える戦略。企画としては、例えば劇中主人公がiPodで聴いている未知の新曲をカップリングにして配信するとか。軒並み粗方のアイディアは具現化されてるからコレも既にやられてるかもだけど。まぁ、ヒカル位の知名度になるとそういう売り出し方も難しいかな。マクロスみたいに"劇中で歌自体が重要な役割を果たす"的な展開も1度位経験してみたいんだけどね。

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心配いらないわ』と人を安心させる様に唄うStayGoldは、何かというとファンを心配させる光に相応しくないといえばない。嘗ては、そうだった。ライブツアーで安定感溢れる歌を聴けたお蔭で、然し、僅かに不安の少ない日々を送れてる気がする。飽く迄も、だが、ソレは観れた人間の幸運な戯言に過ぎない。理想からは、程遠い。望んでも観れなかった人とのギャップが埋まらないものか。まずはDVDが出ればこのギャップを少しは埋めれるが、ソレだけでは足りん。マスメディアに登場して日本語を喋り身近さを取り戻し且つ成長した姿を見せるには日本でDVD発売イベントを催すのがイイかもな。

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すると曲作りに対する今回のツアーからの影響は少ない方がいい。これ迄何度か指摘してきた様に、作詞作編曲は無意識のうちに"見えている聴衆"を想定してしまう傾向を持つ為、クラブツアー後は"そのスケールのファン層"に適合した曲になる可能性がある。理想的なのは、ココから「もっと大きい所を満員に!」と野心が芽生える事だが、光の場合万単位の聴衆は既に経験済みだ。影響の多寡としては、時期的に近い点と、何より光自身がこのツアーを楽しめた点が大きくなると思う。楽しさ。コレが1番曲調に出る。とはいえ"ライブハウスの楽しさ"自体は多くの聴衆と共有できると思うけどね。

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ヒット曲は"如何にもドラマで流れそうな"雰囲気を持っている。例として明快なのは最近ではFoL&PoLだ。判別が難しいが、例えばアップル&シナモンなんかはメロディの美しさはその2曲に引けをとらないのにどこか"景色に動きがない/カメラが回り出さない"気がする。断言は出来ないけどね。恋愛がテーマなのは同じなのに私は何故そんな違いを感じるのか。出来れば上記2曲もライブで聴いて印象を比較したかった。勿論キャンシー初恋オートマ桜と大ヒット曲も唄ったし、うち3曲は実際にドラマ主題歌なんだが私のいう"如何にもドラマで"ってのはムビノンとかアナチャンみたいな…嗚呼やっぱウマく云えないや;

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