無意識日記
宇多田光 word:i_
 





これまでのまとめ。
歌詞の解釈はまだまだこれからなので、
それはのちのちのお楽しみということで。
巷間の扱いに関係なく、彼女の素敵な曲を聴き考える営みは続くのです。


で。

振り返れば、本当に不憫な子であった(つ∇T)
繰り返しになるけど(まとめだからね(笑))、
多分Hikki8年のキャリアの中で初めて“最高傑作(かも)”と
形容した楽曲(アルバムではあったかもですよね)な「ぼくはくま」の
直後のリリース、というのが不憫の始まりだったような。

やれ曲は作ってみたものの「バラードが欲しい」と依頼主に突き返され
今度はHikkiのほうが曲に対する思い入れも何も見せずに
「えーめんどっちぃなぁ、じゃあ今作ってるのバラードにしちゃえー」と
まぁそれはなくはないかなと思ったら今度は「でもアレンジすんのも面倒だわ」と
放り出されたのだ(T△T) これを不憫といわずしてなんといおう。

そうやってできたバラードバージョンのPVはレコーディング風景を
ただ撮影してたいした編集もなく収録したもの、というとんでもない手抜き振り。
(でも手を抜いたからといってPVの出来が悪くなるというわけでもない)

オリジナルバージョンに到っては、なんとPVそのものが存在しない(T.T)
いや、オリジナルの方が、元々はこっちのほうがこの“Flavor Of Life”という
楽曲名を背負って生まれてきた存在であって、、、んまぁ、同じ曲で
二つも要らんだろう、ということなのかもしれないが、そこでオリジナルのほうが
切られる、というのはもう少し葛藤はなかったのかと。

Hikki当人がテレビに出ても苦難は続く。
幾ら他局人気ドラマの主題歌だからって、生放送(笑っていいとも)で
「それはいいんですけど」とあっさり主役をくまに譲らせるだなんて、
もう不憫哀憫憐憫至極の情が(つдT)

挙句雑誌のインタビューでは「あんまり達成感がなかった」とトドメのひとことを食らう。
今までのHikkiなら考えられなかったような一撃である。
(リスクんときにこんな感じの発言があったようななかったような?でもそれ位だよね)

しかし。

これだけ“Flavor Of Life”を蔑ろにしようと、
世界で一番この曲を愛しているのはダントツで宇多田ヒカル本人なのである。
何を当たり前のことを、と思いそうだが、当たり前のことだから強調しときたいの。

ひとつの楽曲を何もないところから作り出し、日本という世界第2位の市場に
全国規模で送り込む、というのはそれはそれは大変な作業、、、、のはずだ。
勿論Hikkiが担当するのはその最初の方の部分だけだが、その諸々に対する責任みたいな
ものは、彼女に全部圧し掛かってくる。まぁ慣れたもんだろうけど。

で、そもそもその最初の方の部分が一番大変なんだし。
制作にかける時間と集中力は如何に「すんなりできた」とはいえ、
OVの緻密な構成を耳にすれば「精巧に作りこまれた」という形容が似つかわしい。
天才(と呼ばれるのを彼女は嫌うだろうけれど)だって、
これだけの音を打ち込むにはそれ相応のテマヒマが掛かっているはずだ。
もちろん、一番大変なのはそのテマのほうではなくてこのサウンドを
「思いつく」方なわけで、これは常人にはとても想像し難い領域。

そういったなんやかんやを経て完成形が無事に僕らの耳に辿り着いてるんだから、
彼女にこの曲に対する思い入れがないはずなんかない。誰よりも細部まで
この曲を熟知していて、詞の内容も把握している人間なんだし。
仕事なんだから、といわれそうだが(あらそんなひといないかな?w)、
もう何回分かの人生を遊んで暮らせる人が、
あれだけメディアへの露出過多を嫌う人が、
「なんとしても売りたい」とかそんなこと考えるのも不自然なわけで。
そういう理由が楽曲をカタチにしていく労力の動機になったとは考え難い。
やっぱり、Hikkiはこの曲が大好きなのである。世界中の誰よりもきっと。(懐かしい(笑))

ただ、
あまりにも他の曲(特に「ぼくはくま」な)が素晴らしすぎるので、
どうしたってそれとの比較で、「達成感がない」とかいわれてしまうのだ。
それはi_だってそうで、FoLの曲の素晴らしさは何度も強調してるものの、
多分読者にその印象があんまり残ってないくらいに苦言を呈しているように
思われちゃってるのは、もし他のアーティストたちの楽曲を見る目線で
FoLを絶賛したら、他のUBの曲とか形容する日本語がなくなってしまうから
敢えてハードルを高くして「まぁこんなもんか」みたいに抑えた表現に
ならざるを得ないだけなのだ。普通のJpopの中でこの曲が鳴り響いてるのを
聴くと、「まさに別次元のアーティストだな」と改めて驚いちゃうからね。
でもUBの曲と並べて聴くと「弱いなぁ」と。まぁ比較論とは常にそんなもんだ。


でも、そんな不憫な子であっても、たいしたことをやってのけてくれた。売れたのだ。
これは単純に嬉しい。抜群の楽曲から受ける衝撃とかはないけど、
単純に喜べることであるのは間違いない。
(余談だけど、売れたら嬉しいからって売れなかったら嬉しくないことはない。
 買ってくれた人に感謝するだけ、っていうのは常にイッショよ)

これで面倒な言い訳とか言わずにすみそうになるのもよい。
アルバムのアウトテイク程度の出来の楽曲(多分Hikkiの認識はこんな感じ)が
今や2007年年間暫定2位曲である。BMLやPassionの頃から
「売れない曲を作っただけで、売れる曲を作る能力が落ちたなんてことは有り得ない」と
口酸く言い続けて(書き続けて)きた身にとっては、「負け惜しみ」と
取られなくなることは、ちょっとだけ気が楽だ。
勿論確信があったので、基本的には気にならなかったが、言われる内容ではなく
言われている、という事実自体がめんどっちかった、と。あぁ言い訳がましい(苦笑)
、、、と、そういう言い訳がましさに今後煩わされることがないのは、大きい。

そもそも、Hikkiの才能が枯れるかどうか、なんて話に一番敏感なのは
私のようなミスター心配性な人種ではなかろうか。だから、
毎度新曲を耳にするのは、不安で仕方がない。毎度期待の方が大幅に上回ってるから
それはそれでなんというか、淡くほろ苦くて悪くないのだが(笑)、
彼女が作品に手を抜こうもんなら、一番に苦言を呈するのは多分i_だと思う。
彼女の曲の評価に対して手心を加えたことは一度もない。
「つまらんもんはつまらん」と非常に分かりやすく言い切ってしまうだろう。
今回、FoLBVが本当の意味で「色々微妙」だっただけに、
1月の当ブログの論調は随分歯切れが悪くなってしまってた。
OVの作風が見えなかった&作曲者宇多田ヒカルの指紋が見えづらかった、というのが
理由だったのだが、ここらへんは今後の反省材料でしょう。

曲風や私生活や、この3ヶ月で如何に自分が宇多田ヒカルに対する理解が
足りていなかったのか結構痛感してしまった。毎日書いてみるもんだね。
といいつつ、MUSICAのインタビューを読みながら
「結構わかってたんじゃん俺」とも思ったのも事実。
新鮮味がない、というのはそれだけ色々フォローアップしてきたから、だったわけで。



どんだけ理解していっても「全然理解できてないなぁ」と思わせる宇多田ヒカルさん、
新年度もどうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m






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如何に質問者が「作中1番好きな曲は?」と何の気なしに(悪気もない訳だが)訊ねていようと、その本意には注意が必要と思う。どの曲も己の魂込めた我子の様な存在、何れも1番好きに決まってるのだ。寧ろ「アルバムの中から"代表して"1曲選ぶなら」との解釈で答えてるとみれば、InMyRoomや日曜の朝、HotelRobbyの名を挙げるのもわかる気がする。光の歴史振り返ってみた時にアルバム毎の性質を相対的に表現するのに最も適した曲達…だとすれば光の選曲の意味がわかるのは宇多田UtaDA双方が10作位ずつ作った後になるか。光'sSelectionのベスト盤なんか面白いかもね。


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3、4ケ所で別々に話題になってるので私も便乗w 光の曲で色といえばCOLORSだがこの曲のトーンは光云う所の「水平線方向に広がるような」漠然とした印象だ。青くもなれば曇ることもある水平線の彼方に在る"空(ソラ)"に本来色はなくまさに"空(クウ)"。ヒカ5で曲毎にカラフルなライティングが見られた一方よりによってこの"色々"という名を持つ曲では白一色の清澄なイメージだったのも想起。色々な色について語る詞の"色"が"空"のイメージで統一されたサウンドの中で舞う対比構造はまんま色即是空・空即是色の世界だ。このUBの転回点曲は光の哲学の中庸的表現といえるかもしれない。


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もぉ次の次の曲の話になってる;んで慌てて思いついたFlavorOfLifeのキャッチフレーズがコレ↑アレ程「ヒトに相談するなら死んだ方がマシ」と強調してた自己完結なシトが他者にアレンジ任せてソッチの方が好きだと言い出すわドラマでフル流された挙句セリフに迄導入されるわ作曲者としての達成感のなさを巷の好評に補填して貰うわオニギリは謎なママだわこんなに周りを巻き込んで"曲のストーリィが完結"した例も久々(初?)ではないか。爆発的に売れた事で見事過ぎる程格好が付いた訳だからね。宇多田ヒカルとは音楽だけでなく周囲の尊敬や期待や愛も巻き込んだ存在なのだと今更乍痛感したよ。


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けど、コメントには本当に感謝しています

m(_ _)m

全く返信できていないのが情けなくて堪りませんが無論全部読んでます。てか何度も読み返してます。指動かして文紡ぐってカロリー使う事だもんね。ROMしてくれてる人もマウスクリックして眼球動かして読んでくれてるんだから勿論嬉しい。アクセスの数の多少はあんまり気にならないけど、アクセスの1ッ1ッはとっても嬉しいってこと。そこんとこ誤解されないようにちゃんと書いておかないとね。光が(音楽等通じて)1人1人との対話を心掛けてるように、私も1人1人とのココでの対話を重視していきたいです。あぁ早くレスしたいッ!


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"自分で読み返して面白いもの"がテーマなので更新意欲には響きません(^^)v Hikkiから新情報が来ないからか春休みだからか。ドラマが終わったら急にFoLのムードがなくなっちゃっておいまだ発売1ヶ月経ったトコだよと言いたくなるけどそれがもう次曲に取り掛かってる光の本心ぽいからまぁいいか。メッセで「こんなに売れたのは若いコが花男2を見てくれたからか?」とか「ジャケのおにぎりのお陰?」とかいってたのは言い換えれば「曲の魅力ってわけじゃないよねぇ」て事だもんね。でも達成感のなさをリリースによる爆発で埋め合わせれたのは本当に嬉しい事だったと思うよ。


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03年2月のメッセで光が「書こうとした話が古くなったり」等更新頻度の理由を説明していた。思うにこの頃から光は段々「自分の中から生まれてくるものに追いつけなくなっていった」のではあるまいか。何か書き始めても忽ちそれと繋がりのある"もっと書きたい事"が溢れてき収拾つかなくなってゆく。FMフジでシュウさんに「音楽をやる理由」を訊かれ"止まらないんだよ"と言った光。自分の意志云々を超越し次々生まれてくる音楽に、まず誰よりも光自身が「私にこんな面があったんだ」と驚かされ続ければ「自分の事わかってない」と強調したくもなったのではないかな。


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"光"の魅力は、その光っぽさにある。僕らは光にまつわる様々に歓ぶ。メッセ更新の報告や新曲発表、新製品発売にツアーの決定。ラジオやTVに出るとなれば緊張したり舞い上がったり。そうして巡り合った光の笑顔を見た時の感動の印象に最も近いクオリアを持つ楽曲、それが"光"なのである。そんな曲を本人が作れてまんま自らの名を冠するからには光は自らの魅力について徹底的に自覚的なんだといえる。なのに最近の光は「自分の事は自分だけがわかっていればいい」と呟いたり「自分の事を全然わかっていない」とインタビューで答えたり。その真意について次回考察してみたい。


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スマスマで光がHotelRobbyが好きと発言したのはやや意外だったかもしれない。UKデビューの際、光抱かれたい男No.2のスティング率いるPOLICEの曲の名を挙げ「私にとってのロクサーヌ」とその理由を語っているが、例えば他に光が好きと言う光やLetters等と比して音楽的には何が突出しているのだろう。光の音楽の好みや葛藤や充実についての発言にはその理由も含め肯ける事多いi_だが、これに関しては今だにその真意を測りかねている。他にズラリと居並ぶ名曲達の中何故同曲が選ばれるかが解ればこれからのUtaDA史中でのEXODUSの位置付けが見えてきそうなだけに悔しい。


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2ndのタイトルトラックのシングルカットがバラードバージョンになった、というのが物事が実際に起こった順序だがi_のこの2作に対する"認識"は逆。「FDを創る過程の姿がDISTANCE」と解釈している。行動の理由は過去に求めるのが普通だ。「私がコレをするのはこういう理由だ」、そう自覚した上で我々は行動する。しかしこの頃の(恐らく今も)光は未来に知る理由の許に行動していたのではないか。そしてそれはFDを完成させて初めて自覚できた。「私が今迄してきた事の多くはこれに繋がっていたんだ」、と。畏怖を以て過去からのメッセージを受け取るとは未来の理由と今邂逅する事なのだ。


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EXODUSの様にほぼ総てを1人で手掛けたりせず他者の力借りてゆくとは、光に限っていえば共同作業を意味しない。己の手煩わす事無く自分らしさを他者に表現させる事、端的に言えば"自らの手間を省く"事に他ならない。裏を返せば他者が曲に手を入れ自らのモノにしようとしてもどうにもならず、壊すなら跡形無く以外なく曲の名を継げない程になってしまう事を意味する。それは元曲が極めて精練され必要不可欠な要素の集合に収束している証。どう料理されようと必ず自らの持味を残す自信持てる程に光は音楽の精練過程に精通し始めているのかもしれない。


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i_第1印象が「新鮮味に欠ける」だったからといってこのインタビューの価値が下がるという事はない。幾ら「光はこんな風に思ってるだろう」と確信持っていようともどこまでいっても結局は推測に過ぎない。こうやって"実際に本人の口から語られる"事の意義は果てしなく大きい。その任務に鹿野サンが最適役だったのに異論はないしだから光も2ッ返事でOK出した訳だ。一方で離婚後初激白の触込みに同誌手に取った向きにはややショッキングな内容だったとも思える。コアなマニアから普及層迄のスペクトルを考えると「普通のインタビューよりはやや掘り下げ過ぎ」だったかもしれないね。


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「新鮮味ないなぁ」だった(苦笑)。個々のエピソードは目を引くものの「今の光はこんな事を考えてたのか!」という"驚き"に乏しかった。予定調和とも異なるが知的興奮迄には至らなかったという感触だ。そんな中で最も印象的だったのはBLUENILEを「洗練されてるという程難解じゃない」と形容した一節。これだけ内面や私生活に踏み込んだ筈のインタビューに対して最初に触れるのが音楽の話かよと私も苦笑するしかないのだがシンプルな結び付けでありながらi_今迄生きてきた中でこの視点この表現に出くわした事なかったのだ。俄然B.NILEが聴いてみたくなってる所です。


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FoLEP50万枚突破目前 2007-03-20 19:42:28

ライブで (なかたに) 2007-03-21 10:21:34

ライブでウォーッと歓声があがるために、FOLに懸念材料が一つ。イントロがないことですね。歌が始まったら、Hikkiの声をかき消したくないので静かに聴こうとします。心では燃え上がってるんですが。

おぉ。そのポイントは気付いてませんでした。ナイス指摘っ。
ライヴでは曲紹介をするか否か、するとしたらどういうタイミングで、っていうのが
盛り上がりを左右しますよね~。曲によって違うし曲順によって違うし
ライヴアレンジによっても違うしかなり大変。FoLのバヤイ、曲名を紹介してから
歌いだしてしまえばなんとかなるかな。でも突然始まった方が嬉しいかな。
難しいところですね。ストリングスアレンジのイントロを新しくつけてしまっても
いいかもしれないですが、余程の手腕でないと難しいかな。皆の思い入れ強い曲ですから。


『赤飯を炊けぇ~い』@3.21(Wed) 17:13 2007-03-21 23:57:04

うん (なかたい) 2007-03-22 00:59:54

やっぱり「Hikki」or「ヒカル」が良いですね。
「光」だとi_さんに光ちゃんごと全部取られた気分でした(笑)。

Unknown (なかたに) 2007-03-22 01:03:03

なかたい → なかたに
新しくMac BOOKを手に入れたので、打ち慣れなくて失礼しました(汗)。
これWeb Camがついてるんですよね。
Hikkiも使ってましたよね~。

なるべく文字数を減らしているのでは? (SACKY) 2007-03-22 10:07:40

>なかたにさん
「天然啓語」は文字数を制限したエントリなので
なるべく文字数を少なくするように
「光」表記にしているのではないでしょうか?
曲名も略語表記ですし。(一瞬何の曲か分からない時があります 笑)

きっとそうですね (なかたに) 2007-03-22 12:14:29

SACKYさん、ありがとうございます♪

というか、↑後悔しきりです(笑)。
i_さんのレスが楽しみで、ナイトキャップをたしなみつつ、ついつい書いちゃいました(汗)。

そうなんです、0.5キロバイトという制約の中では
半角1文字に貪欲!(しょこたんぽくw)になっちゃうのですよ。> なかたにさん
「ヒカル」だと3バイト、「Hikki」だと5バイト、「光」だと2バイトなので
「光」を愛用させてうただいてます☆ 看板としての名前が大事なときは
「宇多田ヒカル」と確り表記しますけどね。SACKYはこの「制限の中で表現する」コトの
きっかけのひとりなので、気付いてくれたんだよね~(嬉)。
おっちょこちょいななかたにさん、大好きですv これからもどんどん書いてください♪


FlavorOfLife3バージョンサウンド比較 2007-03-22 08:16:52

こんにちは (ライブレポート) 2007-03-22 10:37:24

はじめまして^^

私の音楽紹介ブログで
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

紹介記事は
http://funmusic.blog69.fc2.com/blog-entry-129.html
です。

これからもよろしくお願いいたします^^

最近の宣伝&誘導カキコは凝ってるなぁ・・・。
これからもよろしくです~管理人の気分によって消されても構わないのならっ!(☆∀☆)


光が母の名を唄う時 2007-03-22 20:24:04

東京NIGHTS (なかたに) 2007-03-23 01:39:09

お母さんみたいに優しい温もり♪
この曲を聴くと涙が出そうになる私・・・。


i_さん、Inter FMのSamurai MorningにHikkiが1週間連続ゲストで出た番組は聴かれました? Can You Keep A Secret?のジャケットの話題でなんとママの生コメントが聴けましたよ。

「え、私も一瞬わかんなかった誰か!(笑)」ですね☆
いや~もうありがとうございますm(_ _)m
なかなかオモテに出てこない人を引っ張り出したのはHikkiの方でしたね。
北海道でもやっぱりそうだし、「ステージの上のママ」とか「衆目下の圭子さん」とか、
そういうイメージが小さい頃に植え付けられてるのかな。よくわかんないけど。(笑)

そして東京NIGHTSですね。ハープシコードの響きが美しいパートで(シンセだけど)、
“本音”が飛び出すシーン(歌だがそういうのが似合う)、
唄い方も思い入れタップリです。「赤ちゃんみたいに素直な気持ち」ですもんね。


MUSICA 宇多田ヒカルLongInterviewBy鹿野淳 2007-03-23 00:00:00

早速 (かのこ) 2007-03-17 19:38:51

話せる場の提供ありがとうございます。>i_さま
MUSICAを読んで私がなんだか辛くなったのは、光さんの孤独は誰にも救えないという事実を(改めて)突き付けられたから。本人としては自分のあり方について別に何ともないんだろうけど、彼女を好いてる者(たち)にとっては彼女の孤独が無茶苦茶に辛いんですよね。なにしろ紀里谷さんもてるざねさんも恐らく圭子さんも、宇宙一のヒカチュウの筈だから宇宙一強くその辛さを感じている筈。それでも誰も絶対に側へ寄れないというなら、私(たち)は音楽を通して彼女と接していくしか。

キリヤンとざねっちはともかく、圭子さんについては入り組んでいるよ。
Hikkiのほうが「こっち向いてよ」って言いたくなる(ほぼ唯一の?)存在なんだから。
http://www.u3music.com/message/index.php?m=1&d=2007032214484j.xml
かといって圭子さんの方にHikkiへの愛情(「ひかるへの愛情」と書くべきか)がない、
という解釈も、メッセを読む限りなさそうだし。
http://www.toshiba-emi.co.jp/app/scripts/emilog.php?id=hikki&no=334
思うに、Hikkiの「孤独」を救う事は出来ないまでも一番理解できるのは
圭子さんなんじゃないかと。でも、わかってるからってそれがどうなるか、というのは
母娘という関係を考えると、、、、、うん、難しい。(正直お手上げ)


Unknown (おたりま) 2007-03-17 20:55:52

同じく、場の提供ありがとうございます。
読んだ直後の感想を、某所より転記します。

子供を持つ身として、やはり、人間、幼少期の環境で人間性が大きく影響を受けるんだなとつくづく感じた。大人の都合で子供作って、大人の都合で育てちゃ、子供がかわいそうだなぁ。

宇多田ヒカルの
あの夏のツアーで朗読した詩は本心だったのね。
本当の自分は自分だけが知っていればいいって。

救われない孤独だよな・・そしてそれでいいって思っちゃうところも淋しいよな。
ぼくはくまの絵本が、なぜ、突然怒って帰っちゃうのか
幸せな人にはわからないんだなぁ。子供たちも最初意味不明っていってた。(先日小5の息子にあらためて聞いたら、「うらやましかったんでしょ」っていってた。←わかってる)
そう、枕さんがともだちで、おはようもおやすみもまくらさん、そういう環境ってことなんだよね。

切ないっていうかな・・それが宇多田ヒカルの音楽になっているのならやはり、それも切なく・・。
再度絵本も読み、宇多田ヒカルの心の闇を感じた。痛いね。

↑直後の感じたままなので、別の観点ではまた書きたいと思います。

浦澤対談でのことばを引用すると「不幸が足りないんだよ」なんでしょうか。(^^;
音楽家としての本能が、質の高い音楽を創るという意志が、
一連の結果を招いているとすると、不幸も栄養素という感覚は、
周りから見たらヘンかもしれませんが、本人ある程度納得済みかな、と思う反面、
朗読詩の切実さを思うと、そんな軽々しいもんじゃない、とも解釈出来。
5歳の頃に生まれた「MONSTER」に、なんとか近付かないと
本当のところはわからないんでしょうが、わからないなりに周りから見守ってるのも
それもまたファンとしては醍醐味なんじゃないでしょうか。幸せかはわからないけど。


インタビュー中の一言 (かのこ) 2007-03-21 18:31:16

「あんまり生きてる感じがしない」で思い出したのは、2002年暮れの成人に関する考察メッセ。あの頃の光さんは、与え求める主体になることを自分に課してたんだね。だけど当時でも、流れを周りに任せる姿勢がメッセの表現から感じられるところが君らしいんじゃない?と思います。

これね。
http://www.toshiba-emi.co.jp/app/scripts/emilog.php?id=hikki&no=398
いいメッセ書くなコイツ。(笑) 昔っからこうなんだが。
裏表、というか、ほぼ同じことだと思う今の私。
「生きてる感じがしない」っていうコトバのウラには、
「“生きてる感じがする”と言及するときの充実が向かう先」への目線を嗅ぎ取るね私ゃ。
つまり、実際に「生きてる感じがしない」感触に包まれてはいるんだろうけど、
「“生きてる感じがしない”と言及すること」によって、
物事を外から(外へ)眺める視線をちゃんと確保してる、っていうこと。
生の充実はそれ自身は素晴らしいことだけど、他との関係性で考えれば実は
搾取や欺瞞で成り立っているかもしれない可能性も考慮に入れたとき、
おいそれと「“生きてる感じがする”と言及する」という行動を取れないかもしれない。
それは盲目に他ならない、から。
あの頃と同じく周りとの繋がりの中で存在することを考えると、
生の充実を外から眺める醒めた目線が必要なんだ、ってことだと勝手に解釈しとります私。


ぼくはくま絵本 (かのこ) 2007-03-22 00:09:42

NHK版と東芝EMI版とを区別する必要あったとのことでしたが、両作のテーマは同じだと感じます。辿り着くところは同じというか陰陽一対というか。2冊のテーマは、求めない自分ひとりで居続けることから生まれるどうしようもない寂しさや不安や怒りなのでは。そこに皆(子どもたち含む)惹かれるのかな。

双方とも「ぬいぐるみ」を基調としている時点で、共通するテーマを抱えるのは
不可避的だったんじゃないかな。逆に相違点を意識的に強調しようという意志がなければ
二つ別の作品として提出する意義を失ってしまうくらいにね。
「NHKから出すものと東芝EMIから出すもので差を“つけなくちゃいけなくて”」
って言ってるくらいだから。それでも同じ色の方が強く見えてしまっているとしたら、
余程「くま・ちゃん」という存在に対する宇多田ヒカルの思い入れが強い、ということか。
誰がこのテーマにどのような媒体で取り組もうと同じ着地点を探り当ててしまう
超強力な引力がはたらいてしまっていた、ということだな。(いやどうなんだろう、、、)


くま初めて聴いたとき、 (かのこ) 2007-03-22 19:24:51

ただならぬ辛さを感じたと同時にヒカルさんではなくチャン・クマが歌ってるのかと錯覚した私ですが、光さんが何でもない自分であることを自分に許していなければそんな錯覚させられる世界は出てこなかった筈。MUSICAの発売待って読んでようやくなるほど、と言えるこの距離がもどかしいけれど実は大切な距離なのかも。

「嬉しい!!」というヒカルの叫び声がきこえてくるかのようだ。(笑)
ちゃんとヒカルの歌・唄い方の狙いは達成されてるというかかのこには届いたというか。
自我がすぽっと抜けてるから、彼女はそのままKUMA-CHANGになれる・・・んだけども
言うは易し行うは難し。この距離のお陰でHikkiによって僕らには強烈過ぎる
闇の味を十分に咀嚼して僕らに受け止めれる程度にまで希薄し柔らかくして届ける為の
時間を稼げてるわけだから、そう、この“距離”がないと大変なことになるぜよv


眠ってるようなもん (かのこ) 2007-03-22 23:59:09

夢の中だったら何があってもいい怖くないと言った後、喉の不調の話では怖いを繰り返す彼女。尋常でない程の恐怖と隣合せで生きてきたからこそ、恐怖への対処法つまり眠っていれば怖くないってことを誰よりも知ってるんだよね。その眠りさえフッ飛ばす程の凄まじい恐怖をもたらすのは歌えなくなること。彼女にとって歌が音楽がどれだけ重大なのかが私にもちらりと見えました。

あら、ホントだねぇ凄い近距離での自家撞着発言だな。(笑)
そのまま飲み込めば眠りと対極にあるのが歌ということなんだろうか。
“もし仮に私が歌を歌わなければ恐怖なんてない。眠ってるのと一緒”と
まとめてみれば、別に自家撞着でもなんでもないことが通じる、かな。
MUSICAのインタビュー、読めば読むほど僕に見えてくるのはHikkiの姿じゃなく
鹿野淳その人の気負いなんだよなぁ。(苦笑)それはつまり読後第一印象が
「新鮮味ないなぁ」だった僕にとっては、ヒカルが言ってる内容より、
「何故こういう表現の仕方で伝えようとするのか」が主要な読み込みのテーマに
なっちゃってて、それはつまり、話し相手が鹿野さんだったから彼との
会話の中でバランスをとってくれてるんだなぁ(かなり無意識的なレベルで、だが)、と
解釈すると合点がいくようになったんだ。だから、やや会話の流れの中で
整合性が危うい(矛盾を含みかねない)表現が重複羅列されてるのは、
彼が相手だったからだなぁ、と納得しておるところです。対談の相手って大事だね。
・・・とと、レスっちゅーより私の独り言になってしまいました。


昨夏ツアー (かのこ) 2007-03-27 18:45:07

「何で私が登場して泣くの?」という驚きにはちょっと同意です。目が合う程ヒカルさんとの距離が近い席だったときでさえ、私には現実感がありませんでした。ヒカルちゃんがすぐそこに居るのに何でだろう隣りの人は開演直後から泣いてるのになぁ(っつか何故そないに泣けますのん…?)、とか思いながらぼーっとするばかりでした。鹿野さんの言葉「めざすのは音楽家の理想じゃなくて、音楽の理想」ならば、歌ってるときの彼女は誰でもない状態、むしろ音楽そのものになっていて、光さんという人はそこに居ないから、だったのかも。

前回の(↑のね)レスを踏まえて私目線でそのコトについて語ると、
Hikkiの“驚き”は、彼に筋道を立てて話すための仮想的なことだったと思う。
いや、少しそれは言い過ぎなんだが、彼女だって自分の姿を見ただけで
感動して泣いちゃうファンがいることは幾らでも経験済みなんだから
(例えばこのページの(11)な> http://ishadow.nobody.jp/w_post-2.htm)
話し相手にも彼女の「驚き~納得」を追体験してもらうための話法ではないか、と。
んで、一方で「ぼーっとするだけの人」も勿論いるわけですよ、貴女のように、ね。
その「現実感のなさ」は、ヒカルがステージの上で自身に対して感じてるまさに
その感覚だったんだと思う。キミはその感覚を共有してたから「ぼーっとする」以外に
なかったのではないかなぁ。で、それを漸く外から眺めたときやっと
「知らない人みたいでドキドキしちゃった(笑)」と普段でいう“感動”が
やってくるんではないか、と。 かのこがDVD見てどんな感想だったか知りたいばい。
http://www.u3music.com/message/backnumber/ja/20061229j.html


性別 (かのこ) 2007-03-30 19:31:47

音楽について特定のジャンルの中にとどまっていたくないと考える人なら、性別について女という特定の性で居ることにも馴染みにくいわなそりゃ。性別の違和感みたいなものは私も感覚的にすごく共感できます。彼女が最近やっと「女だけど、まぁいいや」って思えるようになったというのは、私の想像だけど、極端に嫌だ!とか意識すると却ってジャンル間の境が際立ってしまうと感じるからかも。男にも女にも一本で繋がる中間地点に漂っていようとしてるのかな。

うんうん、まさにそのとおりだと思う。
性別の違和感、てのはGenderとSex、というSocialな面とBiologicalな面と両方あるから
君等の感じてる違和感がどちらに起因するものか、両方なのかどちらでもないのか、
まぁオイラにはちぃとわからないけれど、「EXODUS」で人種やジャンルの壁を
“Cross Over”したいorするつもりない、と唄っていた彼女が
とりわけ“You Make Me Want To Be A Man”というシャウトを激烈に響かせていたことを
考えると、「女だけど、まぁいいや」っていう囁きは物凄い成長だと思う。
それが音楽に反映されたらどんなものが出てくるか、またこれが楽しみだな~♪


長年の友達 (かのこ) 2007-04-05 18:55:09

に多い自問自答タイプの子というのにもしかしたら私も当てはまるのかも。インタビューではこのタイプについて詳しく言及されてはいないから憶測ですが。私も悲しくなることがよくないことだと思う傾向が多分あるけど、でも頭からそう思い込んでるわけでは断じてないです。どんなに足掻いても基本的に悲しいから、んじゃ今だけでも悲しくない状態で過ごせたら良いな、ってな発想をしてしまうのです。こんなだからヒカルちゃんの歌に救われるんだよ私。

ヒカルがいってるのは多分その「足掻く」という段階においての“自問自答タイプの子”
に対しての彼女なりのコトバなんだと思うんだ。んでも、だからって悲しみに
まみれたまんまでいられるほど人って強くないよね、、、ヒカルは強いな、と
この節を読んで思ったよ。ちょっと達観しすぎだわな。でも、だからって
僕等のいるココから離れてしまったわけじゃなく、まるでずっと傍にいたみたいな感覚で
今も曲を作って唄ってる、っていうのは、、、いろいろ考えちゃうなぁ。
でも、コレは「歌に救われる」っていう結果さえあればいいのかな。うん。


BML解体再構築の威力FoLBV を生む 2007-03-23 19:25:00

凄い事をさり気なくやるのは職人芸のなせるワザ (odyssey) 2007-03-23 23:43:28

だけど、それは誰に何の為にやっているかが重要。
そうなんだよ。一度出来上がったものを壊すのは、
心情的にも、もの凄く難しい。
それを(見た目では)易々とこなしてしまうヒカル君。やっぱ、つくづく凄いわねえ。

ホント凄いわねぇ。歌手としても作曲家としても。
いつも「こんな歌唄えるかっ!誰が作ったんだ!! あ、私か。」
っていうまぁ“歌手としての自分と作曲家としての自分の葛藤”を抱えてる割に、
そういうところは最終形にはあんまり見えない・・・んだわね。
作曲家が創ったものを歌手が壊してその上に作曲家以上のものを創り上げる。
なんか凄まじい過程なんだけど、ひとりでやってるもんだから
結局「宇多田ヒカルの作品」にしかならない。自己完結の究極なんだな。
僕なりの解釈でいえば、彼女が頑張るのは音楽の為であって
誰それっていう人間の為じゃないような気がする。「音は音」なんではなかろうか。



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BeMyLastはギタードラムシンセ歌がカッチリと組立られた、トラベの歌同様「動かせる音がない」曲だ、と思っていた。然しOurMusic2MステUU06で光は冒頭の3行以外総てを自由にするというとんでもない方法論に出る。元々激情の表現曲でみためはさして重要ではない(だから売れなかった)とはいえその激情を常にキープする自信なくては殻となる楽曲脱ぎ捨てる勇気など出まい。元々の旋律追わずとも核となる激情表現出来る、という歌手としての揺るぎない自負。それを逆に楽曲に宿らす事出来たから他者に編曲を任す余裕生まれFoLBVに結実した、とみるのは流石に勇み足かなぁ。


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